世界中から花束をもらおうと決めた日。妊娠を望んだ日々の考えごと

あの頃。
子供が欲しいと、世界中の神様にお願いし、それから、世界中の神様に憤怒してたころ。

そういえば、あの頃、私は、
それまでの人生で1番文章を書いていた。

ブログに、インスタに、Twitterに、
それから誰にも見せられない直筆のノートに。

そして、もがいてもがいたその先で
心の中の、優しい部分に気がついて
あの頃の私が、その先の私を作った。


結婚して、すぐに子供の話しが出た。
産めるなら3人ぐらい。
女男女がいいな。

そんな夢を漠然と見ていたが1年ほど経過したところで、おやおや?と思いだす。

病院に行って検査したが
それはあまりに手応えが無かった。

それから転勤になり
また一から検査をしなおしたり、パートをしたり、ついでに大怪我するなどして、
気づけば5年ほど経過。
人工授精もしたが、私にはなにも起こらなかった。

もう、全然おやおや?の範疇を超えている。
3人どころか、1人も来ないじゃないか。

ああいう時の、生理の重さは残酷だ。
日常の生理痛でさえ、イライラし、身体は重くなり、お腹は痛み、頭痛がするのに
「妊娠していなかった」という事実がさらに追い討ちをかける。
ウッカリすると、暗闇の方から声がしそうなのだ。

誰も、私を非難などしていないのに。
自分が自分を非難する声が止まらない。

矛先は、自分以外にも向く。
望まない妊娠をする人へ、虐待のニュースへ。
そして、「神様は不公平だ!」と、八百万の神様に向かって牙を剥いてしまう。バチ当たりめ!

危ない。
こういう時、私は、思い切り泣くことにしていた。
とにかく、大声で。
涙には、ストレス物質が入っているらしい。
感情を出すだけじゃなく、
物理的に、外にストレスを出せるということを知って以来、とにかく泣くということに助けられている。


そして、泣いてスッキリしたら、心のままに文章を書いた。
前向きにも、後ろ向きにも、書くだけ書いた。
あの放置ブログは、今どこを漂っているんだろうか。

そういや、米を洗っていて、数粒流しに流れてしまった米粒に、自分を照らし合わせていたこともある。
「みんなホカホカ白ごはんになれるのに、何でこの段階で落ちこぼれるんだよう…」

さてついに。
体外受精と顕微受精の段に入った。
ここからの情緒不安定はさらに増す。
とにかく、うまくいかない。

自分を安定させるのには、何が重要なのか。

まず、そこを考えなければ、
日常のあれこれが、全部灰色になる勢いだった。
米洗ってるだけで悲しくなってるんだから、そのうち、米を炊いても、蓋に付いた米粒見ても悲しくなるのは時間の問題だ。


結婚して数年も経つと、周囲の友人も、どんどん妊娠出産をする。
なんなら、2人目3人目の人もとっくに出てきてる。

私は、彼女たちとどう付き合うのか?

まずそこだった。
彼女たちは、私を大いに支えてくれていたし、私が、自分の体験談を語っても、憐れむような態度はしなかった。
私に気を使わせるかも知れない、2人目3人目の妊娠の報告も、私の知る限りキッパリ教えてくれた。
たくさん笑い合う場所をくれた。

私は、周囲に恵まれていた。
そして、その子供たちも、本当に可愛かった。
どんなに灰色に落ちても、
「美味しい店があるよ!」と連れ出してくれたのも、他ならぬ彼女たちだった。
米粒なんか怖くない。

私を安定させてくれるのは、
人との繋がりだ。

当たり前のことのようだけど。

妊娠を望む時、一番切れがちなのは、
人との繋がりなのだ。
まだ見ぬ我が子と、こんなにも繋がりたいと思っているのに。

他の繋がっている母子をみるのが、眩しすぎて、目を逸らすあまりに、いっそ切ってしまった方が楽だと思ってしまう。

病院の掲示板で何度も見た。

「2人目不妊の人は来ないで欲しい」
「子供写真の年賀状が嫌だ」
「妊娠してますバッジがイラつく」

読むたびに、胸がチクチクと傷んだ。
分かり過ぎるほど分かる思いと、
「そっちへ行ったらダメだよ」という思い。
それが、誰にも言えないからこそ、つい、匿名で吐露してしまうことも分かるのだ。


一緒に戦うわけじゃない。
共有して、励ましたいわけでもない。
上から目線でアドバイスしたいわけじゃない。
自分を卑下したいわけでもない。

だだ、この病院に助けを求めているということは。

明日、自分が母になれるかもしれないということだ。

人と繋がりを切って、暗闇に飲み込まれてしまったら。
いつかくる、我が子に対する祝福が減ってしまうんじゃ無いかと思った。

私が妊娠をしたら、世界中から祝福されよう。

ロイヤルベビーじゃあるまいし、物理的にそれは不可能だけど。
命がこの世に生まれる時
世界中から祝福があって然るべきだと、
なんだか急にそう思えた。

そのために、私が出来ることは、
生まれてくる命に、心からおめでとうを言うことだった。

友人のお腹が膨らんでいく喜びを
生まれたばかりの赤ちゃんの匂いを
小さな可愛いお手紙を、
年賀状にうつる「生まれました!」の報告を

母でなかった私が、
心から嬉しいと思えたのは、
私が少し成長した証だった。

そして私が我が子を抱くのは、
結婚して8年が経過した時だった。

ずいぶんと待たせてくれたけど、あの8年は、
私を知るための、大事な8年だった。
世界のあちこちで溢れる喜びを
優しい思いを知るための8年だった。

その10ヶ月前。
「今回の受精卵です」と見せてもらった写真。
あの時、私は「なんてキレイな子だろう」と思った。
何度か見てきた受精卵の中で、1番キレイに細胞分裂して、まん丸で美しかった。
我が子の、細胞分裂からずっと見守れるなんて、ちょっと贅沢だな、とも思っている。


一一一一一

何年かかろうが、
結局は、私は、妊娠出産することが出来ました。
あの時、さらに年月が進めば、諦めている人生もあっただろうと思います。
その時に、今の私が、どう変化しているかは分かりません。
この文章を不快に感じる方も、もちろんいらっしゃるはずです。
その時は、さっと閉じて、そのまま忘れて下さいね。


この世に生まれてくる命が、
どうぞ、世界中から祝福されますように。








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