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あの時、私はモモとトモダチになれなかった

つる・るるるちゃんの新刊が動き出した。


私は、念願だったつるちゃんの本に参加を果たし、浮かれきった。
しかも、橘鶫さんKaoRu  IsjDhaさんもご一緒なのですよ、ちょっと待って、なんかすごいところに入れてもらっている…!
そりゃ浮かれてしまっても仕方あるまい。

そして、つるちゃんは言った。「本をめぐる座談会しましょう!」

詳しい内容は、まだ内緒なのだけれど。
まず、このお三方のnoteの作品を知る人たちなら、きっと思っているはず。
「日頃からかなり読書されているな!?」

浮かれきっていた私が震え出す。
何に震えたって、自分の読書量の少なさに。
いや、幼少期「ときちゃんは本が好きねぇ」ぐらいは言われていた。
でもお三方に比べたら、スパイスから三日かけて仕込むカレーと、市販ルーで30分で仕上げるカレーぐらいの差はある。
なんというか、どちらにも良さがあると思って欲しい…(なんそれ)
その辺はつるちゃんの本と共にチラリと公開されていくかもしれないので割愛。


それでその座談会の時の話だ。
ミヒャエル・エンデ著『モモ』の話が出たのである。

そのほんの2週間ほど前。
我が家と同じ歳の小5の娘さんを持つ友人が言った。
「うちの娘、モモを読み終わったの。我が子ながら大したもんだと思って!」
それはすごい!うちの子なんて、YouTube見てるかスライムねってるかよ!
好きな本はいわゆるライトノベルで、私はハリーポッターをかなりしつこく進め、途中まで朗読を試みる(!)までしたのに、娘は興味を示さない。
だから私は、娘に言った。
「図書室にさ、『モモ』ってあるから読んでごらん!Nちゃん読んだらしいよ!あれ、長いと感じるかもしれないけど、名作だからー!」

本を読む子にしたいと思う焦りは、子供になんの変化ももたらさない。
本は、読みたいから読むのであって、読めと言われて読む児童を私は聞いたことがない。
よって「え、やだ」瞬殺である。

それで座談会に戻るのだけど、その時『モモ』の話になって、初めて私は、娘にモモを勧める資格がないことを思い知る。
『モモ』確か、小学生の頃、図書室で借りて読んだはずだ。その記憶に間違いはない。分厚い本を読み終えたという、優越感に浸った記憶がある。

しかし、内容を思い出そうとすると
tomorrow〜♪ tomorrow〜♪
が脳内をこだまする。

いや待て、お前アニーだろ!?


さらに、同じ著者『はてしない物語』の話になり、「どっち派でした?」という話に。
ちょっと待って読書家には派閥があるの!?
それマスト!?
しれっと『モモ』と答えてみたものの、いかん、知ったかしてもすぐバレるので、早めに白状した。
それ知らない、読んだことないですー!
すると「ネバーエンディングストーリーの原作ですよ」と鶫さんが教えてくれた。
おお、ファルコン!!
『グーニーズ』とセットで、何度も観た記憶がある!しかし、ファルコンの顔しか出てこないうえ、さらに脳内を駆け巡る
ネーバーエンディングストーーーオリーーー♪ アアア〜アアア〜アアア〜♪

脳内が音楽に乗っ取られた。
じゃあ私、そっち派で!(※本をめぐる座談会)

いや待って。ところでミヒャエル、あなたのところのモモちゃんってどんな子だっけ?

tomorrow〜♪

いや、アニーは黙っとけって!!


…誰や。娘に『モモ』を名作だと勧めたのは。
私は愕然とした。こんなにも覚えていないものなの?
アニーが向こうから手を振っている。いや、お前のこともうっすらしか知らん、ごめんな。


かくして私は、図書館に自転車をすっ飛ばした。
がしかし、貸出中、オーマイガッ!今すぐ読みたいんじゃ!
(せっかくだから、つるちゃんが読んでいた『若きウェルテルの悩み』を借りて帰る)

それで今度は娘に頼んだ。学校の図書室から借りてきて欲しいと。
「え、私読みたくないって言ったじゃん」とむくれる娘に、違う、お母さんが読みたいんじゃー!と言ったら「え、お母さん読んだことないの?」と。
そんな冷ややかに言うなや。人間忘れる生き物。そして、それを取り戻せる生き物!
娘は、荷物が増えるとか、私だって借りたい本があるとか、そんな文句を言っていたくせに、翌日にはしっかり借りてきてくれた。ありがとう!


『時間どろぼうと ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語』

表紙にきっちり書いてある。そう、時間どろぼうと『モモ』…。

果たして35年ぶりの再会である。
それではっきり思い出したのは、私はモモちゃんが好きではなかったことだった。

小学校。
あれは今思い出してもゾッとする。割と過酷な場所だった。


モモ。
ただそこにいて、黙って人の話を聞いてあげるだけで存在価値を認められる女の子。
ボロボロの服を着て、楽しい話題を提供するでもないのに、人々が、トモダチが、彼女の元に集まってくる。「モモがいないとつまらないよ」

嫉妬していたのだろう。小学生の私は、彼女の存在に。

その上、当時の私には休み時間など要らなかったのだ。
授業の合間、給食の前後、そして下校の通学路。
自由を与えられる時間は、あの頃、地獄でしかなかった。
(まぁずっとと言うわけでも無かったのだが)

私には、灰色の男たちの存在がむしろ必要だった。
小学校なんて、必要なことだけやっていたらいい。
私の時間を盗んでくれたら、私の心がどれだけ救われるか。


これはもちろん、私が大人になって冷静に分析している私の声である。
小学生の私が、実際『モモ』を読んで細かく心を動かしたわけではないと思う。
多分当時は「なんとなく私に合わない」そう思いながら、とにかく読了を目指した。
ストーリーを心に入れることもなく。

大人になった今、まったく違う『モモ』が私を出迎えてくれた。
そのボロボロの服に身を包んだ、裸足の女の子が、なんとも愛おしかった。
私も彼女のトモダチの1人に、今、ようやくなれたのだろう。


大人になって、子供の頃に読んだはずの本をめくる。
まだ出会ったことのない、触れようとしてこなかった本をめくる。

つるちゃんの新刊を通して、座談会を通して、思いがけず今、私の読書熱が再燃している。
今まで、好きな作家さんばかりを読んできたのだけど。

娘が今、好きなライトノベルの本だけを読んでいてもいいなと思う。
彼女のそばにはちゃんと活字があるのだ。
そのうち、あれこれ読みたいと思うのではなかろうか。
何歳になっても、読みたいと思った時に読むのが、一番面白い楽しみ方だ。

でもさ娘よ。今度こそお母さん、『モモ』をお勧め出来るよ。
あなたは多分、お母さんより早く、モモとトモダチになれると思う。


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