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「あまえ子育て」の本と、わらべ唄。

今日は、子育ての本について書いてみようと思います。

  

私は出産後にこの本を読み、とても影響を受けました。
「子どもと生きる・あまえ子育てのすすめ」という本です。

  

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読んでから1年くらい経つので、記事にするには忘れてしまっているところがあるけれど、とても影響を受けた部分を切りとって、再確認しながら記事にすることで、自分の理解もまた深められるのではないかと思ったので、少し書いてみようと思います。

 


ちなみに、読み始めてまず、すごく印象的だったのは「序章」の部分でした。



普段生活していると、なんとなーく、
日本の子育て(教育)より、海外の子育て(教育)の方が良いという印象って、ありませんか?
具体的に何が良いかなどというより、イメージのようなものです。

 

私はありました。
なんとなく、子育てを学ぶなら海外の子育てかな、みたいなレベルのイメージでしたが・・・。

 

日本の子育てに良くないイメージを持っていたわけではなく、
漠然と、海外の子育てや教育には、学ぶべきところがたくさんあるだろうなと思ってました。
もちろん、それは間違いではなくて、海外に学ぶところはたくさんある!という前提で、今日は記事を書きます。

 

 


この本を開き、
序章の最初の部分をそのまま引用してみます。



序章 私たちの国の子育て文化

「これほど子どもをかわいがる人々を見たことがない」

『逝きし世の面影』などの本に、次のようなことが書かれています。
 「幕末から明治初期に日本を訪れた欧米人の多くが、日本の子どもたちが様々な遊戯をしてにぎやかに遊んでいるようすや、礼儀正しくしつけられている姿、大人たちが子どもを大切にし、子どもと遊び、子どもの成長を楽しみにしているようすを、驚きと好感、そして驚嘆をもって記録している。
 たとえば、幕末の駐日イギリス外交官であり『大君の都』を著したオールコックは、“子どもの楽園”という表現を使い、大森貝塚を発見したアメリカ人のモースは、『日本は、子どもの天国』であり、『世界中で日本ほど、子どもが親切に取り扱われ、そして子どものために深い注意が払われる国はない』と記述している」


 1878年、単身で日本を訪れたイギリス人女性のイザベラ・バードは、その著『日本奥地紀行』の中で、次のように書いています。

 『私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない。子どもを抱いたり背負ったり、歩くときには手をとり、子どもの遊戯をじっと見ていたり、参加したり、いつも新しいおもちゃをくれてやり、遠足や祭りに連れて行き、子どもがいないといつもつまらなさそうである。他人の子どもに対しても、適度に愛情をもって世話をしてやる。父も母も、自分の子どもに誇りを持っている。見ていて非常に面白いのは、毎朝6時ごろ、12人か14人かの男たちが低い堀の下に集まって腰を下ろしているが、みな自分の腕の中に2歳にもならぬ子どもを抱いて、かわいがったり、いっしょに遊んだり、自分の子どもの体格と知恵を見せびらかしていることである。…』

 

すこし長い引用になってしまいましたが、私はこれを読んで驚きました。

 
あぁ、日本の子育てって、海外からみたら素敵な部分がたくさんあるんだ。
よかったぁ。

 
もちろん、書いてあることの中には、現代では失われてしまっていることもあるけれど、子どもを抱いたり背負ったり、歩くときには手を取って、というのは、よくあることだと思いました。そう、想いませんか?

 


そう、この本のいう「あまえ子育て」の方法というのは、

抱っこ
おんぶ
添い寝
いっしょにお風呂に入る
いっしょに遊ぶ
いっしょにうたう・わらべ歌をうたう

ということなのです。
今日からでも、今からでも、できるようなことです。

 

 

 
ここで、「わらべ歌」と聞いて思い出すものがあります。
それは、松谷みよ子さんの絵本(あかちゃんのわらべうたシリーズ)のカバー内側に書かれている言葉でした。

 

赤ちゃんにわらべ唄を        松谷みよ子

 ほんのすこしむかし、母親は子守り唄をうたって子どもを育てていた。子どもたちもまた、あそびましょ、はぁい、またあとで、とわらべ唄のリズムが、日常語となっていた。町かどからは、かごめかごめ、とおりゃんせ、ことしのぼたんはよいぼたん、などという遊び唄が聞こえてきていた。
 赤ちゃんの顔をふくにもわらべ唄があった。おでこさんをまいて、めぐろさんをまいて、はなのはしをわたって、小石をひろって、とうたいながら鼻くそをとってやると、赤ん坊はキャッキャと笑う。鼻くそは鼻くそなのに小石といってとってもらうことのうれしさ。虚構と真実とのかねあいを赤ん坊はそこで覚える。それは文学への入り口であり、豊かな心をつくる源となろう。それが、いま、ない。わらべ唄は、消えさろうとしている。いまこそ赤ちゃんの世界へわらべ唄の本をと願うゆえんである。

 

わらべ唄って、確かに子どものころ、当たり前に遊びの中に入っていたものがあったように思います。

 
今うたうと、なんとなくメロディが古く感じてしまうのだけど、
そんなことを感じないくらい、今も当たり前にどんどんうたえたらいいなぁと思っています。
もちろん今も、児童館などでも、たくさん教えてくれますが、
少なくとも私は出産するまで「わらべ唄」という存在は忘れてしまっていました。

 

ただ、そういう私も、どうも歌詞やメロディがわからなくなってしまい、うたが止まってしまいます。

 

そんなときは、覚えてるワンフレーズだけずっと繰り返して、息子をなでたりくすぐったりしています。
とりあえず、できる範囲で、親しんでみるようなイメージですかね。

 

 

子どもが子どもらしく育つには、どう接するのが良いのかなぁと、
毎日考えている私の、今の参考図書でした。

 

 


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