見出し画像

『スターリンの鼻が落っこちた』感想文とか その2

ちょっと時間が開いたけど、感想文の続き。
本書の紹介については前回ので充分だと思うので、今回は私の下らない感想文でも書いてまいります。


本書で一番言いたい箇所

まずこれ。

作者が本書で言いたいことは色々あろうけど、私が思うには、一番言いたい箇所はやっぱ国語の授業でのルシコ先生の箇所でございましょう。

ルシコ先生が話している。
「『鼻』という作品が、現代の私たちにいきいきと語っていることは、つぎのようなことだ。わたしたちがだれかの考えを、正しかろうが間違っていようが、うのみにし、自分で選択することをやめることは、遅かれ早かれ政治システム全体を崩壊に導く。国全体、世界をもだ」
ルシコ先生は教室全体を、意味ありげに見まわしていう。
「わかるかね?」
もちろん、わかるもんか。このルシコ先生は疑わしい。ぼくはずっと思っていた。どの先生もラジオで聞くようなきちんとした言葉を使うが、ルシコ先生は使わない。でもこの先生のどこが悪いのかわからない。ぼくは向きを変えて、そこを離れた。

『スターリンの鼻が落っこちた』後半あたり

わたしたちがだれかの考えを、正しかろうが間違っていようが、うのみにし、自分で選択することをやめることは、遅かれ早かれ政治システム全体を崩壊に導く。国全体、世界をもだ
政治システムや国や世界が崩壊するということは、もろちん自分自身も、ということでございます。

そして、これは本書に出てくるような社会主義や独裁政治に限った話ではなく、前回の『かもめのジョナサン』第4章と全く同じことなのであります。

だから『かもめのジョナサン』の次に選んだのが本書なんですけどね、初見さん。

ゴーゴリの『鼻』

そんな啓蒙的(文字通り「世間の多数派である愚か者共の目を覚まさせる」という意味)な主張の元ネタになっているゴーゴリの『鼻』なのですが、

そんな主張の元になるくらいだから一体どれくらい素晴らしい作品なのか、未読かつ青空文庫にあったため、本書を途中で止めて読んでみることにしたのであります。

…何やこれ一体。

ヤーコウレヴィッチだのコワリョーフだのイサーキエフスキイ橋だのウォスクレセンスキイ橋だの、相変わらず読みにくい名前のオンパレードで、読んでもちっとも面白くない!

これなら鼻は鼻でも芥川龍之介の『鼻』の方がよっぽど面白いじゃないか。こんなわけの分からん話読まさせられて、どうしてくれんのこれ。

しかも作者のゴーゴリ、なんか「ロシア語こそナンバーワン!ウクライナ語なんて滅びろ!」みたいな主張をしていたというじゃございませんか。

あーもうめちゃくちゃだよ(杉田智和)

というわけで、本書に出てくるルシコ先生の『鼻』に対する解釈というのは、著者独自のものだということが判明したのでありました。

それにしても本書ってやたらと「鼻」が出てくるけど、鼻がとれてしまうのってロシア文化圏的に何か意味があるんかいな?

誰か説明してくれよ!

これは社会主義に限った話ではない

このように、やはり私はロシア文学と相性が悪い、露文科なんかに行く奴の気がしれないという悲しい結果になってしまったのですが、

話を元に戻すと、本書を読んだ感想文というのは十中八九、子供に限らずいい歳こいた大人ですら、
「社会主義って怖いな~とづまりすとこ」
というものになるでしょう。

しかし、これはソ連やら文革時代の中国やらに限った話では断じてありません。

  • 「小学校→中学校→高校→大学→サラリーマン」という奴隷生産システム

  • 「東大卒業したから偉い」「金持ちだから偉い」というクソみたいな価値観、権威主義や拝金主義

  • スターリンや毛沢東も真っ青の、会社に忠誠を誓い、自身の健康や尊厳を犠牲にし、果ては命を捧げることもいとわない「会社至上主義」

  • 自治体やPTAという隣組みたいなシステム

  • 「おらが議員」とかいって利権まみれの田舎者共が国会議員を選ぶという、半ば世襲化した政治システム

そして、いくら税金が上がろうが政治が腐敗しようが何しようが、社会のシステムに疑問すら持たず、自分で確定申告を行う知識すらなく、選挙にすら行かない大多数の馬鹿共。

程度の差こそあれ、現代日本も社会主義国家の洗脳された民衆と同じようなものじゃないですか。

要するに本書は、「社会主義、独裁政治怖いな~」という本ではなく、
「他山の石」「人のふり見て我がふり直せ」「自戒」の為の作品なのであります。

自分の選択に覚悟と責任を持て

それでは、この閉塞的な社会でどうすればいいのか。

自分が洗脳されていることにすら気付かず、本書でいうところの「誰かの考えを鵜呑みにし、自分で選択するのを放棄したまま一生を終える(これが日本人の大多数)」のか、

かつての日本赤軍みたいに、無能共がお手々つないでチンケな「革命ごっこ」でもやらかすのか、

はたまた奥崎謙三みたいに「国家というものは個人を分断する暴力装置である」とか主張してアナーキズムに走ればいいのか、ということでありますが、

私の意見としては、

「キャピタリズムだろうがアナーキズムだろうがマキャヴェリズムだろうが何だろうが、自分で好きなようにすればよい。ただし上記の通り、他人の意見を鵜呑みにせず、自分で選択し、その選択に対して覚悟と責任を持て」

という、『かもめのジョナサン』の時と同じものになってしまいました。

こちらの方がちょっとポリティカルだけど、主題が同じだからね。しょうがないね。

以上、本書の感想文はここまで。

夏休みの宿題で読書感想文がでるご家庭のお子様は、この感想文を丸パクリしてOKやで。

追記

あ、そうだ(唐突)
本書には社会主義国家特有のアネクドートも載っているので、紹介しておきます。

ハハハ、ナイスジョーク(白目)

あと、日本、特に経営者連中の私利私欲を満たすために夜中まで端金で滅私奉公させられる日本企業が嫌ならば、うちの弟みたいに日本を出ていくという手もあります。

ただし、月収3~4万ドルくらい稼ぐにはそれなりの運と才能がいるだろうし、金はあっても外人って予想以上に無知でアホな底辺の比率が高いので黄色差別はあるし、おまけに気候は厳しいしで、「楽園」など探し求めても外界には無いのでございます。

※権力を振りかざし、散々やりたい放題やっていたスターリンが「楽園」の住人で平安な人生だったかというと、猜疑心やら何やらに終始苛まれ、全くそうではなかった、というのは皆さんご存知の通り。

なので、内なる「楽園」そして「平安」を見出すため、私の主催するキラキラ☆ハッピー教に入信しましょう。そして毎日「神様仏様キラキラ☆ハッピー様」と唱えましょう。
今思い出したから一応言っとくけど。









この記事が参加している募集

読書感想文

応援、ありがとー