見出し画像

君は全然不満を言わないね、なんでそんなにポジティブなの?バーンアウトしないの?

よくそんなことを言われる。

現場を知ってもまだ国際開発・国際協力続けようと思うの?、なんで地球の裏側まで来て日々ぼったくられて差別されて小ばかにされてても現地の人のために働こうと思えるんですか、虚しくならないですか?だってぜんぜん変わってないじゃないですか…。

一時退避中の暇な身分だから隊員同士で通話をする機会がそれなりにあって、これからどうする?みたいな話のときにはこうなる。

ごもっともだなあと思う。ぼくも直感ではそう思う。なんどか心折れてる。

なんでこんな人たちのためにぼくの人生を費やさねばならんのだろう?アメリカの人種差別の映画を薦めてきながら、同じ口で あの中国人の言葉はわからないからと「チンチョンチョンチョーン」と小バカにできるのなぜなのか?ぼくも同じアジア人なんだが。なんて愚かな人たちなんだろう、せっかく手を差し伸べているのに。自らその申し出を放棄してるようなものじゃないか…って。

マザーハウスの山口さんが著書の中で述べていたような、そんなんだからいつまで経っても貧乏なのか、貧乏だから教養がなくてそんなこともわからないのかどっちなんだろうって考えたりもした。


クソが!って思いつつ、冷静になると、でも日本でもあまり変わりないかと思ったりする。

ぼくは債務整理や過払い金請求をやってた司法書士にはなれなかった人間だけど、行政書士の資格は持っていて、ほんの少しだけ補助者として働いていたことがある。

そこの所長にまず言われたのは、ヘンな正義感は持たないように、だった。

当時20歳そこそこだったぼくはよく意味がわかっていなかった。新卒で社会のことを知らなかったのもあるし、困ってる人の役に立とう!それが正しいことだと純粋に思っていたから。

面接の時からヒントはあった。ぼくが事務所で面接を受けているとき、多重債務で困ってる依頼主から(事務所に払う)報酬のを減らせないかと電話があったから。そんなにお金に困ってるんだな、切羽詰まってるのかと思ってのだけど、そうではなかった。

当時、過払い金訴訟というのが流行っていた。これはヤミ金など高利貸しからのグレーゾーン金利が法改正で違法となり、さらにその違法性は遡及することに起因する。簡単に言うと、払い過ぎたお金が返ってきますよというもの。

(例えば、10万円を金利40%で借りると、1年後には14万円返さないといけないことになる。これが法改正で20%以上は違法となり、返済が完了していれば2万円が利息付きで返ってくる。簡易化してるので法的にも正しくないし実際はこんなに単純じゃない。一ヶ所からだけじゃなく、2つ3つと消費者金融からお金を借りてたりして、何年も利子の支払いだけ延々とやってたりする。だから本来ならとっくに支払いが終わってるはずなのに…なことも多々あって、その場合、返ってくる過払い金は300万円を超えることもあった)

で、その過払い金を取り戻したい依頼主というのは、一皮めくれば猜疑心が強く、強欲で自己中心的な人が多かった。

こういう仕事の場合、成功報酬制で、消費者金融から取り戻せたお金の30%は我々の報酬としていただきますよ、というような契約を行う。依頼主も損をする話ではないから、お金が返ってくるならと了承する。けれど、具体的に返ってくる額が明らかになりはじめると、急に報酬の減額の話を持ち掛けてくる。「ちょっと取り過ぎじゃないですか?」というやつ。

この手の仕事の場合、消費者金融から、代理人である法務事務所に過払い金が支払われる(口座に入金される)。そこから報酬額を引いたものを依頼主に渡す。

そのお金の流れなんだけど、ある依頼主は返ってくる額が200万円だと知るやいなや、「まず、私の口座に振り込んでもらえませんか。それからおたくに報酬をお支払いするので」と申し出てきた。「ちょっと信用できないんです…」とも言った。

これをはい、ではそうしましょうとすると、うちの事務所に報酬が支払われることはない。まず連絡が取れなくなる。

返ってくる額が本当に200万なのか、もっとあるんじゃないかと疑う人も多かった。最初に報酬のパーセンテージについて合意したはずなのに、お金が返ってきたのに横領したかのように口汚く罵る人もいた。あんたらも結局詐欺師じゃないか!って。

いろんなところからお金借りまくって首が回らなくなってたのを金融屋と交渉して1つにまとめたり、払い過ぎた分を返してもらう交渉して返ってきた、嬉しい報告を依頼主にしてこれ。世知辛い。

そんな人たちを見てたんだから、たいていのことは大丈夫だし、何分とか長くても何日かで復活できるし、助けを求める人たちはスレてなくて善良な人たち!みたいなヘンな幻想なんて抱かなくなる。

まさに、闇金ウシジマくんの世界。人間のイヤなところが全部でてた。

もちろん、依頼主みんながみんな浅ましかったわけではない。ないけれど、正しいことをしても感謝されず悪態つかれることもあるんだと学んだ。

返ってきたお金がすぐパチンコや競馬、風俗に費やされた例も知ってる。だらしない、どうしようもないような人たちがほんとに目についた。

それでも、全体としてみれば、少しでも昨日よりは良い社会になっていると信じていた。

その気持ちを今も持ってる。

去年話題になったファクトフルネスという本には、社会は激的に良くはならないが、ゆっくりと確実に以前より改善していっている。進歩してるというのをデータ(ファクト)を使って説明されていた。

ぼくはその「ファクト」を頼りにしているところもあるし、まだバーンアウトするほど、やりきった感があるほど仕事してない。

このやり方でうまくいかないなら、今度はあれならどうだろう、政策的な問題ならなんとか、政策を変えれないものか、どんな政策がよいのか、政策の問題ではなくて評価システムの問題なのか、マインドさえ変えることができれば、あの知識があればこの課題は解決できるんじゃないか…

諦めが悪いからかどうかはしらないけれど、まだぼくは大丈夫…だと思う。

あ、これが罪を憎んで人を憎まずってやつなのか。貧しさとか、生活に余裕がないとき人は社会性を失うのかもしれない。知らんけど。

この記事が参加している募集

推薦図書

サポートはいつでもだれでも大歓迎です! もっと勉強して、得た知識をどんどんシェアしたいと思います。