悪魔

不登校になるちょうど1年前のことだ。5月27日、男友達の三上が梨央に告白をしていた。三上が梨央を好きだという話は、本人から相談をされていたので知っていた。

三上の言い分はまぁ、分からないでもない。当時すでに梨央は、私の肯定の成果でなかなか手のつけられない女になっていた。それを見る三上の目は「興味」だった。アレがそばにいれば、退屈しないし効率よく退屈を埋められる。どう考えても「恋」ではないので安心した。彼は一人っ子で、「普通」に生きることが正しいと考えている。恋だったら、彼のためにも殴って止めなければいけなかったので。


そのような経緯で、私は梨央の話を無限に垂れ流せる場所を見つけたので、三上と行動することが増えた。三上も、この日までは梨央への思いを誰にも明かさなかったので、私と一緒にいるのは都合が良かったようだ。もともと成績が同じくらいだったので話が合う我々を「付き合ってんの?」と揶揄する人間は一定数いた。三上はずっと梨央の方が好きだったし、私も私で三上より大切なものがあったので、そんな事実は無い。

お互い信頼なんかしてなかった。梨央の友人という立場で、仮にも「友人に恋する男」に湯水のように情報を渡す女に信頼も何も無いだろう。しかし、私はそれ以上のことはしなかった。梨央には三上の思いを悟らせないように注意していた。告白された梨央の様子を見て、三上のほうが驚いたという。絶対に、本人に話していると思っていたと語っていた。

誰かのために行動を選ぶなんてガラじゃないのだと息をつく私に、1番早く状況を理解した佐藤──私や三上と同じくらいの成績の男だ──がこう言った。「最善の行動を尽くした」。その時初めて、私は私自身を肯定された、と思った。それから、本格的な「記録」を決意した。


友人の梨央は、去年まで同じクラスだった「アイツ」に恋をしていた。この事実を本人は口止めしていたが、アイツと梨央の両方を知る人間であれば、梨央の思いはすぐに分かることだ。だから、三上も佐藤も梨央の思いを知っていた。この事実は断じて、私から垂れ流したものでは無い。

アイツと梨央は、けして悪い関係ではなかった。少なくとも、この日までは良好な関係を築いているように見えたし、どちらかが気の迷いを起こしたとしても想定範囲内だろう。だから、私も茶化したり邪魔したりはせず、時に見守り、時に応援し、時に交渉道具として利用していた。三上も梨央に興味があったので一切茶化さなかったし、そんな私たちを見て佐藤もそれに倣った。当然、梨央は告白を断った。三上もそれで話を終わりにした。その先は梨央を見守りつつ、ゆるやかに四季が流れるだけのはずだった。


確かに、梨央の様子からアイツの方が察するのは時間の問題だろう、とは思っていた。その時私には何が出来るだろう、と一応友人の立場として考えていた、あれから2週間もしないある日のことだ。6月の朝、三上が私だけを呼び出した。「アイツが、梨央のことを振っといてほしい、と頼んできた」三上がそう言った。「私から梨央に告げておこうか?」と持ちかけた。三上から梨央にそんなことを言っても信用しないだろう、と思ったのだ。いや、と私を引き留め、こう続けた。

──これを梨央に黙っておけば面白いんじゃないか?

面白いに決まっている。し、悪くはならないだろう。梨央がアイツに夢中であるうちは、梨央のためだけにドラクエをやる必要は無いだろう。それ以外にもメリットが山ほどある、とすぐに思い至り、2つ返事で了承した。前から考えていた糸の触媒のひとつを梨央に決めたのだ。

その日のうちに、不公平だろうと佐藤にはこの情報を渡した。この間のお礼のつもりだった。「悪魔かお前らは」と言いつつも、最後まで秘密を守ってくれた。小学生の「秘密」なんてたかが知れている。持って10月の修学旅行ぐらいまでだろうと踏んでいたが、結果的に1月末まで秘密を守り通すことになった。途中、追加メンバーとして玉繭と野口には秘密を明かしたが、例えば梨央と私の共通の友人の町子や理には一切情報を流さなかった。5人のうち誰か1人くらいヘマをしそうなものだが、梨央本人がヘマをしただけである。


しかしまぁ、秘密を持ったところで何かが変わるわけではない。私たちには私たちで、それぞれ生活がある。三上はこれでも顔が広いので友人が沢山いるし、私も同時進行で探しているものがある。佐藤も、クラスの男子の中心にいる。野口も玉繭も、見えないけれど生活がある。人間の本質を見透かすことが出来ても、生活のことは想像できない。分からないことがある、こればかりはどうしようもない。それを忘れてはならない。だから梨央にも梨央の生活があるのだ、と考えていた。


異変が起きたのは9月ごろだった。この頃、最後のひとり、野口に秘密を明かした。私、梨央、佐藤、それから野口ともうひとりの男子。このメンバーで班が組まれ、修学旅行に行くことになっていた。佐藤にも体裁というものがある。野口は三上とも仲が良いし、私ひとりで梨央を抑えきれない時があるだろうと判断した。

今までは辛うじて、笑い話に転じることが出来たが、どうもこの頃から梨央は何かがおかしくなった。前よりもずっとお喋りになった──この私が、若干迷惑だと思うレベルで──かと思えば、ボーッとしていることが増えた。ふとした時に、どこかへ意識が飛んでしまうのだ。この様子から、「梨央がおかしくなった」というのはすぐにクラス全体に広がり、暗黙の了解のひとつとして組み込まれた。

秘密を持つものとして、微妙に罪悪感のようなものを感じるが、私たちは見守るだけで特に何もしていないのだ。我々5人の中でもっともキツく梨央に当たっていたであろう私も無駄にこの生活に全力を尽くしていたので、諸々怪しまれないように「アイツ」の話を道具にすることをやめ、肯定に努めた。その上で相変わらず歪な友情の形を保ち、攻撃的な態度や行動は取らないように気をつけた。

当然裏で秘密をばら撒くような行為もしなかったので、平和そのものだ。私たちは友達ではなかったかもしれないが、どちらかが一方的な加害者/被害者とは言えないだろう。梨央の変化は何を原因としたものなのか分からないまま修学旅行が終わり、席替えをすることになってしまった。


スクールカーストというものがある。私は大抵、成績という目に見える実力と頭の回転の速さだけで人間関係を作れたので、ドン底で怯えることはなかった。ドン底にいる人間が私を頼ることはよくある。ずっと前からそうだ。小5以降、若干それを利用して「好きではない人間」を優先して友人の立場に置くようにしていた。いつかこの家から出るための無数の可能性の糸を、もっと鮮明にする必要があったのだ。

梨央は糸の触媒としてとても良かった。私にマウントを取れるのが気持ちいいのか、無限に新しいものを見せてくれる。肯定し、私がそれを取り入れれば機嫌が良くなり、また新しいものを探して持ってきてくれる。そんな永久機関を両親はよく思わなかった。両親が梨央と仲良くするなと言う理由はよく分かった。こればかりは、本当に両親が正しいと理解している。

だからこそ、私の体や心に不調が起きた場合「あんな子と仲良くしているからよ」と言われる対象にする必要があった。他の子だったら罪悪感で死んじゃうけど、梨央であれば爆笑できるから。梨央以上の触媒は見つけられないだろう。そんな梨央とはこれまで数度同じ班になってるから、一旦別の子と過ごして休もう。流石に先生も咎める。


男女に分かれ、それぞれ2〜3人組を作った後、組み合わせる。スクールカースト最底辺の女2人がまた余って、また同じ班になるのはまずいだろう、と誰かが言った。じゃあ2人が指名すればいい、ということになり2人とも私を指名した(知ってた〜〜!)。声のデカい女の視線が、願望をありありと伝えてくる。ウルサ、遅れて来てコイツらと組みたくねえから卑怯なこと言うが全部悪いわ、と真逆の行動をとった。というわけで玉繭と同じ班になったのである。

玉繭は我々の秘密をしっかり守ってくれたし、話にもついてきてくれる賢い少女である。普通の感覚を持ち合わせた良い子だ。こんなにきれいな子はなかなかいない。ではなぜカーストが下の方かというと「治安悪そう」これに尽きる。声のデカい女たちは、もうひとりの運動も勉強もできず、何をやっても足手まといの女の子を引き取ってほしかったに違いないが、親切には対価が要るのだ。彼女らとは友達ではないし、観察で得られるものも無い。


そうして席替えが済み、隣の席になったのは川村だった。ちなみにまたしても佐藤とは同じ班になってしまったのだが、梨央がいないというだけで話題はガラリと変わった。川村と玉繭は、とても仲が悪い。どちらの方が治安が悪いか……みたいな視点で嫌っているらしいが、五十歩百歩である。暴力しかなくて馬鹿馬鹿しい。だからほんの好奇心で、川村のほうに加勢したのである。川村の言うことを、ほんの少し肯定した。

その日を境に、玉繭をいじめるという空気があっという間に広まってしまった。しまった、と気付いた時にはクラスの新しい暗黙の了解のひとつになっていたのだ。遠い席の梨央が加勢するようになった頃には、取り返しがつかないことになってしまった。流石に担任の先生が主犯格の川村たちに指導に入った。

この時の反省は本気だった。とはいえ、担任の先生にはなんの期待もしていなかった。っていうか、大人のことを期待してなかった。大人だって、人間のすべてが分かるわけではないのだ。やれ被害者の心が、一歩間違えれば犯罪だ、そんな話をされるのだと話し合いの時間を憂鬱に感じていた。この1件は私が引き起こしたのだが。先生が言ったのは、想像とは全く違う言葉だった。

──玉繭さんが、もしも長く学校に来れなくなって、授業についていけなくなったらどうするんですか。

のちに私はこの言葉を、身を以て痛感することになる。不登校になった時、これは罰だ、と強く思った。


考えることをやめたら死ぬ。考えるためには勉強がいる。学校で、何のために勉強するのか? 全部「考え方」の勉強なのだ。最善を導くための考える力を身につけるために、算数をやって、国語をやって、社会や理科をやる。考えることをやめた奴から、死ぬ。

席替えを終え、また生活を立て直す。1ヶ月強梨央を放置していたが、何も終わっちゃいないのである。やはり梨央は少しずつ、だが確実におかしくなっていた。ここで、ひとつの仮説が浮かび上がるが「いや、これから中学に上がるから私は何もしなくていいだろ」と黒く塗りつぶした。

我々にはいくつもいくつも糸があり、月の裏側には宇宙人がいる。ワザワザ詮索しないが、誰しも月には裏側が「ある」ことを知っている。しかし梨央の月の裏側には、宇宙人がいないどころか「何も無い」んじゃないか? そういった孤独や身に染みるような寂しさが梨央をおかしくしていた、として、我々にできることは何も無いのだが。

三上は親が過保護だというし、塾に通ったりと忙しいだろう。そもそも帰り道が私たちとは真逆だ。佐藤、野口や玉繭もそれぞれ生活があって、私たちではない友がいる。私も私で、長期休みには町内の集まり以外では学校の友人と会うことすら無い。梨央とは同じ町内に住んでいたが、目的達成の邪魔になる可能性が非常に高かったので「来れば?」などと声をかけたことは一度も無い。私たちはすぐに中学生になる。体が大きくなれば、50万で上京できる。


卒業アルバムを支える指先はすでに傷だらけだ。中学に上がったのち、三上とどのように付き合っていくかは考え中だ。これから沢山、新しい糸を張る予定だったから。彼が私の卒業アルバムに書いてくれた言葉は呪いか救済か分からないけど、どこかに刺さったまま抜けなくて苦しい。普通に幸せになって、目立たないように生きなさい。無理だろう、そんなのは。

三上よりも大切なものに対し6年かけて導き出した結論は、言葉にならないまま月の裏側に細かく分けて隠した。もしも中学校に通えなくても、達成しなければならない目的はブレない。


母はいざという時、私の日記を躊躇いなく読むに決まっていると、ずっと思っていた。実際その通りになった。だから、バラバラにして隠す、または暗号で記載する必要がある。本格的な「記録」の目的は2つ。純粋にこれから面白くなるだろうから、のちのち作品の題材にするためと、目眩しのためだ。

このような目的を持って記録を続ける中で、断片的に事実のみを記述しておけばのちに見返したときに、事実に伴う感情、その日の記述しなかった他の出来事をズルズルと引き出せることに気付いた。梨央はネタに尽きないので、毎日何かしら文字に起こせる出来事があった。その裏で進行させていた思考はほとんど記述しないまま、今も覚えている。

浴びるように音楽を聴くようになってからは「その日、その音楽を聞きながら考えていたこと」を思い出せるように歌詞を記載しておく、という手段も使うようになった。それを見た母が「DJみたいで面白い」と言っていたので、今もインターネットを続けられている。

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