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ブルース

NHK BS1の「駅ピアノ」なる番組は、我が家のお気に入りのひとつだ。最近は空港やショッピングモールなどに広げて放映している。番組では、各国の駅のホールにピアノを設置し「どなたでも自由に弾いてください」と案内しておく。ピアノにはカメラが設置してあり、人々が自由にやってきて勝手に弾いてゆく、という趣向だ。




様々な人種の、いろいろな立場の人々がメロディを奏でる。現役プロのピアノ弾きから音大生、ピアノ教室に通っている子ども、無職の人や家のない人まで、老人、子供、男女を問わず弾き、歌う。ときには、とんでもなく素晴らしい演奏をする人がいて、通り過ぎようとする人々が足をとめ楽曲の輪の中に入る。たまたま持っていたサックスやトランペット、ギターなどと大合奏になることもある。そして演奏が終わると素晴らしい刻を称えあいハグをし、握手をして別れてゆく。




今回のコロナ禍では、欧米などのパーソナルスペースの近さが仇となってしまったようだ。コミュニケーション能力に優れるからこその急速な感染の拡大だった。コロナ禍が日常となり、ソーシャルディスタンスをとらねばならなくなった社会の意識は変わるといわれて久しい。パソコンの画面や携帯の画面でコト足りると感じるようになるのでは、というのだ。

本当だろうか。




人間のコミュニケーションは画面では判らない顔色、声色、体温、匂い、オーラなども感じることで成り立ってはいなかったか。握手やハグやキスは、本当に必要のないものなのだろうか。出かけることでこそ偶発的な素晴らしい出会いがあったのではなかったか。




もちろん、感染のリスクが残るうちは当然、他人との接触を極力避けねばならない。ウェブを利用してのコミュニケーションはコロナ禍の現在、実際に僕たちを助けている。だが、それで人同士の交流のすべてをまかなえるとは、到底思えないのだ。
人は、他人との肌の温もりのなかでこそ成長するのだから。




オランダで撮影された「駅ピアノ」でブルースを弾いた女性がインタビューに答えている。
すると、もう高校生と大学生になるというのにじゃれ合ってソファでくっついて番組を観ていた息子が娘になにやら尋ねた。




「ブルースって、何だっけ?」
「音楽のジャンルだよ。」
「あ、そうなの?でも、、、」
「ジャズなんかに近いやつかも。」
「ええ?でもなんかさぁ、、」
「なあんだよっ!?」
「あのさ、ベイ・ブルースとか、ブルース・リーとかってゆうじゃん。。。。。」

オイオイ。

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