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本当はひとりでもずっと生きていけるのに、

どうも、とーふです。
先日実家へ帰省した時に、おにぎりが食卓へ並んでいました。祖母が作ったものらしいです。中身は何かと聞くと、梅干しだと返ってきました。
私は昔から梅干しが苦手です。おにぎりの具でも自分から決して選ばずに生きてきました。ですが、すごく美味しいと言っていたのでそれならばと気になり、意を決して食べてみることにしました。
初めて食べる梅干しおにぎりは、塩気と柔らかさが絶妙でご飯とめちゃくちゃ相性抜群でした。私は、数十年生きてきて生まれて初めて梅干しのおにぎりを美味しく感じました。おばあちゃんありがとう。

さて年は明けてしまいましたが、先日こっそり書き溜めていたこの話を放出しようと思います。梅干しは全く関係ないですがどうかお付き合いいただけると幸いです。文量は少々長めになります。


毎年クリスマスが近づくと、必ずこの感情が押し寄せてくる。

「なぜ私には彼氏がいないのか」

友達や家族とクリスマスを過ごしたことはあるが、彼氏と過ごしたことは生まれてこの方1度もない。
あろうことか2022年は完全なクリぼっちで、友達にも家族にも会っていない。

おひとり様には慣れているが、それでも冬になると無性に寂しく虚しくなる。肌寒く誰かと身を寄せ合うような季節柄のせいだろう。



私にはここ数年、彼氏がいない。
学生時代に付き合っていた相手はいるが、その人と別れてからは彼氏の「か」の字も現れる気配がないのである。
正直に言えば彼氏だって欲しいのだが、焦りの感情から誰かと付き合うのだけは避けたいところだ。自分に合わない人や一緒にいて疲れる人とわざわざ一緒にいたら疲れてしまうんだろうな、焦って変な人探さない方がいいよな、と思いとどまっている。

マッチングアプリは試してみたのだが私には合っていなかった。初対面の異性と2~3回話してみてすぐ付き合うかも、付き合わないかもの判断に移行するこのペースの速さが苦手なのだ。もちろん相手のことをすべて知った上で付き合える訳でもないのは分かってはいるが、ある程度性格や行動を把握してから相手を好きになりたいと考えてしまうのだ。

例えば行列があった時、スマホを眺めながら並んでひたすら待つ人なのか、それともそもそも行列に並ばずに入れる場所へ移動する人なのか。その選択だけでも性格の違いが出たりするだろうな、と思う。(ちなみにこの例で言うのなら私は前者)
私は慎重なのだろうか? 何回か…少なくとも5回以上接触する機会があって、自分も相手も5:5で喋って、その時に自分がリラックスして話しているなぁと客観的に感じたら、恋愛に発展しそうだと思うのである。それは友人関係においても同じなのだろう。

と、偉そうに語っておいてなんだが、客観的に振り返れば、人付き合いが苦手な性格かもしれないと思っている。同級生や同期と打ち解けるまでに膨大な時間がかかってしまうのだ。メンバーに慣れた頃クラス替えやら何やらが起こるため、また1から関係性を構築し直すことが始まるのである。そんなわけで、人生を振り返るといわゆるぼっち期の方が大半を占めているだろう。
まぁ、周りの人間関係を築くときにも力が入りすぎているんだろうな。これからは60%の力で生きてやろう。

そんなこんなで彼氏やら友達やらの積極的な作り方を忘れてしまった代わりに、「おひとり様」でどこへも行けるメンタルが身についた。先日初めてした一人旅も、その延長線である。自分で自分の機嫌を取り、自分を愛することが出来るならそれでいいじゃないか、と開き直ってしまった。

(一人旅の記事はこちら↓)




話が脱線しまくって、私の蛇行運転に磨きがかかったところではあるが、懲りずにまた話が少し変わってしまう。
そんな私にも、現在少しだけ気になっている人がいる。私の中では「推し」的な存在だ。ちなみに、とっても顔が良い。しかし、その人とは残念ながら未だに何の進展も無い。それこそ5回以上長く話したこともあって、話す時の距離感も心地いいのだが、驚くことに何も無い恋愛に発展するフラグが0である。

付き合っていた恋人と破局してしまったと風の噂で聞いたことはあるのだが、その後の恋愛事情を知らない。もしかしたら新しい相手ができた可能性だって考えられる。しかし、私から聞き出そうとも、その人から言い出そうともしたことがない。その気配すらない。そこに関しての話題を私も彼も踏み込まず触れていないのなら、そもそも恋人関係のスタートラインにすら立っていないような関係なのだろう。(なんにも進展がない時点でお察しの通りだが…)
たまたまタイミングが合えば喋るだけの人で、きっと私のことは恋愛対象として見ていないのだろうなと、なんとなく直感でそんな気がしている。
なにか2人きりになれる機会があるなら、スタートラインに立てるチャンスはあるのかもしれないが、いかんせん2人で遊びに行ったこともない。食事にすら行ったこともない。ここで先程挙げた例のように「行列に並ぶか並ばないか」、(例にはないが)「店員さんへの態度はどうか」など、実際のところ彼の素の性格を知らないのである。(過去に彼から優しく接して貰えた経験はあるが、私以外の人にも優しいことが通常運転かどうかすらもわからないのだ!) その状態で「気になる」とほざいているのだから、「マッチングアプリの話はどうした!相手の性格知るのが先じゃないんかい!」と自分で自分にツッコミを入れたくなる始末だ。

このまま何にもなく、交わる機会すら終わってしまうのか? それとも、なにか特別な接点が持てるのだろうか?
どこか期待のような、希望のような淡い感情を持っている自分が鬱陶しくなる。一人でも生きていけるだろうな、なんてさっきはそう言ったくせにこんなことを思ってしまう私って、すごく面倒な人だな。こんなことを書き連ねると、自分に酔っている人みたいなんだし、はやくこんな感情を片隅で処理して欲しいのだけれど。

でも私は、恋人という名前になってもならなくても彼と接点がなくなるまで良い関係でいたいと思ってしまう。私か、彼か、どちらが先にいなくなるかは分からないけど、いなくなるときは笑顔で「ありがとうございました」といえる関係でいたい。


そんなこんなでもやもやしている間に年は明けてしまったが、今年は件の彼となにか接点は得られるのだろうか。仮に得られなかったとしても、私の胸を躍らせるような相手に出会えるのだろうか。焦らなくてもいい。気長に待てばいい。初詣でおみくじを引いた時に、自己主張は慎めと書いてあったんだから。自分から積極的なアピールを繰り返すなという暗示なのだろうから。これでいいんだと、ただ言い聞かせている。

この先まだしばらく寒い季節は続く。
桜が咲く頃には私の中の人恋しさも落ち着いてくれるのだろうか。冬は感傷的になって私じゃないみたいだ。嫌だなぁ。


ひとつまえの恋愛こじらせ記事はこちらから

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