4/26(水)宇野重規×上田洋子「保守とリベラルは本当に対立しないのか──ウクライナ戦争を踏まえてあらためて問う」

前置き

前半パートについて私なりにメモをしました。
かなり大雑把にメモをとっているので、過不足ありましたら申し訳ありません。
1.が上田洋子さん、2.が宇野重規さんです。

本編・前置き


1.早速定義を教えてください
2.自分は保守とリベラルという本を書いたが、それほど二者択一かどうかは疑問
時代によって随分違い、保守と革新という言葉を使っていた。(価値がぐちゃぐちゃ)
1.今の子供たちがそもそも革新というのがわからないのではないか
2.保守とは守っていくというニュアンスがあり、核心には進化・発展という意味があった。
前の時代だと保守は古臭くて、革新はその逆と思われていた。
今、よく観察すると直感的に保守は共産党と考えられ(憲法などを守れという)逆に維新が革新(改革をしろという)から
89年ごろに議論の座標軸がぐちゃぐちゃになり、どこか入れ替わった節がある。
やはり随分と意識が確変されている。
1.やはり冷戦崩壊が大きいのかな
2.そう。それから旧社会党が分裂した時、旧社会党が自民党に合流するとき、リベラルを自称し始めた。
しかし、意味はよく理解していなかった。
その辺りから急に話がこじれた。
1.90年代の頭ですね
2.それが全ての話を混乱させた
そもそも保守とリベラルは概念的に「対」ではない。
リベラルの対義語は権威主義や不寛容であるし、保守の対は革新や急進である。
アメリカの影響であり、ヨーロッパはいまだに右左。
1.つまり、民主党と共和党の言い換えか
2.そうですね
アメリカは最初から倒すべき権威がないまま国が成立したから、そもそもリベラルである。
弾圧された人たちが海を渡って個人として成立したから。
だがのちに自由主義者が2パターンに分かれ、政府が個人を縛り抑圧するから小さい方が良いという古典的自由主義者=今日における保守
20世紀に出現した、国が社会保障をしなければならない、政府の役割を積極的に認める=のちのリベラル
これは現在にも続く発想
すなわち、どちらも元々は自由主義者で、大きい政府が好きか小さい政府が好きか
リバータリアンを筆頭に「政府に何もするな」というタイプが保守である。
に対し、日本の保守は自分達への利権や箱物行政が好きで、田中角栄的なものが好きであるので、そもそも言葉としてずれている。
1.国が大きいからか?
2.それよりも、アメリカでは社会主義的なものが育たなかったため、その代わりの社会的役割をリベラルが担っている。
1.Publicの意味が違う?
2.そうですね。
1.アメリカって集合住宅そんなないんですか?
2.それはポイントかもしれない。住宅問題は大きい特徴で、戦後貧しかった時に、ヨーロッパで安価に全員の補償をしたのが左派。
しかし、アメリカでは公共住宅という発想に至らない。アメリカらしい。
1.アメリカにおける医療福祉をはじめとした福祉は薄いのではないか
2.アメリカでは福祉は優先度が低い。日本でも公共住宅が減り、民営化が進んでいてアメリカ化が進んでいるが、将来的にホームレスが問題となるので、将来的に公共住宅をめぐって政治対立が起こるだろう。
どちらにせよアメリカ的で日本には合わない

2.そもそも保守とは何か


2.フランス革命が起きた時にエドマンド・バークが保守主義の提唱者と言われる。
この人は実はアイルランド出身で、文学や美学が専門であり、王道派にいじめられているタイプだった。
そして自由党の党首で、王の批判を散々していた。アメリカ独立の際もアメリカを応援していた。よってリベラル派である。
しかし、フランス革命の時に、バークは「あれは良くない」と言った。その後、「フランス革命の省察」という本を書いた。
→古くて悪いからと言って全て壊すのは良くない。例えるならエアコンの調子が悪いからと言って家を全部壊して更地にするようなものである
と考えた
1.それは非効率である
2.それが結論であり、全て新しくするとかえってって上手くいかない。非合理性・古さの中にも意味がある。バークは革命直後からそれに気づいていた。「抽象的な理念に基づいて構造を全て一新することは不可能である。もとある構造をなるべく大切にし革新した方が人は自由に生きられる。」
マグナカルタとか言って議会がしっかりと機能していたからイギリスは良く、最初から人を抑圧し、革命前に急に議会など起こすからフランスはダメだった。
いまだに日本ではフランス革命はなぜか肯定的だけど、そう言ったものは頭が悪く、典型的なフランスかぶれであり、こう言ったものをバーグは否定していた。
しかし、今のロシアのように完全な独裁的なもの・崩しようがない体制はどうするのかという問題は置いておいて、これが保守である。
日本はこれまで、明治維新やGHQによってかなり古い体制を壊してしまっているから…
バーグの話は置いといて、全ての国に当てはまるどころか当てはまらないものが多い。
仮に善意であっても全て壊すとダメージが大きい。理性に従ってしっかりとしたつもりでも人間の理性は世の中のごくごく一部しかわからない。
日本にとって守るべき政治体制とは明確でないし、自主憲法を立てようって言っている人たちが保守と呼ばれている現状はあまりにおかしい。
明治やそれ以前にに戻ろうという発想や戦後昭和はよかったという人たちもいるし、現代的な保守の人たちは現在の天皇がイギリス留学組であり、リベラルを学んでいることを踏まえると、天皇とも衝突してしまう。
バーグが王政と喧嘩したのはジョージ三世がこれまでの王と違ってやる気を出してしまったため、これまでの議会制度が混乱しかけたから。
→大切にするかは置いといて保守にとって君主制は大事。
1.日本の保守は現状維持なのか?
2.左翼が日本を悪くしたからそれの打倒として保守がいるからそれは間違っている。今の日本の保守の人たちは必ずしも守るべき何かというものが明確にあるわけではないと思える。

3.そもそもリベラルとは何か


2.自分はリベラルであるが、リベラルとはよくわからない。そもそも日本におけるリベラル的政党はほとんどない。
リベラルの方が話がぐちゃぐちゃで長く、聞いてみても訳がわからない。
自由という概念は西洋において古代ギリシャ・ローマからずっとある。
自分のことは自分で決められるという自分が奴隷でないという意志がもたらしたものが大前提である。
日本がいう自由はこの定義に当てはまらない
日本語において自由とは「勝手だ」というニュアンスで悪く言われることもある。
柳田國男が自分の家の前にいたホームレスに文句を言ったら、「自由の権だ!」と怒った。このような勝手きままという概念が強い。
これは奈良時代ごろから日本語で自由が元々「勝手きまま」という言葉であり、フリーやリバティの役ではあり得ない。
ローマ人が自由というと完全に良いニュアンスであり、他人の恣意的意思に従わなくて良い「自立」というニュアンスの方が高い

「リベラルアーツ」とは本来、自由人として生きるために教養などを身につけておこうという動きであり、完全に誤訳である

だからこそどんどんずれ、今の日本のリベラルの悪い印象につながっている。
1.日本が完全に良い状態になった時、リベラルという概念に価値が残るのか
2.「奴隷ではない」という意識がもとであるのであり、上から目線なで、そもそも不平等でない状況ではリベラルは息をしない。
リベラリストは気取っている節がある。
しかし、これがデモクラシーと近代になって結びつき、ややこしい話になってしまった。
リベラルは多様性をもてとはいうが、どこか上からリベラルになることを強要する節がある。だからむしろ不寛容な感覚がある。
実は18世紀までリベラリズムという言葉はなく形容詞だった。(寛容的という意味の)
しかし、19世紀から政治的な用語になってしまった。しかし、ナポレオン戦争の時に発生した。ナポレオンが独裁的になったときに、それに反発したのがリベラルであり、
彼らはナポレオンで夢を見てしまった人たちでもあった。=頑張れば大きくなれるという経済的自由などに夢を見た人たち。
だから反体制派であり、
だからこそ、初期のアメリカはみんな根底がリベラルであるといえる。
そして日本は自己責任は押し付けられるものであり、許されないという粗相根本があるため、リベラルが成立し得ないし、本来意義とずれてしまっている。
やはり、福沢諭吉は賢いといえる。日本人が思う自由はずれていると気づいていた。福沢諭吉はリベラルな政治家と言える。
対して柳田國男の表現するような日本的な自由が定着してしまっている。
やはり現代においてしっかりリベラルと呼べる政治家・思想家と呼べない。
福沢諭吉から議論を進めるとわかりやすい。

2.これを踏まえた上で保守に傾向しそうだが、リベラルが複雑であるのみで、どちらが良いという話ではない。


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