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キルナの引越し

鉱山と共に生きる町

ここはスウェーデンの北部ラップランドに位置するキルナという町。この町は今は動いている。
鉱山の町としてヨーロッパやはたまた世界のエネルギーを支えているといっても過言ではないキルナ。そもそも隣の町、アビスコにいく予定で急遽こちらへも寄ることにした。それはこの町が「引越しする町」という何とも興味深いキーワードを夜行列車で一緒になったノルウェー人から聞いたからだ。
特設ホームページによると「このキルナの住人のうち6000人が引越す必要がある」と掲載されている。

なぜ引越さなければならないのか。採掘を続ける鉱山が鉱脈がある方へ掘り進める。一旦は真下へ掘り、そこから横へ進んでいく。その採掘している穴が町の下の方へ向かっているため、100年も経てば今ある町の一部が採掘の穴へと沈むことになる。

町の掲示板より「キルナから多くの文化的建造物が移転されています」

鉱山と共に生きる町と聞いてノスタルジーを感じる。かつての三池や夕張炭鉱、足尾銅山あるいはジブリの「天空の城ラピュタ」でパズーが働くのも鉱山である。人々の生活と鉱山は密接といういまでもなく、過酷な労働と共に採掘量が生活の全てになる。閉山してきた鉱山が多くあることを見ると、そこには有限の美のようなものがある。環境問題とか人一倍うるさいと思っていたヨーロッパで今でも鉱山の暮らしがあるとは実際目の当たりにすると少し意外に思った。しかし、電子化がすすむ世界で、当然エネルギーが必要であり続けることは分かりきったことで、その資源は今日もどこかで採掘され世界へ運ばれていくのである。

鉱石を積んでは運び積んでは運び

この土地に鉱山の人の生活があるように、サーミの生活もある。サーミとは北欧の少数放牧民族であり、トナカイの放牧が有名である。お決まりのようにサーミの生活圏は追われ、かつてのダ水力発電所建設による環境破壊やチェルノブイリ原発事故の時のように自然と密接に暮らす彼らは常に危険に晒されている。*2

新市庁舎/一番右がサーミの旗

空っぽの町

少しずつ引越しが始まっている。ここで旧市街地の一部は人もおらず建物が取り残されたような状態である。ドラえもんの「どくさいスイッチ」を不謹慎にも思い出してしまった。
空っぽの町は主人を待っているのだろうか。

街角のブティック。電気付いているが看板が無い。
誰もいない

訪れた時期が丁度ミッドサマーだったため、普段より祝日で人がいないのかもしれないが、やはり少し怖い。東京では味合わない雰囲気である。

遠くに鉱山が見える

ニュータウン

旧市街から新市街まで約1時間半(丁度いいバスがなかった。)歩く。キルナの街の全てが引越すわけではないので、新市街の方へ行くと住宅も増え、人の姿を見ることができ、少しホッとする。道路と車屋、ガソリンスタンドと殺風景が続き、いよいよ新市街が見えてくる。上に掲載した新市庁舎に加え、ホテル、図書館、いくつかのアパートメントが既にあり、周辺は工事現場そのものである。また文化的建造物をそのまま移築するプロジェクトもある。この(写真)時計塔に加え、木造建築の教会も予定されている。

移築された時計塔と新市庁舎
移築されるキルナ教会

鉱山の風景

キルナの鉱山はいつもこの町を見守る。しかし、鉱山(の会社)に振り回されているようにも見えるが、住民の鉱山への信頼感も感じた。人は住み慣れた家を外的要因で移動を強いられたことを受け入れるのはそう簡単ではないと思うが、100年後を見据えたこの「引越し」を受け入れたのだ。

町は動き、湖ができ、山は形を変える。100年後も美しいキルナでサーミがトナカイと放牧生活を続けていけることを願う。

右手はLuossavaara湖

出典・参考文献

*1 We are moving a town https://samhallsomvandling.lkab.com/en/kiruna/we-are-moving-a-town/

*2 ビアーズ・ビテブスキー(1995)『ラップランドのサーミ人』リブリオ出版