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アーティスト・コレクティブとSDGsな現代アートの祭典ドクメンタ15 訪問記#1

Docmenta fifteen in Kassel

ドクメンタは現代美術のカウンターとして常に美術のこれからの行方を左右してきた。第15回の今年、初めてルアンルパ(ruangrupa)というアジア人アーティストがアーティスティック・ディレクターに就任する。さらに、それはソロアーティストやデュオではなく、コレクティブ(共同体)という形態をとった組織のようなものである。
彼らや参加するコレクティブ・アーティストたちはカッセルに長期滞在する者が多数いる。既にカッセルの住人化したような状態であり、プロジェクトを継続し、この100日間の開催期間、常にオンゴーイングな現場であり、展覧会を訪れる観客を迎え入れようとする。

アート界のアジア人

学生だった頃、友人が「今、アジアが熱いよ!」といっていた。アジア?現代アート?あまり想像ができていなかった。現代アートのアジアマーケットといえば香港だけれど。確かに中国の勢いもあるよな。2008年、森美術館で開催された『チャロー!インディア:インド美術の新時代』を見て「誰もがインド人が作ったってわかるようなインド丸出しのアートが欧米では評価されるんだな」と思ったのを覚えている。これは悪口ではなく、アート界での御作法のようなもので、非常に謙虚な姿勢とも言える。当時私は気づくこともなく、あまり心に響かなかった。
2012年の秋、アートの中心ニューヨークを旅行した。とにかく現代アートを見て回ろうをモットーに、サンクスギビングのパレードを横目に美術館やギャラリーを回った。しかし楽しみにしていたMoMAで開催されていた展覧会は、日本の「具体」の展示だった。当時の西洋美術崇拝をしていた私の頭では「日本のアートがニューヨークでどう評価され、どうプレゼンテーションされているのか知りたい!」のような考えが及ばなかった。アジア人アーティストという言い方は女性アーティストと同じ様に何かすっきりしないニュアンスが含まれる。しかし、そもそもアートという考え方を作り出したのは欧米であり、男性中心なのだから当然といえば当然のように思える。また欧米を基準としたアート界を転覆させるほど、アジアは団結しているわけでもない。今回のドクメンタ15で一体何が変わったのだろうか。あるいはこのドクメンタ15が今後のアート界にどんな影響を与えるのだろうか。
日本人の目線としてこのドクメンタ15について見てみようと思う。

ルアンルパって誰?
テーマのルンブン(lumbung)って一体。

当初今年のドクメンタにあまり興味を持っていなかったため、全く調べていなかった。ただ、今年はインドネシアのルアンルパというアーティスト・コレクティブがアーティスティック・ディレクターだと何かの雑誌で知った。ドクメンタ15のホームページを見てみると、ルアンルパについてこう書いてある。
「ドクメンタ15のアーティスティック・ディレクターを務めるルアンルパ。2000年にインドネシアのジャカルタで設立されたこのコレクティブは、友好、連帯、持続可能性、コミュニティが中心であるインドネシアの文化と強く結びついた、社会、空間、個人の総合的な実践をベースにしています。
ruangrupaは直訳すると『芸術空間』『空間形態』という意味です。」
上記の様に、ルアンルパはインドネシアの社会情勢を背景に市民に対して、あるいは周囲の人に対し、あらゆる手段を使って(アートの良き側面を使って)行動している様に見える。このドクメンタ15でも多くのワークショップや、ZINE(雑誌)の発行の様に、人々と空間や情報をシェアするような活動が目についた。
全体のテーマが「ルンブン」、日本語で「米の納屋」の意味だ。お米とは何だか親近感が湧く。ルンブンは他にもあらゆる意味を導く。ルアンルパの活動からも通ずる「Friendship, working well together, sharing things, looking after everyone in a group.」(友好、協力、共有、集団の中で皆の面倒をみること)の4点を掲げている。
アートの意味や意義をこのドクメンタ15から考え直すことができる様に思える。少なくとも美術館やギャラリーでは見ることのできない、リアルな人間の活動を目の当たりにする。
ドクメンタ15でのレポートは次回へ続く。

Fridericianum