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驚くなかれ!! 横断歩道で車が止まる街!!

 ある日のある街角、初めて訪れた人は、日本ではお目にかかれない出来事に出会い、驚きと共に感動する事になる。
 何と、その街の一部の地域では、歩行者がいると車が横断歩道で停まるのである!!
 他の先進国では、それなりに歩行者優先が当たり前で、停まらない方を探す事になるが、日本ではこの常識が通用しないにもかかわらず.....。


 これを理解するには、ある人のささやかな行動を振り返る必要がある。


 東郷五十六が、その街に来たのは20年近い前の事になる。
 初めて訪れた時には子供の声も聞かれず、東京近郊でありながら寂れた街であった。
 オレオレ詐欺が言われ始めた頃であり、街のあちらこちらで被害もあり、治安もあまりよくなく、決していい街とは言えないと思ったことが今でも強く印象に残っている。そんな中、警察は相も変わらず、危険のない一旦停止やちょっとしたスピード違反ばかり取り締まり、拡大する重要な犯罪には無力である事を示していた。政治家や行政も何もできず、時代遅れで誰も聞いていない防災放送なるもので、オレオレ詐欺に気を付けようと、がなり立て喚いてばかりいたし、それは今でも続いている.....。
 
 その当時、東郷五十六の頭の中をよぎったのは、なぜオレオレ詐欺に対して犯罪を防ごうとせず、むしろ煽り立てているような事ばかりしているのであろうか ということであった。
 年寄りにいろいろ注意を与えたり、ATM周辺では携帯を使うなとかやっているが、中々無くならないし、悪質になり拡大していた。
 どうしてなのか、何が間違っていて、何をすべきだろうか。
 推測するに、騙される人達は子供や孫のことを信じていない、無くしたお金を取り繕って、罪をなかったことにしようという事が悪い事だと思ってないし、子供や孫はそんな事をするダメな人間ではないと信じることもできず、またその様なことをすることに対し、叱る事が出来ないどころか、一緒になって隠そうとする。
 子供や孫を信じているのであれば、その様なことはせず、上司になり事情を説明して謝りなさい、おきてしまったことは仕方ないから罪を償いなさい、正々堂々と胸を張って生きていきなさい、その上で必要なら力になるからと言えばいいはずだが、子供や孫がなぜ信じられないのであろうか。
 事件の後で聞くのは、当事者が子供や孫から、なんでそんな馬鹿なことをしたのかと怒られ叱られる、でも困っているから助けようと思ったんだとか言っても、そんな愚かなことはしないとか言われ....揉めた上に関係が悪化し、取り返しがつかない関係になってしまったとも聞こえてくる。

 これを防ぐには、子供や孫を信じなさい、そして起きてしまった事から目をそらさず真っ当に生きていこう ということを、年寄りにこそ言うべきであって、こう言うのは嘘です、騙されないようにしましょう、まず確認しましょう、警察に連絡しましょう、ではないであろう。(警察に連絡をせずに被害が広がっていることは、如何に警察が信用されていないかを証明してもいる。)
 被害者になりそうなお年寄りはかわいそうだかとかいうけれど、むしろ被害にあった年寄りは、家族からさらに責められて大変になる、犯罪の片棒を担いだものになりたいのか と言うべきであろう。 本当に相手のことを考えれば、言いにくいことも言うべきだし、優しさ思いやりと弱さを取り違えているとしか思えなかった。
 

 またその時、似た例が横断歩道の渡り方指導でもあると気づいた。
 子供や年寄りに、道路を渡る時は横断歩道を渡り、手を挙げ左右をよく見て車が来ないことを確認して渡りましょう と言っているが、何故であろうか。
 横断歩道に歩行者がいれば、車は止まらなければならないのだから、車の運転手に交通ルールを守れと言うのが先ではないのか。
 歩行者に安全を確認しろと言うのは必要だけど順序が違う、運転者に義務を守らせ徹底させ、その上で事故を防ぐためにも歩行者も確認して渡ろう があるべき姿であろう。
 警察が運転者に交通ルールを徹底させられず、ルールを守れない運転者を取り締まる前に、社会的弱者である子供や年寄りにおこがましく言うのは順序が違う、警察は横断歩道での取り締まりをしないで、弱いものイジメをしているとも言える。

 すべての運転者がしているスピード違反の取り締まりなど無駄なことはやめ、自動運転などの制御を応用して、市街地、高速道路に限らず、危険な場所は決まった速度以上に出せないようにする。そして余った警察のリソースを横断歩道の取り締まりに充てればいい。
 メーカーも自動運転を目指すよりも、安全対策や制御を優先させて、警察の仕事を見直し、横断歩道での一時停止を取り締まったほうが世の中のためになる。一緒に障害者の駐車場に止めている健常者も取り締まればいい。
 人への思いやりという観点からも効果が期待できる。日本全体で人を思いやれる運転が出来るようになれば交通事故も減るし、日本ももう少しよくなるであろう。


 
 このように考え始めたとき、そうは言っても、愚痴を言っているだけではなにも変わらない。政治家にしても、投票に値し信頼できる者が見当たらない。無力で粋がっている警察などに何かを期待するのは論外だ。
 では何ができるだろうか。何か少しでも変えていけるものはないであろうか という思いが強くなったとき思いついたのが、
 ”そうだ、横断歩道を歩いて渡ろう、例え車が来ていてもどうどうと止めて渡ればいい、危険を伴うが少しは変わるかもしれない” 
ということであった。
 
 これを機会に東郷五十六は静かに決意を固め、実行に移ったのであった。
 
 
 やり始めると、止まる車などあるはずもなく、スピードを緩めるのはいいほうで、中には急ブレーキをかけ怒鳴ってくるものまでいた。大抵は無視をしていたが、時には ”ここは横断歩道だ、気をつけろ!!” と怒鳴ってしまうこともあり、疲れとともに虚しさも感じる日々が続いた。それでもあきらめることなく、機会があるときには、横断歩道を歩いて渡ることを続けた。もっとも正確に言えば、横断歩道の手前で止まることなく歩いて渡る行動であったが....。
 同時に自分が車を運転する際は、横断歩道では歩行者がいると必ず車を止めた。後ろの車の中には煽ってくるものまでいたが、淡々とあきらめることなく続ける日々が過ぎていった。
 
 そんな日々が何年も続いたある日の事、なんと車が止まったではないか!!、歩行者を見てゆっくりと止まる車が初めて現れた。この日の感動は忘れられないものになった。そして不思議なことに、その日を境に止まる車が増えてきた。
 同時に横断歩道を止まらずに歩く人も出てきた。そうなると車は止まらざるを得ず、また止まる車が増えることで、一気に状況が変わり、今では止まる車のほうが多くなるという信じられないことが起きたのである。
 正確にはわからないが5年以上は経過をしており、この期間はまるで自分が後ろめたいことをしているように思われた期間でもあった。
 
 それでも報われる日はやってきたのだ。とても長い日々であったが......。
 近頃ではその地域(いくつかの横断歩道では)、歩行者がいると当たり前のように車は止まるし、運転者が明らかに横断歩道を渡る者がいるか気を付けているのがよくわかる。
 
 まるで違う世界に紛れ込んだようで、変われば変わるものである。
 
 とある街角での出来事であった...........。
 

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