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電子立国日本の崩壊 1

   電子立国日本の崩壊
     (日本に再び夜明けは訪れるのか)
 
1)      はじめに
 
 日本の電機、電子、半導体などの分野において日本メーカーの凋落が著しい。
 電機電子業界では、音響製品から映像製品に至るまで、Made in Japanが世界をリードしていた。製品は世界の人々の心をつかみ、高い品質とあわせて、より付加価値の高い製品を出し続けることで、日本が世界をリードしていた。
 日本の競争相手は、ほぼ日本の各社に限られ、相互に競い合うことで地位を維持していたが、いまやその面影はない。日本は電子立国として再び立ち直れるのであろうか、それともこのまま落ちぶれてしまうのであろうか。
 
 少し前までは、半導体は世界制覇を成し遂げるかに見えたし、状況を危惧した米国は、政治力を用いて無理やり購入をせまり、業界は混乱しながらも購入できるものを必死で捜し求めた時期もあった。それがいつの間にか世界上位に位置する もしくは揺るぎない競争力を持った半導体メーカーはいなくなり、いくつかの特定分野で数社が残っているだけである。多額の投資を必要とする半導体の分野では、不景気の時期でも投資を続けるとともにシェアを上げ、好景気にその増大した生産能力をもって、事業の売り上げを伸ばす という前向きな発想は失われてしまい、好景気でも投資は絞り半導体事業は売却の対象とされ、ほとんど消えてしまった。
 
 昨今、新たに日本で半導体のファンドリーと呼ばれる分野の工場を作ろうとする動きがある。プロセスと呼ばれる半導体を作るレシピのようなものを米国IBMから導入し、国を挙げて進めるようであるが、これで起死回生ができるのであろうか。結論を先に言ってしまえば、極めて難しいと言わざるを得ない。これは、ここに至った原因や背景を正確に把握し理解した上で、打開策が取られていないからである。
 
日本の電機、電子、半導体の業界が、どうしてこれほど落ちぶれてしまったのであろうか。その原因や背景を考察することが、まず必要なのではないだろうか。そしてこのためには、日本の文化や日本人特有の気質などまで深く立ち入らなければならないだろう。原因や背景は1つではないため、少し長い記述(4回にわたる予定)になるが、最後までお付き合いいただければ幸いである。
 
 
2)      要因の背景となった日本人気質
 
 これから記載することは、直接関係するものと、間接的に作用したものがあるため、少し回りくどく、またわかりにくい内容になるが、ご理解をいただきたい。
 
 はじめに述べたように、まず日本人特有の文化を考えてみたい。
 
 いくつかあるがその中で、物事をとことん追求し、あきらめずに何度でもやり直し、そこそこのものが出来上がっても満足せず、改良を試み改善を加えていく というものがある。もの作りにおいて特に求められるもので、日本の持つ極めて優れた特質の1つであろう。これが伝統技術をより磨き上げ、作り込みが必要な分野では大きな結果を残してきた。
 ただ、これが凋落に至った1つの要因となったのである。誤解しないでほしいが、この特質が悪いのではなく、変化に適応する際の障害となったのである。
 
 詳細は後に記載するが、1980年代から多くの分野でデジタル化が進んだ。当初は部分的にデジタル化が行われたが、製品のほとんどをデジタルが占めるようになると、開発や設計に求められるものが変わってきた。一旦出来上がったデジタルの回路や製品は改良を必要とされない。新しい機能の付加が求められたり、処理速度を上げることが求められ、出来上がった回路や製品に改良や改善を加えることがほとんどなくなってしまった。それまでのアナログの世界では、作ってはまた作り直すということを繰り返し、文字通りアナログのやり方であったし、日本人の特質とも合っていたが、これが通用しなくなり、むしろ足枷となった。このような物事に対するこだわりの特質が要因の1つである。
 このことは、デジタルの半導体を作るプロセスを開発するときにも見られる。例えば一度あるプロセスを作ると、日本ではこれに何度も手を加え、歩留まりと言われる良品の取れる率を上げようとする。ところが米国などでは70-80%程度の目標が達成できたところで、そのプロセスの開発を終え製品化し、次のプロセスの開発に力を注ぐ。日本はどこまでも歩留まりを上げようと固執し、古くて遅れたプロセスにしがみついていることになる。
 
 要因の2つ目として日本だけではないが、日本人は特に人のつながりを重視する。取引やつながりがあると切ることは難しく、情に流されやすい。(契約があっても、そこを何とか......などが通用してしまう。) このことは、今までの関係を断ち切って、新しいものを導入するときに大きな障害となる。定期的なコストダウンや特別な計らい というものがあること自体、関係が継続することを前提にしているから成り立つ。このこともすべてが悪いのではないが、大きな変革が必要となったときに、新たなものへ適応する足枷になってしまったということである。
 
 3つ目として横並び意識が強いことがあげられる。出過ぎることも嫌われるが他人が何かを成し遂げると真似やズルをしてでも自分のものにしようとする。その人の成果を称賛するのではなく、盗み取ろうとさえする。ある会社がある製品を出すと、どうしてわが社では出せないのか となる。 ”真似した電気”と揶揄された会社もあったが、それほど日本の会社は横並び意識が強かった。かつて他社の真似などしない、リスクを取って市場は自分で作り出すのだ という気概のある会社も僅かにあったが、いつの間にか同じ様になってしまった。ほぼ同様の製品が、ほぼ同時に複数の会社から出てくるには、どんな環境があれば可能かを考えると、電気電子半導体の業界が崩壊した背景がわかってくる。
 
 
 2に続く
 

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