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心理的危機対応プラン「PCOP」自分用
こちらのパンフレットをお借りして、自分用のPCOPを作ってみます。 見返す時間:朝起きたときと電車に乗ったとき http://stopijime.jp/wp-content/uploads/2020/03/PCOP-u…
心理的危機対応プラン「PCOP」自分用
こちらのパンフレットをお借りして、自分用のPCOPを作ってみます。
見返す時間:朝起きたときと電車に乗ったとき
http://stopijime.jp/wp-content/uploads/2020/03/PCOP-user_v2single.pdf
A.警告サイン
①心
Twitterをひたすらスクロールする(特に過激なもの、怒りを感じるものを見てしまう時)
死んだ方がいいのかなあと思う時
助けてというたびに少しずつ遠のいていく世界のこと
うつ病になって、というか、自分が抑鬱状態だと気づいて、育った家庭もどうやらあんまり良くはなかったらしいと気づいて、そこから少しずつ助けを求めるようになった。
たとえば大学や民間のカウンセリングルームに行った。それから病院にも通っているし、勉強のために合理的配慮のお願いもした。親や友だち、恋人(そのときはそうだった、ので今はいないけれど)、教員にも自分のことを話した。助けて欲しいと言った。迷惑
お母さんに「親子なんだから何でも言ってよ」と「あんた何も言わなかったのに」を両方言われて、どうすれば、どうすれば 本当はお母さんのこと信じていたかったけど
でも言えなかったので、
小学生の頃、忘れ物をするとお母さんが届けてくれる子がいた。それもひとりとかではない。甘やかされているのかもしれないけれど、わたしはそれが羨ましかった。
わたしは幼い時から不安を強く感じて生きてきたから、教科書を忘れるなんて大事件だった。先生に、忘れました、と言うまでの間ずっと苦しかった。怒られるかもしれない、というか、怒られるので、それがとても嫌だった。
小学校には学用品を売っている売店があ
お母さんも親には向いてなかったのでしょう
これまでわたしは、父親を毒親だとか悪い親だと思うのにはあまり抵抗がなかったけれど、母親に関してはそうではなかった。何度かnoteに母親の好きではないところを書いてきたけれど、心の中ではっきりと、だから悪いとか嫌いだとか思ったことは一度もなかった。それは今でもそうだと思う。
でもやはり、何度も疑問に思ったように、決していい母親と言えるような母親ではなかったと思う。
ひとつは父親からわたしを
本当は助かりたかったけれど
年度末だから、学校からメールが来る。本当は返事をしなくちゃいけない。でもそんな元気もやる気も勇気もない。
カウンセリングに行くのをやめてしまって数ヶ月経つ。別に今でも話したいことはないし、行って何かが良くなるとも思えないし、行くのはだるいからまた行こうとは思っていない。
病院は月に一回だけれど、現状維持の顔をして薬だけもらってくる。それが一番マシな方法だと思う。また傷つくようなことを言われ
2024/2/23 日記 しんどい、のに、動いている
夜中まで起きているのは何度か昼寝や夕寝をしたから。
ベランダのすのこの棚がついに壊れたので、きちんとしたものを作ろうとYouTubeを見た。ちょうど簡単なものがあったので、それを二つほど作った。途中でねじがたりなくなった。それで、ペンキを塗ったところ。
ノートを作ってみるのは意外とできている。ゆっくりと作るのがコツかな
でもメンタルはしんどい。Twitterを見ると余計悪化する気がす