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ピコピコ中年「音楽夜話」~電気グルーヴ、テクノ、90年代後半の新潟クラブ事情

「ひょっとしたらさ、デリック・マイとかいうニセ外国人が登場するんじゃない? そもそも生デリック・メイを見たことがないんだから、ニセモノが登場してきても分からないよね。」

そんなことを耳打ちされ。確かに、と大笑いをしながら体をユラユラとさせていると、デリック・マイ発言をしたY君の唇がボンヤリと蓄光素材のように光っていることに気が付いた。

「あれ?唇、光ってるよ。」

「え?あ、そっちの唇も光ってるけど…」

爆音で流れるテクノミュージックの中、大爆笑する二人。バーカウンターに向かい、注文したお酒でしきりに唇を洗い流したのだった。

…。

時は1997年、場所は新潟県新潟市、古町(ふるまち)という繁華街の地下にあるクラブ。新潟のDJさん達が主宰するテクノイベント、スペシャルゲストとしてあのデリック・メイのDJプレイが予定されているイベントに参加していた時のことである。

Y君と私、共に電気グルーヴ好きであるというスタート地点から、アレやコレやと当時のテクノミュージックを聞き漁りながら、お互いにオススメし合っていたのだった。ケン・イシイ、デリック・メイ、ジェフ・ミルズ、アンダーワールドにケミカルブラザーズをはじめとしたメジャー系のみならず、インディー系まで。

この曲は、しこたまに酔っぱらった状態で朝方に聴いていると涅槃が見えてくる。この曲は、目を閉じてちょっと体を揺らしながら聴いていると「飛べる」曲だ。やはり、単純なビートを激しく反復させるというテクノミュージックの基本形式は、洋の東西を問わず古来より続いているトランス状態を生み出す「宗教儀式=祈り」に繋がるよね、などなど。

メディアの情報ばかり詰め込んだ、少々頭でっかちな解釈を織り交ぜつつではあったものの、「テクノ」という音楽ジャンルを二人で楽しんでいた。

そんなこんななとある日。

私よりも活動的で外向的なY君、テクノイベントに参加すると、お酒を飲みつつ爆音でテクノを聴きつつ踊れるらしいということを、ウェイ系の友人から聞いたらしく、定期的に開催されていた新潟のクラブDJイベントに参加しその楽しさを実体験してきた。

どちらかと言えば非モテ。今でいうウェイ系的なパリピマイルドヤンキー層とは人種が違うよなぁという自認のあった、頭でっかちなY君と私である。

テクノ系のイベントと言えば、電気グルーヴのオールナイトニッポンで知ったドイツのラブパレード(1989年にスタートした世界最大規模のレイブイベント、2010年に群集事故が発生し開催終了)、そしてトランステクノ系のイベントなどなど。

ビートと共に、生と性を大らかに大解放のおっぴろげ。60年代ヒッピームーヴメントを彷彿とさせるような、所謂「いけない化学薬品」などで意識をブーストさせつつ参加するようなものだと思っていた。

ゆえに「クラブで踊る」

こんなことは、もう、我々にとっては

「ク〇リをキメながら、海外のパツキンポルノの乱交映画に出演する」

とほぼ同義であった。

しかし、先陣を切ってクラブイベントに参加してきたというY君が語ってくれた熱い経験談によれば、我々が抱いていた「テクノイベント」のイメージは誤りであったことが判明した。

純粋にテクノミュージックが好きな人達が、各々好きなように、好きなだけ、好きな曲を全身に浴びながら、本能の赴くままに夜通し体を揺らして楽しんでいる。それがテクノのクラブイベントだったとのこと。

しかも当時、新潟市では女性のDJ(確か、リカさんという女性DJだった記憶)を中心とし、精力的に他地域などのDJにも参加してもらいながら、定期的に週末ともなればテクノイベントが開催されており、気軽に参加が可能。蓄光インクのスタンプを手の甲に押してもらえば、出入りは自由。好きな選曲のDJさんだけを狙い撃ちして踊ることもできるらしい。

え?何、先に言ってよ。そんなに楽しいの?おお、なれば不肖ワタクシも参戦いたしましょうぞ。いざ、一緒に参戦!Y君の部屋で流れるアンダーワールドをBGMに、クラブイベントへの参戦を決意した私なのだった。

斯くしてそれ以降、二人でせっせとテクノイベントに参加。

時に見知らぬテクノ好きとお酒を酌み交わし、時に妖艶に踊る女性にドギマギし、さりとて声をかける勇気は私にもY君にもなく。

夜通しのイベントとは言うものの、微妙に始発電車より早い時間に終了することが多かったため、イベントの度に駅前で赤い目をこすりながら始発待ち。アルコールだけでなく「俺ら、夜通しクラブで踊ってきたんだぜ」といった、ちょっと背伸びした「大人の遊びをしているぜ」的な快楽に酔いしれながら、朝食と称して吉野家で牛丼を食べるのがルーティンになっていた。

そんな新潟テクノDJイベント参戦が続く中、ビッグニュースが耳に飛び込んできた。

なんと、デトロイトテクノ創始者の一人に数えられている、電気グルーヴ石野卓球氏やピエール瀧氏の口からも度々発せられたことのある、デリック・メイ氏がイベントにスペシャルゲストとして来るらしいのだ。

とんでもないビッグネームの来日&来新。どよめきだつY君と私。これは逃してはならないイベントだと、デリック・メイの曲を予習しながら心待ちにしたのだった。

そして、訪れたイベント当日。

クラブイベントである。観客の盛り上がりを見ながら強弱をつけるDJプレイのイベントである。デリック・メイの登場について、おおよその時間帯は分かるものの、フロアの盛り上がり如何では時間が遅くなるのか早まるのか、全くもって分からない。

これはデリック・メイの登場まで、ずっとフロアで踊って待っているしかないのではないか。事前にY君と協議した結果、そんな方向性でイベントに臨もうと決定した。

で、あれば、イベント前にしっかり栄養補給しておこう。そんな流れから、いつもはイベント後に食べる吉野家に、イベント前に突入。もちろんギョク(生卵)もつけて栄養補給しておかないとね、と二人して牛丼並盛&卵を流し込みクラブへ向かう。

そして知る。

卵の成分はブラックライトに照らされると「光る」ということを。

二人して、仲良く生卵の成分を唇につけたまま、ブラックライトが乱反射するクラブへきてしまったのだ。当然のごとく、二人仲良く唇がうっすらと白く発光する。

ドン!ドン!ドン!

コンクリート打ちっぱなしの床や壁に重低音が響き渡るフロア。私とY君、二人の光る唇がユラユラと揺れていた。

☆洗礼は電グルオールナイトニッポンから

テクノ、という音楽ジャンルを認識したのはいつの頃だったろうか。恐らく、小さい頃テレビの中に観たYMOだっただろうか。

今にして思えば、テクノロジーが生み出した電子音楽だから無機的、無表情な演奏をしていたのだろうが、まるでロボットでもあるかのように演奏をしている坂本教授、細野氏、高橋氏を「こういうものを、どうやら”テクノ”というらしい」と認識したことを覚えている。

そして思春期真っ只中の1980年代。シティポップ、テクノポップも全盛真っ只中。電子音楽という言葉が当たり前のものとして日常に存在し、身近に存在する音楽の1ジャンルとして普通に耳にしていた。

電子音楽、当時夢中になっていたビデオゲームやファミリーコンピューターが、両者共に「ピコピコ」と呼称されることが多かったこともあり、割合に身近な存在として電子音楽を感じていたかもしれない。

そして訪れる運命的な出会い。時は1991年。

PCもスマホも存在しない平成初期。思春期非モテゴリゴリ童貞の貴重な娯楽として楽しんでいた深夜ラジオ番組「オールナイトニッポン」で、電気グルーヴがパーソナリティを務めはじめたのだ。

終始お下品だが、髄所随所に感じられるパンク精神。日々下ネタとオッパイの妄想にまみれていた男子校の学生にとって、放課後に勝手にどこぞの部活動の部室に侵入して勝手に始めた酒盛りに参加しているかのような、そんなラジオ番組である。しっかりと録音しながら、毎週欠かさず聴くヘビーリスナーとなるのも当然の流れだった。

そのラジオ番組で、定期的に紹介される「テクノミュージック」。

YMOはもちろんのこと(まりんこと砂原良徳が伝説的クイズ番組「カルトQ」のYMO回で優勝したのもこの頃でしたねぇ…)、クラフトワーク、LFO、ハードフロアー、808state、Ken Ishiiなどなど。

卓球氏の語る「テクノっていいよね」的な軽いスタンスのコメントからにじみ出てくる「テクノ愛」。まさに聖体拝領をし洗礼名までいただくような、テクノの「洗礼」を受けた期間でありました。

そして、大学進学しつつ電気グルーヴのテクノ専門学校にも入学しつつ、件の唇光らせお兄さんになるわけですが(笑)


☆そして生デリック・メイ

今思えば、生デリック・メイのDJプレイを、新潟の小さなハコで全身に浴びることができたなんて、なんとまぁ幸せな体験ができたんだろうかと思う。

レジェンドDJの登場。当時の新潟界隈で活躍されていたテクノDJの皆さん方が、いかに精力的に外部とコンタクトをとりながらテクノミュージックを楽しんでいたかが、よく分かるイベントでございました。

嗚呼、あの当時の盛り上がりよ。

コーネリアスこと小山田圭吾氏をはじめとした渋谷系的なオサレミュージックとテクノ界隈の親和性も高く、新潟という非都会エリアでしたけれども色んなイベントがあったよなぁ。

はい、以上。今回はテクノ関連にフォーカスしてみた音楽夜話で御座いました。

どっぷりとモラトリアム(執行猶予)の沼にハマっていた大学時代。まだまだ音楽ネタは尽きません。次はどのシーンを、何の曲を、どのココロ震わせたタイミングを書こうかしらん。

それでは皆さん、また次の「音楽夜話」でお逢いしましょう。

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