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私が思う伝統とか文化とか

昨日、久しぶりに大学時代の友人たちと話す機会ができた。もちろん、オンラインの会議ツールを使ってだが、4名という私の中では大人数に入る人数で話をした。その会で集まった友人たちは何かしら『民藝』というものに興味がある人たちだった。

それを経て、考えたことがあったから、忘れたくないから、ここに記録するという意味で、noteを書いている。


・古き良きってなん?

これよな。まず、「民藝」の中には「伝統工芸」が入ってくると思うのだが、このコロナ禍の影響で多くの工房が苦しい状況だ、という話を友人から聞いた。そうだろう。なんせ、私の実家も機織りをしていて、コロナが来る前から仕事は全然ないし、工房は小さくしたし、母1人で仕事をこなしているわけだし…。状況は理解しているつもりだ。こんなことをいうと、とても反感を買うと思うのだが私はそれらに対して、こう思っている。時代によって、無くなるもの、消えていくものはあって、抗えないことはある。そこにはきちんと需要と供給がある。そう思うのは、例えばガラケー、ブラウン管テレビ、CDなどを思い浮かべた時だ。技術の進歩によって、より良い製品が生まれ、当時は最新だったかもしれなかったものが、それよりも最新の品が生まれてしまえば、それは昔のものになる。それと同じように、新たなものが出てくれば、古いものが使われる機会は徐々に無くなり、その”もの”自体が無くなっていく。人々の生活様式にあい、そこで長い間続いたものが、”文化”となっていくわけで。使えないもの、使う場面が無いものを無くさないようにしていくのは、ものすんごく難しいことだと思う。そう、こんなにも残していくのが難しいのになぜ、残していきたいのか。

消えていくのが自然の摂理だとも思っているようなものを、それでもお必要だと思っているのか。

「手仕事」から生まれる「伝統工芸」「民藝」が必要だと思うのは、        

人間らしく生きる、心、あたたかさ                  

がそこにはある、宿っているからなんだと思う。もう、使うために残すどうのこうのじゃない気がしてきたな。

この見出しにもある、古き良きってなん?てところから考えると、古いものには歴史がある。ここに至るまでの歴史だ。紙の始まりだって、石板や羊皮紙、パピルス、中国から日本へ渡来人が伝えてきたり〜いろいろある。単純に歴史が見れることが、こういった”古いもの”を見る時の楽しさというか、学びになると思うんだよな。そういった時間が私は好きだったりする。今はこんな形をしてい流のに、昔はこんなんだったんか〜みたいな。この材料からできてたんか~みたいな。                               

あと、ものすんごく大袈裟なことを言うと、スーパーの切り身の魚しかみたことがなくて、魚=切り身の姿 って思っている人がいたら、それっておかしいよなみたいな感じ。紙を毎日使っているのに、その元祖知らんの?みたいな(笑)書いてて思うけど、めっちゃ極端なこと言ってんな自分って思う。

あと、その人間らしいってことだけど、これは今の時代の人が忘れがちなことだと思っていて。伝統、文化って人の繋がりで生まれてるじゃん。繋がりとか、今、どうなの?私自身、ネット大好きマンだからあれだけど、あんまり人らしく生きていない気がするんだよね。

ここまで書いてきて、何回か”人間らしい”って言葉を使ったんだけど、これについてはまだ言葉にうまくできない。心が動かされる尊い時間があるってこと!(うわ、書いててすごく抽象的だなって本人めっちゃ思ってる。笑)それに今から考えたら朝になるから、今日はここまでにする。

寝る!

考えることをやめない!考えて生きるから人間なんだ!

という。


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