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『資本論』を自分なりに読みやすくリライトしていく試み5-泥団子のように均質化して表される人間の労働

資本論
第1部 資本の生産過程
第1篇 商品と貨幣
第1章 商品

第2節 商品に表される労働の二重性 2/2

前の記事:第2節 商品に表される労働の二重性 1/2

『資本論』を自分なりに読みやすくリライトしていく試み

■「人間の労働力」とは

さて、使用価値から商品の価値に目を向けてみましょう。

以前、1着の上着は10エレのリンネルの2倍の価値があると言いました。上着の価値が2倍であるならば、20エレのリンネルと1着の上着は同等の価値を持ちます。これは量の問題であり、ここに注目すべき点があります。

上着とリンネルは、まったく異なる労働――仕立てと織物によって生み出されています。
仕立てと織物は、質的に異なる生産活動ではあっても、どちらも「人間の労働」の結果です。
商品の価値はこの「人間の労働」によって決まります。

「人間の労働」とは何でしょう。
この社会において将軍や銀行家は大きな役割を果たしていますが、一方で単なる人間は非常にみすぼらしい役割を果たしているとしか考えられません。これこそが、「人間の労働」です。
そしてただの人は、平均的で、大きな発展からは取り残された、普通のどうということのない個々の人間で、労働ができるということ以外何一つ持っていません。

しかしこの「人間の労働」は、他の時代・社会では評価が異なりました。熟練した労働は、単純労働をより強めたものとして考えられていました。ところが、現在のこの社会では、熟練した労働も、単純労働と同じようなものと矮小化されてしまっています。

という次第で、本書では以下、全ての労働を未熟で単純な労働として見ていくことにします。
熟練労働=単純労働
割り切ってしまった方が分かりやすく話を進められます。

ところで同じ人がある日は上着を作り、別の日にズボンを作ったり、こうした労働を行うこともあります。それは同一の個人の労働の変化にすぎません。資本主義社会においては、需要に応じて仕立てや織物の労働が分配されます。

■上着とリンネルの価値の差を測るもの

仕立てと織物は、上着とリンネルの使用価値を作るための必要要素です。この2つの種類の労働は、違った質を持っています。

しかし(これらを交換するためには)質を無視され、仕立てや織物などの労働が、同じようなものの同じような価値の実体を形づくります。

ここで前に示した等式を思い出してみると、
私たちの仮説では、1着の上着は、10エレのリンネルの2倍の値でした。
この差はいつどのように生じるのでしょう。

それは、リンネルは上着の半分の労働しか含まないという事実によります。
つまり、上着はリンネルを織る2倍の時間をもって作られており、だから2倍の価値を持つのです。

ということは、
使用価値に関していえば商品に込められた労働のが見られますが、
(交換する)価値として考えるなら、そこに込められた労働は、質の違いではなくとして見られるということです。

本来ならば上着とリンネルは、布と糸に特別の生産活動を組み合わせたものですが、価値のみを見た場合、均一な泥団子のような「人間の労働力」で測られることとなるのです。
それを作った特別な労働がかえりみられることはありません。

■労働の2つの性格

要するに、商品の価値とは、労働の量によって決まります。
使用価値とは「どんな労働でできているか」「それはなんなのか?」と質問される類のもので、
価値とは「どれだけの労働がかかっているか」「それはいくらか?」と質問されるものです。

ところで少し話は変わりますが、ものを作るのに必要な労働時間が倍になれば価値も倍になります。
1着の上着を作るに必要な労働期間が、
倍になれば、1着の上着は、以前の上着の2着分の値に跳ね上がります。
半減すれば、2着の上着が、以前の上着の1着分の値になります。

しかし、使用価値は変わりません。1着の上着はただ1人にしか着せられませんが、2着の上着は2人に着せることができます。

で、使用価値のあるものを多く持つということは、物質的な富の増加とはなっても、
富が増えると、富の価値が下がっていくということにもなります。
この逆行するような動きの原因は、労働に二重の性格があるからです。

まとめると、
商品には二重性――使用価値と価値(商品価値)――があり、
労働にも二重性があります。

労働の二重性(2つの性格)とは、
一つは「具体的な労働」で、これは使用価値を生み出す源泉となります。
もう一つは均質化された「人間の労働」で、これは商品の価値を形成します。

第2節終わり

つづく

次の記事:第3節 価値の形態または交換価値1/5


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