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『資本論』を自分なりに読みやすくリライトしていく試み1 -商品の中に結晶化されている「労働」

<一応前書き>マルクスの「資本論」を実際に読んでみて、自分が理解できたことをもとに、わかりやすく書き直していくというのが、この試みのコンセプトです。
できるだけマルクスの文体(言い回し)を残したいとは思っていますが、自分にとって理解をさたまげていると感じる箇所は部分的に端折ったり、勝手に補足を入れたりもしています。

あくまで一般人の読書なので、勘違いも多いかもしれません。お付き合いくださると心強いです。
2023.10

参考図書:「資本論」社会科学研究所監修・資本論翻訳委員会訳(新日本出版社)/ Capital: A Critique of Political Economy V. 1 (Illustrated and Bundled with The Communist Manifesto) (English Edition) Karl Marx, Timeless Books

資本論

第1部 資本の生産過程
第1篇 商品と貨幣
第1章 商品

第1節 商品をめぐる2つの価値-「使用価値」と「価値」1/3

 ―目次へ―(工事中)

■まずは商品の分析から

資本主義社会(資本主義的生産様式が優勢な社会)のは、商品の巨大な集まりとして存在しています。富の単位は一つ一つの商品。
したがって、私たちの研究は、まずは「商品の分析」から始まることとなります。

そもそも商品とは何でしょう。
それは、私たちの外側にある、私たちの欲求を満たすものです。
人の欲求は様々で、時にそれは胃袋から湧き出たり、想像から生じたりもしますが、違いはありません。
また、それがどのようにして欲求を満たすのか――生活のためなのか、享楽の対象なのか、さらに生産手段なのか、についても同じです。

■使用価値

あらゆる有用なものは、さまざまな用途を持ち、有用性は使用価値となります。また、使用価値とは、使用または消費することによってのみ現実のものとなります。

そして使用価値を持つものは、交換価値も持ちます。

交換価値とは、ある使用価値を別の使用価値と交換する際に表されるものです。
例えば1クォーター(約290リットル)の小麦は、x量の靴墨、y量の絹、z量の金などの商品と、様々な交換比率で交換されます。

小麦と鉄を例にとってみましょう。両者が交換可能な割合は、これらの交換比率はどうであれ、常にある量の小麦とある量の鉄を等しくする等式で表すことができます。
たとえば、

1クオーター(約290リットル)の小麦=1ゼントナー(50キログラム)の鉄

というように。

この等式は何を示しているのでしょうか。(言い換えるなら、どうして小麦と鉄はまったく異なる使用価値を持つものなのに、交換できるのでしょう?)
それは、2つの異なるもの――つまり1クオーターの小麦と1ゼントナーの鉄の中に、共通の何かが同じ大きさ・同量存在しているからです。

■抽象的な人間の労働

(鉄は食べられませんし、小麦は鉄のように固くはありません。そこから考えると、)商品の交換とは、使用価値とは完全に切り離されたものといえます。
(では何がお互いの価値を決めるのでしょう?)

商品から使用価値を切り離したあとに残るのは、労働の産物であるという属性だけです。(つまり、共通の何かとは、労働に関係したもののようです

さらに見ていきましょう。
使用価値を捨象する(捨て去る)と、(食事をするために使うテーブル、家族が住む家、服を紡ぐための絹、などといった)有用的な感性的性状はすべて消し去られてしまいます。

それはまた、もはやテーブルを作る指物労働、家を建てる建築労働、服を紡ぐ紡績労働、といった労働の生産物でもありません。
使用価値を捨象すれば、ものの有用的性格とともに、そのものを生産した労働の有用的性格も消えてしまいます。

こうして、
これらの労働はもはや、互いに区別がつかない、(有用的性格のない)抽象的な人間の労働というものに還元されてしまうのです。

つづく

次の記事:第1節 商品をめぐる2つの価値-「使用価値」と「価値」2/3


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