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一日の終わり、父と飲む缶ビールにふと寂しさが混じる

実家での暮らしも何年になっただろう。
東京から地元の沖縄へと戻ってきて習慣になったのが、父との晩酌だ。

「乾杯!」と声に出したり、缶をぶつけたりはしない。
父が先に飲んでいることもあるし、私が先に飲んでいることもある。

自由なタイミングで缶ビールのプルタブを開ける。
うちではプシュッという音が乾杯代わりなのだ。

晩酌のときは何も話さずテレビを観ていることもあるし、Amazonプライムで映画を観たりすることもある。
洋画好きの父は、昔から私たちにハリウッド俳優の名前を教えてくれるのだが、そのちょっと得意そうな顔が私は結構好きなのだ。

もちろん二人で話すこともある。今日あった出来事をぽつりぽつりと話すこともあれば、何度も聞いた父の思い出話が始まることもある。


人嫌いで友だちの少ない父が、ふいに何年も前に亡くなってしまった親友の話をすることも少なくない。
「あいつは」なんて悪態を吐くくせに、一番楽しい思い出の中にもその親友はいるのだ。

父が沖縄で過ごした少年期が、パスポートを持って上京した青年期が、戻ってきてからも親友と家族ぐるみで仲良く過ごした壮年期〜中年期が、声のない乾杯を感慨深いものにする。

父はきっと、これまでに何度も乾杯をしたのだろう。
私が生まれる前から、今この瞬間まで何度も。
そしてきっと、親友との乾杯の数が一番多いのだろう。

いつだったか親友のおじさんの家へ遊びに行ったとき、二人が乾杯をしていたのを見たことがある。

あのとき父は「乾杯」と声に出していただろうか。
グラスをぶつけていただろうか。

それは思い出せないけれど、二人とも楽しそうに笑っていたことは覚えている。時間が許す限り向かい合いながら、昔のことや今のことを話していた。


父が親友の話をするのは、いつだって唐突だ。

今日は、親友と一緒に悪戯をした日なのかもしれない。
今日は、親友と潰れるまで飲み歩いた日なのかもしれない。
今日は、親友に母さんを紹介した日なのかもしれない。
今日は、親友の家で笑っていた日なのかもしれない。
今日は、唯一の親友を失った日なのかもしれない。

プシュッという音は乾杯でもあり、父が親友を思い出すトリガーでもあるのだろう。


今年、父は70歳になった。
まだまだ若いけど、それでも気は抜けないと知っている。
今の父よりもはるかに若かった親友がそうだったのだから。


あと何回一緒に飲めるだろう、なんてことは考えない。
たとえこの時間が終わっても、プシュッという音で何度でも愛おしい時間を思い出せるはずだから。


仕事を終えた父が帰ってくる19時30分、きっと私は缶ビールを開けているだろう。

父が親友を思い出すように、私にも浸りたい日があるのだ。
こんな暑い日はとくに。

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