短編 「サザエさん」

鉄骨の錆びた階段がコツコツと音を鳴らす。
今日も来てしまった。

あれはいつも通る帰り道、鼻で感じたいい匂いに釣られ裏路地に入ったのがきっかけだった。
人がやっと1人通れるであろうビルとビルの間を少し行くとその店はある。

’’お食事 はなざわ’’

縦書きのネオン看板が目を引く匂いの正体はそこだった。
古びた雑居ビルの2階に構えるその店にはこれまた古びたボロボロの非常階段を登って行くのだが
毎度毎度崩れてしまわないか心配になる。

店に入ると大将の「いらっしゃい!」と元気な声がした。
この大将、名前を「イソノ」といい
週に1回くる私に「待ってました!」と言わんばかりに様々な料理で楽しませてくれる。
私があまりにも美味しく食べている風に見えるようで「あんたに料理つくるのが楽しくてさぁ!」といつもニコニコしている。

1度、「何故、大将はイソノさんなのに店の名前ははなざわなんですか?」と聞いたことがある。
その時だけいつもニコニコしている大将の顔が少し悲しそうな表情になった。
「妻の…旧姓なんです…。」とポツリと言った。
続いて「もう随分前に出ていっちゃったんですけどね」と言った。

これはマズイことを聞いたと気まずい顔をしていると
気を使ってくれたのか、奥さんの話をしてくれた。

この店は元々1階が奥さんの実家の不動産で
2回は住居になっていたそうで、奥さんの念願だったレストランをやる為にかれこれ何十年も前にリフォームして始めたらしい。

しかし中々、上手くいかず奥さんの実家の不動産も経営が傾き
建物も手放すこととなり2人は頑張っていたがあえなく閉店してしまったとのことだった。
そこから夫婦関係も少しずつ悪化し10年程前に奥さんは出ていったそうだ。

子供もおらず、1人残されたイソノさんは
昼間は違う仕事をしながらお金を貯めようやく数年前にこの店を再開したそうだ。

実家にはしっかり者の姉夫婦がおり、帰ってこいとも言われたが踏ん切りが着かず、
店を続けていたら奥さんがもしかしたら戻ってくるかもと願いを込め毎日休まず営業している。とイソノさんは目に涙を浮かべて話してくれた。

その話を聞いた次から私をなるべくはなざわに立ち寄るようになった。
少しでも店の助けになれば、イソノさんの助けになればと思ってのことだが偽善と言われればそうかもしれない。

今日のメニューは「カツオのたたき」だった。
火の入れ具合が大事らしい。美味しくなるのも不味くなるのも
そばでじっくり手をかける料理人次第だそうだ。
味はもちろん絶品でとても満足した。

帰り際、「来週もまたきてくださいね」と言われた。
「もちろん」と返しガッツポーズで店を出た。

外はカラっとしておりビルの隙間から星空が見えた。
来た路地を帰ろうとすると珍しく向こうから人が歩いてくる。
少し年配の女性だが割と体格がよく、ギリギリすれ違った。

すれ違いざまその女性は「今日もいい天気〜」とはなうたを歌っていた。

路地から出かけた所で後ろの方であの鉄階段のコツコツという音が聞こえた。

耳に残ったその音はまるでスキップするかのような、

軽やかな音だった。

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