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家庭ですべき「人間」の教え

以前から繰り返しお伝えしていますが、「弊社に相談のある(つまり、子供の問題を抱えている)家族の特徴として、「子供の一大事に、親が真剣に向き合っていない」ということが挙げられます。

ここでの「一大事」とは、万引きや子供同士のトラブル(中でも、相手の持ち物を盗む、傷害に当たるほどの暴力を振るう)など非行・違法行為にあたるものをいいます。この一大事に「親がどのように対応したか」は、その後の子供の人生に大きく影響します。

子供が大病を患ったり、大きな事故に遭ったりしたときには、親は病院や警察と連携をとり、できる限りの力を尽くそうとするものです。ところがこれが、万引きや子供同士のトラブルになると、「一大事」という認識が欠けてしまう親御さんがいます。

「本人の今後を考えると、穏便に済ませたほうがいい」「初めてやったことだし、本人も反省しているようだから」「本人が詳細を話さないから」などと言い訳をして、ことさらに「軽く」扱ってしまうのです。

よくあるのは、夫婦関係が希薄だったり不仲だったりして、子供の問題が発覚すると、「お前の育て方が悪いからだ」「そんな子供をもって体裁が悪い」などと言われるため、親自身も穏便にすませようとします。

そうして年月を経て、子供の問題が肥大化し、弊社でヒアリングする頃には、「そういう事実があったことは覚えているが、詳細は記憶にない」「自分(親)がどのように対応したのか覚えていない」と言われます。

親御さんに、倫理道徳や常識、法的知識がないわけではありません。ただ、トラブルが起きたそのときに、後々のことを考え、最悪を想定した上での「具体的な行動」がとれていないのです。

これは、弊社が携わるメンタルヘルスの問題でも同様のことが言えます。家族の中には、立派な学歴を持ち、医療や行政・法律などに関係する職業に就いている方もいます。知識は存分にあるのに、自ら(の家族)に降りかかった問題には、本質を踏まえた行動をすることができません。

これは、犯罪やトラブルに巻き込まれたときほど、知識だけでなく、人間として「どうあるべきか」「そのうえでどう行動するか」が試されることをあらわしていると思います。

本題に戻ると、子供が法に触れるようなことをしたときこそ、あえて大事(オオゴト)にして、法に基づいた人間的な行動をとる、その姿勢を見せることが、子供を健全に育てることにもつながります。

一例ですが、子供の万引きが発覚したとき、たいていの親御さんは「やってはいけないことなので、きつく叱る」はずです。しかし重要なのは、子供を警察に連れて行って自首させる【本人が「二度とすまい」と思えるよう懲りさせる】、万引きした店に謝罪に行く【被害に遭った相手の気持ちを考えさせる】、学校にも事実を伝える【公にすることで、子供への見守りなど親だけでは不十分な部分を補ってもらう】、といった「行動」です。

それがあって初めて、子供も「倫理道徳」や、「法を守る」とはどういうことか、実体験として学ぶことができます。また、親が初動を尽くしたことで、サポーターとなる大人と出会うことができ、立ちなおれた子供もいます。

具体的行動がとれない親御さんほど、我が子のことでありながら、「本人の問題」と捉えており、「親である」「家族である」という視点が欠けてしまいがちです。「(親の前で)反省しているのだからよい」「弁償したからよい」という表面的なことに終始してしまうこともあります。

「なぜそのようなことをしたのか」「家庭環境にも理由があるのではないか」など、深掘りして考えてみることも必要でしょう。

これから世の中はますます、ネットやスマホ、人工知能が進化し、人間同士の直接的な関わりは減っていきます。過ちを犯したときに「刑法に抵触する、しない」という知識だけなら、スマホひとつでいくらでも得ることができます。

しかし、人間には心があり、予定調和には進みません。とくに人と人とのトラブルは、法的な知識だけがあってもそれだけでスムースに解決するものではありません。人工知能がどれほど進化しても、細部のコミュニケーションにおいては人間を凌駕することは難しいといわれるのは、そういうことではないでしょうか。

「本人の意思の尊重」が重視され、「自己責任」の時代であるからこそ、「人間としてどう行動をとるのか」という部分こそが、親が子供に示せる唯一の解決策なのです。

ノンフィクション漫画『「子供を殺してください」という親たち』には、子育てのさまざまなケースが登場します。ぜひお読みください。


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