高校生の時に書いた小説

 オリヴィエの恋人の名前はマリーというらしい。いつだったかセリーヌが彼とそのマリーという恋人のデートについて冷やかしていたのを耳にしたことがある。

 ここでひとつの問題が発生する。わたしはオリヴィエのことが好きなのだろうか。

 たしかに彼はハンサムで紳士的で、センスも良い。わたしの好きな作家を彼も好きだと言ったし、彼がわたしの淹れたコーヒーを「世界一美味しい」と評したとき、嬉しくてそれ以来コーヒーに凝っている。彼のコロンの香りを嫌味でないと感じるのはいわゆる恋なのだろうか。彼が休日に何をしていたのか知りたいと願うのは恋なのだろうか。彼がほかの女の子―たとえそれがセリーヌであっても―と話しているのを目にすると、その子を「アバズレ」と罵りたくなるのは、恋なのだろうか。

 わたしはいまマリーについて調べている。インターネットとは便利なもので、特にフェイスブックなんてものは、恋する乙女に与えてはならぬ武器だと確信している、というか、今した。セリーヌのページを経由して、マリーのページへジャンプする。マリー・デュボワ、1992年8月15日生まれ。まず写真をチェックする。オリヴィエとのツーショット写真を探すつもりであったが、目当ての写真を見つける前に馬鹿らしくなってキッチンへ行ってミルクを温めた。マリー・デュボワはこちらが拍子抜けしてしまうくらい可愛らしい女の子だった。友人はたくさんいるようだし、変な若者言葉を使っていないし、家もそれなりに裕福らしい。ああ、あのとき戦車に轢かれてしまえばよかったのだ、わたしは。

 4月のある日、戦車の夢をみたのだ。その夢の中でわたしと戦車は恋人だった。戦車はすこぶる調子よく動き、車の運転免許さえ持っていないわたしひとりをのせて、まっさらな高速道路をどんどん進んで行った。あまりに調子が良いので、わたしは不安になった。こんなに調子が良いのはそもそもおかしいのである。このわたしの恋人である戦車は、ギシギシと軋みながら進んでいるのがいちばんおさまりが良いのだ。これはキャタピラたちの暴走だとわかったのと、彼をこの不本意な快走から解放するにはわたしが轢かれるしかないのだと気付いたのはほぼ同時だった。いや、ほぼ同時だったと思いたいだけかもしれない。高速道路は終わりがみえず、のどかな田園風景はどこまでもどこまでも続いていた。わたしは崩壊の危機を感じた。彼は自分の身に起こった突然の矛盾に苦しんでいた。キャタピラはぬらぬらと溶けだしそうであった。基本的に思考するものでないはずのキャタピラが一度思考を始めてしまうと、止め方がわからないのである。もはやキャタピラさえ苦しんでいた。わたしが上蓋を開け、戦車の前方に飛び降りて、そのままキャタピラに潰されて彼と一体化すれば、彼をこの苦しみから解放できるということはアルファルトが保証していた。しかしわたしはそのままぬらぬらと溶けだした彼の体内に閉じこもり、何も気づいていないふりをして、苦しんで会話どころでない彼になにかしら語りかけていた。もしわたしがあの時自己犠牲の精神をもってして彼を止めていたならば、わたしはいまも夢の中で彼と幸せに軋んでいたかもしれない。

 気付くとミルクは冷めていて、表面は分厚い膜に覆われていた。わたしは流しにミルクを捨てて、マグカップを軽く洗ってそこに炭酸水を注いだ。戦車の軋む音がわたしの頭の中で暴力的に響き渡り、わたしは悲しかった。戦車との幸せな日々は何処へ行ってしまったのだろうか。炭酸水をすこし口に含むと、それはしゅわしゅわと、しかし悲しかった。いつの間にか音は消えていて、代わりにすこし頭痛がした。戦車の最後をはっきりと覚えていない罪悪感をもみ消すように炭酸水を飲み干した。

 長い間放ったらかしにされていたパソコンはブラックアウトしていたので、エンターキーを押して奮い立たせる。いきなり画面にマリー・デュボワの写真が出てきたので面喰いつつも取り乱しはしなかった。わたしの執着の対象が、もはやオリヴィエではないのは、誰もが知っていなければいけないと思った。思ったが、それを誰もが知ることになってしまうとそれはそれでまずいのだと知っていた。オリヴィエとマリーが別れたということを伝える電話がセリーヌからかかってきたのは3日後のことであった。

「あのね、セリーヌ」
「なあに?」
「わたしね、運転免許を取ろうと思うの」
「そう、それはいいことね」

彼女はそう言った後に戸惑った声でこうつけ加えた。

「あなたはもう、人間をやめるのかしら」

 わたしは彼女があまりにも的確なことを心配しているので、驚いた。わたしの世界はいつからこんなに奇妙になってしまうのだろうか。

「そうね」

 やっとの思いで一言答えると、急に受話器が重くなった。わたしは受話器を落としてしまい、そのまま床に座り込んでしまった。はっとして受話器を耳に当てると、そこからはいつかの軋みがきこえていた。

「わたしね、運転免許を、取ろうと思うの」

 世界中の人々に約束するような重々しさで、受話器の向こう側の軋みへ向けて宣言した。

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