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"持病のようなもの" が "持病" に変わった日


はじめに

このことをいつか書きたいと思いつつ、じゃあいつ書こうか?と悩んできました。

けれども。

お世話になった方々へ、そして、いつも心配をしてくださったり、気にかけてくださった方々へ、感謝の気持ちと、現状についての報告を届けたいと思い、書くことにしました。


体に異変を感じた頃のこと

以前、私の体の事情について、こちらの記事にも少し書いていました。

はっきりと、身体症状で「おかしい」と思ったのは、14年も前の25歳の時です。
接客業の仕事中、同僚から言われた「最近よく頭の裏側を揉んでいるね」という、ふとしたひと言をキッカケに、体の異変に気づいていきます。

全く体重も変わっていないのに、ブラジャーなどの下着が「キツイ、苦しい」と感じる。頭痛とは違う、後頭部への苦しさを感じる。

そういった異変に、まずは脳神経外科へ。

もともと頭痛持ちだったので、自分では当時はそれほど違和感を持っていませんでした。
脳神経外科ではCTスキャンを撮り、言われたことは「ストレートネック」。
それによる体の不都合だと説明されました。


やがて痛みが上半身すべてへ

だんだんと、仕事中に立っていることがしんどくなり始めます。
いよいよ、自分でも「これはおかしいな」と思うようになりました。
上司からは、少しずつ出勤できなくなる私を見かねてか、「やめる?」と優しい口調で言っていただき、退職することとなりました。

その頃には、両腕が痺れ、首の付け根あたりに常に痛み、背中もいつも叩かれているような痛みや、ズキズキするような頭痛のような痛みに日々見舞われるようになっていました。


「きゅうりが切れない」「腕が上がらない」

仕事を辞めた後、一日のほとんどをベッドの上で過ごしていました。
悔しくて、やり切れなくて、諦め切れなくて、他の人と同じように過ごそうとすることもあったのですが、『できない』と感じざるを得ないことが増えていきます。
横になっても、身体中に起こる痛みで眠ることもままならず、どんどんノイローゼ気味になっていきました。

料理をしようとすれば、きゅうりのスライスすらできません。
25歳の私は、キッチンにもたれかかり、泣きながらきゅうりを切りました。
今も思い出すと、涙が止まらなくなります。

洗濯物を干そうとすれば、腕が上がらないのです。
その時もまた、涙を流しながら、懸命に、腕を上げようと必死になっていました。

その頃には、もうSNSを眺めることができなくなっていました。
働いてる人も、遊んでいる人も、羨ましくて、涙が出てしまうのです。
精神的にも、とても辛かったです。


様々な検査や治療を経験して

20代の間は、病院の色々な科を周り、またMRIも経験しました。
27歳の頃、AKA治療と出会い、数年通い続け、首の付け根の慢性的な痛みや、腕の痺れは軽減しました。
今となっては予約が取りづらくなってしまいましたが、体の痛みが治らなくてお困りの方は、一度相談に行ってみてください。

AKA 博田法 / スガモ駅前整形外科

気づけば30代。

AKA治療も、院長先生から副院長、そしてセラピストの先生と変わっていただき、金銭面はだいぶ楽になっていましたが、ある一定のとこからは症状の改善は見られないまま、何も変わらなくなっていました。
診察していただいたお医者さんやセラピストの先生からは、「ここでできる治療はもうないと思う」と、他の方法を探すことをすすめられるように。

もう、色々な治療を探すパワーも尽きて、全てを受け入れる心が整っているわけでもないのに、そうするしかないのだろう、と諦めていた頃、2023年になり始めた頃でしょうか、線維筋痛症の検査に向かうことになりました。
自分では、なんとなく違う気がしていましたが、やはり検査結果は違うということでした。

そして2023年の7月。

体の痛みと、体の重さ、苦しさ、絶望に耐えかね、藁をもすがる思いで病院を探し、新しい病院を受診することになりました。

そこで言われたことが

「あなたは、たぶん20年くらい前から脳の病気でした」

ということと

「その病気の症状が、身体症状だと思います」

ということでした。

その日の私の頭の中では、「ああそうか、やっと分かったのか」という気持ちと、「ずっと分からなかったことがここでこんなにあっさりと分かるものなの?」という気持ちがせめぎ合っていましたが、とても落ち着いていました。

しかしその後しばらくは、

" 今後は人に説明しやすくなる、でも一生治らない、ずっと薬を飲み続けなければいけないのは嫌だ、でも体の症状が良くなるなら嬉しい、希望を持ちたい "

こんなことがずっとぐるぐると、いつまでもいつまでも頭の中に残っているような感じでした。


新しい自分、新しい生活へ

信頼している身近な人には、すぐ伝えました。
そして、治療開始してから3・4ヶ月くらい経ったら、何かの形で自分の今を伝えよう、と、迷う気持ちを持ちつつも、考えていました。

現在、私の体の状態については、痛みの症状が減っていて、以前より楽に、そして活動的に過ごせています。

それがはっきりと感じられたのは、YouTubeです。
今までは、撮影の準備をするだけで、息も絶え絶え。撮影が終わったらとりあえず寝込む。なんてことはザラでした。

最近は、撮影の準備→撮影→片付けと、一通り終わった後は「じゃあ次は家事をしようか」なんて軽やかに思ったりもします。

もちろん、毎日が順調なわけではありません。動きにくい日もあります。
また、治療が始まってまだ日は浅いです。
亡くなる人も少なくない病気でもあり、様々な疾患になりやすい危険性もあれば、飲んでいる薬の副作用にも注意せねばならず、数ヶ月毎に血液検査をする必要があります。

でもそれも、「数ヶ月置きに自分の状態を診てもらえて安心するな」という風に、前向きに捉えるようになってきました。

正直いえば、初めは病気について調べれば調べるほど悲しくなって、一人でベッドでシクシク泣いていたりもしました。
20年前に分かって、治療できていたら、と思ったこともあります。

でも今の私は、今と未来を見ています。
取り戻すことができないなら、小さくても、少しでも、作り上げていけばいい。

今まで沢山の方に、本当に沢山、何度も、何度も、心配していただきました。
その度に、健康でいられない自分を虚しくも思いましたが、今はただただ、気にかけてくださってありがとうございます、と伝えたいです。


おわりに

数年前、インテリアのブログを始めた頃に掲げていたのは、自分のように何か体の事情があったり、不便で不都合な生活をしている人にも、暮らしを楽しむということを届けたい、という思い。
それはきっと、自分をも励ますための考え方だったのだと思います。
今も、私にはそれがベースであるのだと思います。

不完全で、不都合で。

一般的ではなくて。健康でもなくて。

それでも毎日を楽しむこと。挑戦すること。

誰かに届いたら嬉しいな、と思うのです。

長くなりましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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