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私と子どもの本

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翻訳の楽しさと難しさを知った本/『時をさまようタック』/文:松波佐知子

 『時をさまようタック』は私の最初の翻訳書です、と言うと語弊がありますが、翻訳を学び始めた頃に、『海辺の王国』等の訳者である恩師の坂崎麻子先生から、好きな原書を丸々一冊訳して、翻訳された本と自分の訳を比較する練習を勧められて選んだ本でした。  日々に退屈していた少女ウィニーが、泉の水を飲んだために不老不死となった一家との交流を通じて、自分自身や死生観と向き合い、成長する姿を丁寧に描いた良作です。  ナタリー・バビットを知ったきっかけは、坂崎先生の翻訳クラスで課題に出された

三十三年目のレンコ/『お引越し』(ひこ・田中作)/文:西田俊也

 『お引越し』との出会いがなければ、ぼくは児童書を書くことはなかっただろう。    平成の初めの日曜の朝、新聞書評欄の「子どもの本」コーナーに『お引越し』が載っていた。  関西弁で書かれた、小6の少女の話らしい。ぼくは関西弁で書いた小説でデビューしたので興味がわき、本屋の児童書の棚で手にとった。  『お引越し』とは、少女の引越し体験話ではなく、彼女のお父さんだけが「お引越し」したという話だった。というのは、両親が離婚したからだ。少女はそのことを、「お引越し」ととらえ、大人

一人五役、私の若草物語/ 『若草物語』(オルコット作/白木茂訳)/文:鵜木 桂

 小学生の頃、学校の図書室に通うのが私の日課だった。読み終わった本を返却し、次の本を選ぶのは至福のひととき。英米文学の研究者であった父の影響で、私が読むのはもっぱら欧米の翻訳もので、中でもお気に入りだったのはショッキングピンクの表紙が強烈な、岩崎書店の「世界少女名作全集」であった。繰り返し言おう、ピンクの「世界少女名作全集」である。今時、こんなステレオタイプな括りのシリーズがあろうか? でもあの頃はまだ、LGBTなんて言葉もなく、多くの少女が、この全集に夢中になった。『赤毛の

子どもの頃を忘れない大人に/ 『飛ぶ教室』/文:石川素子

『飛ぶ教室』は、エーリヒ・ケストナーが1933年に発表した児童文学です。舞台は10歳から18歳の少年たちの通うギムナジウム(大学進学をめざす中高一貫校)の寄宿学校。「飛ぶ教室」というのは、主人公たち5年生が練習しているクリスマス劇の題名です。父親が失業中でクリスマス休暇に帰省する費用もままならないマルティン、親に捨てられ天涯孤独なジョニー、勇気のないことを悩む貴族の出のウーリ、腕っぷしが強くいつも腹ペコのマティアス、皮肉屋で冷静なゼバスティアンの、境遇の異なる仲良し五人と、舎

型にはまらない自由な世界/ 『魔法使いハウルと火の悪魔』/文:たなか鮎子

 2020年春、私の暮らすパリはコロナでロックダウンされ、私も、感染はしなかったものの、体調を崩して寝込んでいました。そんな時、まっ先に手に取った本が『ハウルの動く城─魔法使いハウルと火の悪魔』でした。この本を開けば、生きる活力をもらえるのを知っていたからです。『ハウルの動く城』はアニメ化されていますが、私は圧倒的に原作が好きです。何度もローテーションしつつ読んでいる児童書はいくつかありますが、『ハウル』は中でもユニークな一冊。古典作品と違い、ロックを聴くようなスピード感とエ

あまい、なつかしいかおり/『金色のライオン』/文:田中薫子

 初めて自分で読んだ本、気に入った挿絵をトレーシングペーパーに描き写した本、持ち歩いていたときにころんで傷めてしまい、悲しい思いをした大好きな本、友だちが読んでいるのがとてもおもしろそうで、本屋で捜した本……子どものころの思い出の本は、いろいろあります。『金色のライオン』は、その中でも、ちょっと特別でした。  寝る前に読み聞かせをしてくれるのは、ふだんは母の役目でした。たまに父が寝かしつけにくるときは、本を読むことはせず、思わず笑ってしまうような創作を盛りこんだ、昔話を語る