哲学を語り合える友人が欲しかった。
私には友達があまりいない。これは自他共に認める周知の事実である。ウェルノウンファクトである。
本心を隠さず語り合える友達は片手で間に合う…どころか、その手にミトンをつけていたとしても事足りてしまう。
人生観を共有できる友人など以ての外。lim[h→0]ではなくh=0である。皆無である。
………と、まぁ友達がいないことを高らかに宣言することでその虚しさ恥ずかしさを誤魔化している訳だが、本題はそんな馬鹿げたことではない。
とはいえ、友達が"少ないこと"は"少なくとも"私にとっては深刻な問題であるが……………
閑話休題、脱線はやめよう。時を戻そう。
(10分で作ったクソコラ)
哲学を語り合える友達が欲しい。
多感なこの時期、「何故生きるのか」「何のために生きるのか」「人間の本質とは何か」「何をすべきか」「私はどんな人間なのか」と考え込んでしまうことがよくある。
先程「人生観を共有できる友人がいない」と言ったが、それどころか未だ人生観は定まってすらいない。
しかし正解なんて容易に見つかるものではない。
そして1人で思案し続けたところで、1つしかない脳ミソには限界がある。
哲学を専攻している訳でもなく、義務教育の延長線上で少しかじった程度の私はとっくに限界を迎えた。
考えれば考えるほど、矛盾が生まれ、矛盾を解消しようとすれば"答え"は消えていく。
真理なんてないのかもしれない。
それも1つの真理なのだろうか。
誰か一緒に考えてくれないか。
こんな時、"哲学を語り合える友人"がいたらよかったのに。
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