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 作家残酷物語 わかんないだろうな

ひともと銀杏いてふ葉は枯れて
庭をうづめて散りしけば
冬の試験も近づきぬ
一句もけずフランス語

若き二十はたちのころなれや
六年むとせがほどはかよひしも
酒、歌、煙草、また女
ほかに学びしこともなし

酒、歌、煙草、また女
      ----三田の学生時代を唄へる歌
               佐藤春夫



 モラルとか政治はいつも、もっともらしい装いをしてやってくる。
 日ごろ、政治がくだらないといっている作家や芸術家が、いざ政治が混迷したら、決まりきって政府に同調するのは歴史の掟です。

 二十歳、タバコを吸いはじめるころ
友人があまりにタバコを吸ってたので、戒めのために過ぎないようにしましたとは最近、評論から小説を書き始めたM.。
なので普通に、一日に一箱半分、それ以下を楽しんでいたらしい。

そんなM.も最近、小説にも行き詰まりを感じはじめていた。
ふと机の上の梶井基次郎の『檸檬』の文庫本、表紙裏の顔写真をなにげなく眺めていた。

たぶん、このひとはいい人なんだろうな、
負けているけど、勝っているような。


 そんなことより、
世の中を仕切っている人、政治家や教育者とか宗教法人、いくらこれが正しいからって、なんで他人に強要したがるんだろう、そんな性分なんだろうな、習性とか、歴史的によく見ればほとんどが科学的でなく、見た目の主観でものをいっていた場合が多かった。

何事も自然の中に無駄なことはありません、麻酔薬と鎮痛薬、薬と薬物、過ぎざれば及ばざるように、いいものも悪くなり、悪いものも良くもなるというのがM.の持論だった。

自由を尊べば自分勝手な行動に走り、他国に勝手に侵略してやりたい放題、植民地の営業活動をして、こまったもんさ。
いっぽう、平等を重んじれば、専制君主のように独断で国民の主張を許さないで、国民をロボットのように一律にしたがるし、どちもどっちだ。

批評家だった頃のくせが出て、M.はつい口に出てしまう。


 また昨今の世界を見渡せば、
ヨーロッパの封建制度を経験しないで一足飛びに資本主義に突入した無邪気なアメリカ、また昔の封建制度の専制君主に戻ったような中国、お互いに経験不足な青少年と老人みたいな感じで、世界の世間知らずと聞く耳持たないガンコ親父。

いっけん、われわれの国の日本は、どちらにも属さないで思想も意見も何もない、その場かぎりのチャランポランな国家のようです。
じっさいニュースでお目にかかる、政治家のみなさんと支持するわれわれのみなさん、調子が良くて忘れっぽい、でもたくましく生きています。

でもわれわれ日本人は、アメリカや中国みたいに単細胞ではありません。

いくら優れた預言者や偉人が唱えた言葉であっても、ハメルーンの笛吹きみたいに一つの主義主張に従うほど、子供でなく柔でもありませんでした。
封建制度をいいも悪くも経験して、自由な国家の限界も知っています。

江戸時代もいまからすれば封建制度、
でも水戸黄門や暴れん坊将軍を、独裁者のレッテルに貼るなんてどうかな。
それに植民地時代のコルテスやピサロ、クライヴ、それにアメリカ西部開拓時代のアメリカ人たちを、人が思うほどヒーローには見えないんだけど、ぼくの気のせいかな。


 だからわが国では
宗教でも和をもって尊しで、棲み分けがちゃんとできていました。
神聖なもの、祈願するときは、神社におもむき、
安らかな眠りにつく墓前では、仏に祈り、
恋人や家庭で楽しむクリスマス。

けっして知識人が嫌う、いい加減な雑種的な宗教感ではなかっただろう、日本国民は何も考えていないようでじつはよく考えているんだよ。
庶民は、インテリのように頭でっかちじゃない、ほんと現実的なんだ。

まず初めに自分たちが、精神的にも物理的にも気持ちよく生活ができるのが先にあって、いくらすばらしい考え方や主義があっても、殿様が命令しても、体に染み込んでこない、建前上、聞いたふりをしているけど、いままでの実体験を尊重しているんだ。

初めに言葉があって従うのでなく、ブッダやキリストを参考にしても教科書にしていない、朝廷ができる前後から自然の神さまを尊重しつつ、仏教もキリスト教も包み込む懐の大きい国民性でもあるんです。

むしろヨーロッパでもキリスト教が覇権をにぎる前は、日本の神道みたいな自然の神を敬う、ギリシア神話があったんじゃないかな、ちがうのかな。
そうつぶやきながら、M.はため息もついていた。

だから、日本人って
アメリカのように資本主義一辺倒や、中国のように共産主義オンリーを嫌い、金太郎アメみたいにどこから切っても、同じような小説マンガやオートメイションフード、最後にはお馴染みの宝探しみたいな思想には、どことなく違和感を持っています。


 アメリカや中国でもあり、そうでもない。
アメリカには存在しない国民健康保険、ハーバード大学やコロンビア大学は私立でも、日本では名門私立の進学中学高校いっても、最終的にめでたく国立の東大入学、その東京六大学の東大と私大、万年与党みたいな自民と野党、NHKと民放、公務員と会社員がいかんなく機能され、私服より決められた制服がどことなく好きで、極端でなくても協調性する和が気持ちよくて、伝統工芸や国宝には敬意をはらいます。

日本人には和洋折衷とか中庸、「不合理なるゆえに私は信じる」が似合っているようです。


 というわけでじゃないけど、最近しばらくタバコを忘れていたら、食べてばかりで、少し太りすぎてしまった。
太りすぎは御法度の俳優じゃないぼくだけど、いちおう読書人の端くれ、何かと神経を使うことが多い、いいわけじゃないけど、気を休めるためにもいっぷくが必要さ。
ときたま日に一本か、二本かあと少しばかり、タバコを吸っていました。

ほんとだな、人の嫌がることをしていけないのがモットーの仏教徒も、いっけん見方によっては、見て見ぬふりをしているようだし、
進んで灯りをつけましょうのキリスト教徒や見て見ぬふりができない共産主義者は、口出しが多くておせっかいだしな。

でも仏教徒には、少し積極性がほしいって、感じだぞ。


 などと、
M.も、ふぅ
なんだかんだと、やっとここまで話を持ってきたようだった。

まったく、せちがない渡世になったもんだよ。
タバコを嫌う奴の気持ちが分かりゃしない、よく考えたもんだよ、インディアン
タバコの煙はいやだけど、焼き鳥の煙は健康にいいんだろうか。

調子よくて、なんでも強要したがる単純なピューリタンには、わかんないだろうしな。

それにヨーロッパ中世をキリスト教的世界観で塗りつぶしたように、現代を、「お金が命」の資本主義的価値観で覆いつくし、
誰からも美しい言葉といわれないような声出して、馬がバフバフ、なんて感じの英語をほえながら、モラルもミッション伝道したがっても、じっさいは、ほとんどが政治同様に利権がらみというオチもついていた。

そう、転んでもタダで起きない、
例によって、健康のためとか未成年防止とか銘打って、政治家の常套手段、国民受けする美しいフレーズで、
コンビニなど大企業に寄り添うタバコ販売方法に目を向けさせ、個人販売をほとんど全滅状態にしたのは、何かと選挙動員や企業献金でお世話になっているからなんですか、と勘ぐってみたくなります。

( キリスト教といえば、以前神保町の古本で、ギネスブックに似たなんでもベストテンみたいな、アメリカ人作家のペイパーバックを見つけたので、おもしろく読んでみた。その中のエピソード。
なんでも植民地時代の遠征先のミッション伝道で、性的ポジションの女上位はよろしくない、男上位にしなさいと原住民に指導していたらしい。だから別名ミッションスタイルとかミッションポジションと呼ばれているらしい。

まったく昔は偏見で、いま打算的に、何かとモラルとか健康を持ちだして屁理屈いうのは、英米人のお家芸である功利主義といえば言えるけど、愛しあう二人の楽しい秘め事まで口だしされたら、どんなもんでしょう。
でも余計なお世話ですけど、ちなみに統計によると、子供がほしい人にはこのポジションが一番いいそうです。命中率がいいとか。また女性に嫌われるな。

またちなみに、この本によると、愛の探究者は水中とか何かで試した結果、数千におよぶ体位を発見したそうです。大きく分けて五つになるという。
前述のふたつと、side by side、sitting、standingになるそうです。語彙力がないので詳しくわかりません。

 それに余談ですけど、先日バンコクにいたとき、禁欲的で痩せた坊さんがさりげなくなくタバコを吸っていました、いっしゅん違和感を覚えたけど、変にさまになっていました。
ふと、なんだかブッダの修行時代と、悟りを開いたときを思い出させてくれました )


東京の空の下、青春は流れていく


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