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『小説』 オートマティック 第1章 失われたぼくを求めて


 1.


 くっしょん。

 ひとくしゃみして少しばかり寒さを感じると、なあんだ夢だったのかと思いながら芝生の上から立ちあがった。
 意味深な夢だったのか、そうじゃないのかさっぱりわからない、今のぼくの事情にどんな関係があるんだろう。単に流れにあっただけのものか意味わかんない、これからわかる展開なんだろう。まあいいや、眠気ざましに顔をバンバンたたいて思いなおし、また走りはじめた。

 おおっ、なんだか体が快調。あのひと眠りが効果あったみたいで頭もすっきり、体も元気元気、元気な子供は股間が夏みかんってね。
 ぼくは走りつづけながらまた思いだしたように、芝生でひと眠りする前の不良仲間の姿がよみがってきた。ぶり返すようで悪いと思いつつ、昨今の青少年の教育問題についてついつい考えこんでしまったぜ。



 いったい、この頃の若い奴は何してんだ。あぶないドラッグでなかったからいいという問題じゃないし、教育がなっていない、まあ昔から教育はなっていないだろう。昔からどうしようもない奴はいるもんだ、江戸時代だって不良はいるだろう、寺子屋に行かず親の意見も聞かずに遊び歩いていただろう。奈良時代あるいは古墳時代の人間の集団ができたときから、集団に適さないでなじめない男と女がいるんだ、まったく人間って奴はしようがないぜ。

 じっさい、人がいるところになじめない奴がいるとはよくいったもの。エレベスト山頂や南極北極、どこでも人が住み始めて集団があれば、落ちこぼれドロップアウトがある。そうでなくても、不良、非行に走る人が出てくる。しようがないものさ。

 上下関係ができれば横関係ができるし、どこかぎくしゃくして人間だものあたり前さ、じぶんの身辺に人がいる以上はね。集団ができればじぶんの存在を失わないために、じぶんの存在を主張するためにも、上にペコペコ下に威張って、横には肌の色とか、土地の所有物で存在を示そうとするからそれが争いになってしまうってわけか。



 なるほどね、人のあるところ、非行に走る奴がいる。同様に人のいるところ人の集まるところには、山の頂でも海の底でも吉野家やマクドナルドがあると思っていたら、戦争の最前線にも食べ物屋が出店しているらしい。
 腹がへったら戦ができないし、ほんとうに銃弾や爆弾の音がする前線でも、平然と店を出しているらしい話を聞いた。確か、華僑の中国人という。たくましいな。それも前線が展開したらそれにしたがって場所を移していくらしくて、人が生きていくにはなんとしてもやっていくものとは、ほんと人間はたくましいかぎり。

 たくましいといえばランニング程度でも元気が出る、やる気も出てくるし、ただやみくもに走るだけじゃ疲れるだけで、きちんと目標を持たなきあ、そう持たなければ。たしか昔、学校の先生がよくいっていたものさ。目標を持って勉強せよ、世界に羽ばたく君たちよって、短くなったタバコを目を細めて吸っていた先生がいっていたなあ。そうだ、いまのおれはただ意味もなく走っているような気がする。



 それにいま気づいた、いつのまにか、『ぼく』から『おれ』に主語が変わっている。名称、語彙が変わったのに比例して、最初の意識的感受性もすこしばかり野卑になったぞ。あのシンナー男が現れてからだ。おとなしくつつましい『ぼく』で出発していたのに、あのときから奴とかおれとか言葉表現も荒くなって、方法も混乱しちゃって定まらない。いかんいかん、ちゃんとしなければ。

 これが主体によって、対象が、目的語述語が変わるって奴か。主体が変われば内容が変わってくる、名称だけでない趣も変わるというもの。文芸用語でいえば主体の変容、変容する主体。
 主体が変わるにしたがってすこしずつ内容がずれていく、主題がずれていく。わたしが、わたしの、わたしに、わたしのものに、と主語、主体が軽やかに変わるにつれて、述部が、内容がすこしずつずれていく、あいまいミー。

 観客を、読者も迷わせ困惑させるという、おもしろさの追求といったものが出てくる。これはもしかして、ひと昔まえに流行したスキゾフレニーな逃亡理論、京大学派の浅田理論じゃないのかな。意見は拝聴していないけど、言葉のうわさだとそんな感じだぞ、まったく違うかもな。



 それにしても、われわれの業界も大変だ。

 業界?
 もしかして、おれは大学関係者、大学教授学会の会員。それほどの者じゃないな、あるいは文芸協会の会員とか。

 そうか。よくよく考えてみるに、いまおれの置かれている状況は、現代文学が抱えている主題を扱っている感じがする。
 記憶を失っている、おれ。何かを探しながら、じぶん自身の存在の在りかを求め歩くというテーマを持っている。現代文学の先駆けとなった主題である、存在。そんな感じかな。

 それに、人間の命は地球よりも重いといった、ニュートン力学では解明できない空虚な現代。疎外、人間の軽さ、つまはじき。そういったものからの脱却、克服、そして人間の本質。
 おおっ、スムーズに出てくる言葉の展開。やはりそうか、おれは作家かもしれない。作家な、おれ。



 そんな感じでつれづれに思いつくまま文学作品の名前と作品をあげてみれば、突然逮捕されながらなしくずしみたいに尋問されて、犬っころみたいな扱いをされるカフカの『審判』。太陽のせいにするカミュの『異邦人』。おもわず存在の重さに吐き気をする『嘔吐』のサルトル。それから、ピランデッロの『生きているパスカル』と。
 やっぱり、よどみなく出てくる言葉と語彙は、いつしかおれを著述家にする。
 そんな著述家の人が、なんでこんなところを走っているのだろう。原因はわからない、ちょっと違うような。ほんとうのところ、じつは一年中、寝不足の出版編集者かもしれなかった。

 そうか、わかったぞ。おれをドン・キホーテにする気だな、騎士道物語を読み過ぎて、やみくもに意味もなく勘違いして突進する男。前代の文学や思想をパロディしたように、現代文学の閉塞感を打破するためにおれを使って、同じようにパロディ化するつもりなんだ。おれの記憶喪失をいいことに、おもしろおかしく、コミック的に。
 それほどでもないか、まあいいや。もうどうともなれ、おれはこのまま走っていこう。何が展開するのかわからない、ただ接続詞のない、等加速度運動の流れに沿っていくしかない。



 でもなんだか、このまま走っていくというのも妙な話だ。何のために何の目的で、本能的というか、無目的に走るというのもどうもいただけないし、何かにうながされているのは確かとしても、やみくもにどこ行くあてもなしに走るってのはしっくりこない。走り終わったあとのゴールのさきに何があるのかまったくどうなるかわからないのに、そのゴールに向かうのもまたおかしな話で、ただそこには何かがあるはずなのにゴールさえどこにあるのか、おれはどこに向かって走っているのかわからないから、こまった問題だった。まあ考えても始まらない、ここは目のまえのルートを走るのみだ。

 あるいは、おれは目のまえの道を追っているのじゃなかった、追われている身の上かもしれない。だれかを何かを追っているのでなく、だれかから何かから追われている存在だと、なんだかわかるような気がしてくる。じっさい走っているとき何か身体に危険を感じることがあった、ふと恐怖感というものを本能的に感じることがあって、それがいったいなんだか。ただなんとなく感じていた。



 そうだ、おれは孤独な逃亡者だ。行く果てなどない何が待っているのかわからない、絶望的な、それでいて必死な逃亡者なのだ。おれが行く果ては生か死か、ストーリーが読めない逃亡劇がもう始まっていた。追われる、レ・ミゼラブルのジャン・ヴァルジャン。最近、衛星放送で昔のテレビドラマをやっていた、妻殺しの罪の汚名を着せられた逃亡者のリチャード・キンブル。彼らみたいにハッピーエンドで終わればいいけれど、世間はたぶん、そう甘くないだろう。

 それになぜ、おれが逃亡しているのか、だれが追ってきているのかもわからない記憶喪失のおれなのにどうしろというのだろう。

 とにかくマラソンランナーでないことは確かだった、そうであってもたぶんトップか、びり。まったく見当もつかないし、コースをはるかに逸脱していることはさすがにいまのおれだってわかっている、意識と存在の身元がわからないおれだってわかっていた。

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 2.


 宝町の住所プレートがあった角を曲がったところで、不可解な街並みを目にした。
 とても日本の風景とは思えないし、街角もなぜか変。まるで異国の街に突入したようでテレビとか映画で見かけるような建物風、急に、角を曲がったところに見えた面影だった。



 ここはいったいどこ、異次元の世界か。
 昔読んだ萩原朔太郎の『猫町』という文章の景色に似ているのを思いださせて、そこでは突然まぎれこまれた幻想的な街々が日常の風景みたいに変わっていて、なかに取り残されたひとつの印象風景があの本で描かれていた。いかん、また文学的素養が出てしまう。そんなことを思い起させる、ここは突然に開かれた風景だった。



 おれは、なんだか顔を左右にきょろきょろ用心しながら、ゆっくり歩幅を進めていった。
 ふと右の建物の間の空き地に、人が倒れているのが見えた。おれは道路の右側の歩道を歩いているので、当然のように建物は右側にある。別に描写しなくていいんだが、念のためわかりやすい理解のために書いている。

 この空き地は、建物の間に挟まれているように位置していて、マンションだろうか。すると住民たちの遊び場、あるいは広場かな。
 そんな場所に、若い女性らしき人がうつ伏せになっていた。おれはそおっと近づいてみると、顔の下、胸から腹にかけて血がまっ赤に染まっている。やまぶき色のボディコン、タイトなワンピースドレスでからだのスレンダーラインにぴっちり、いかにもこの女性は肉感的な姿態ですよということを表していた。

 足もとには片方だけ、あざやかな赤いハイヒールが脱げていて、もう一方には靴がなく裸足だ。太ももがすこしばかり見え隠れする脚足、その下の片方の足には靴が見えない。おれは不思議に思って、右、左、探してみた。おもわず脚足の上の方に目が行きがちなまなざしをこらえて、注意をこらして遠くの方に落ちていないか、見てみた。
 おれはおもわず落ちていないか、といった。直感的に、建物から落ちてきたものだと思ったからだ。



 それにしてもここに死体の女があるにもかかわらず、おれの冷静な態度と観察はなんだろう。もしかしてこんな現場に慣れている職業か、何かに携わっていたのだろうか。おれの態度からして警察官を思わせる態度だった、そうでなくても生死に関わるものに携わっていたとか。
 わからない、とてもいままでのおれからは連想できない感情だった。右側の建物を見たら、建物の真ん中に、三人並べばいっぱいになる歩幅の小さい階段が三段。のぼると、小さな踊り場があった。前にドアがあって、そこが玄関口になっている。

 階段のせいで玄関が地上から半階高くなっていて、踊り場の横幅分だけ、地上が玄関口の建物から離れている。建物と地上の間にすき間があり、そこから地下室が見え、外国でよく見かけるような建物だ。
 とても、この建物から落ちてこられるような距離感でもないし、雰囲気でもない。

 そのとき、近くで女性が驚き叫ぶ声がしてきた。
 何語だろう、わからない。確実に女性の死体のそばにいるおれを見て叫んでいて、驚きおののく声は世界中、何語でも同じだなと思わせる声で叫んでいた。おれがあたかも、横たわっている女性を殺したかのように、おれを指さしている。

 ふっと上を見あげたら、五階あたりの窓から少女がこちらを見おろしている。何かあったのかというより前からこの光景を見ていた感じで、おれには不思議な思いがして時間的な瞬間が止まったまま、ここに立ちすくんでいた。女性が落下したのはこのビルからですよ、といっているようだった。



 このまま逃げるか、それとも犯人を知っているあの娘から聞いて身の潔白を証明してもらうか、判断がまかされた。状況からして事件は起こったばかりで、女性の死体が血に染まっていてもからだは暖かったので、たぶんまだ犯人は建物のなかにいるにちがいない。おれは選択をするまでもなく犯人がいるだろう建物のなかに入り、追跡を開始していた。じっさいなんの躊躇もなかった、おれのからだは攻撃態勢というか犯人を追い求める男になっていて、なぜだかわからないけれど使命といわんばかりだった。

 おれは建物のなかに入った。わっ、階段ばっかり。エレベーターがない、階段がこの世のものとばかりに、前に立ち広がっている。これを、おれはのぼっていくのか。 
 おれは男らしく、二段越しにのぼり走っていった。犯人が早く立ち去っていかない前に捕まえなければならない、そうでないと身の潔白が証明されないばかりか、ほんとうに女性殺しの汚名を着て刑務所行きだ。そんなことになったら、泣くにも泣けない。おれにはまだ解かなければならない大きい問題があるんだ、このまま身を捕獲されたまま刑務所に釘づけというわけにはいかないのだ、おれには使命がある。

 どんなといわれても、はっきりいえないのが玉にきずなのだが、いうほどたいしたものでもないかな。ここは何はともあれ、犯人探しが先だ。
 階段がぐるぐるになっている構造の建物を、駆けのぼっていった。途中に階と階の間に踊り場があり、この建物は真ん中が空間の吹き流しの形になっていて、その周りが部屋になっているところを階段でのぼるのだ。



  おれは走るようにのぼった、まるでフランス映画に出てきそうな、グルグルまわっている階段のよう。中国風建物の四角な構造になっていて、中国建築の木造が鉄筋構造というべきか。早い話、四角い建物のなかに中心が穴開いて、周りのそれぞれの階に部屋がとり囲んでいる。いったいおれは何をいっているのだろう、こんなに説明しなくても、これを読んでいる人はだいたい見当がついているのに。

 こんな風にすこし描写しなくてはいけない義務を負いながらも、必死におれは犯人に追いつこうと先を急いで行ったのだが、確かあの少女は五階あたりだった。あともう一階、なんだかこの建物、古いのか新しいのかわからない。階段は新しいのに壁は古く、剝がれているところがところどころ目立つ。
 そんなところを見て思いながら、やっとこさ、五階にたどり着いた。確かあの少女がいたのは、あの辺かな。空き地があそこの方だとすると、いかん、グルグル階段をまわってのぼったので方向がわからない。こりゃあかん、ともあれ、ここはひと部屋ずつ当たるしかない。

 おっと迷宮的な面倒さから解き放すかのように、ドアが開いている部屋がある、おれは急ぎ足でその部屋に飛びこんだ。勢いよく踏みこんだ矢先、少女をうしろから抱きしめている母親らしき中年女がこちらを睨みつけていた。恐ろしそうに怯えていて、おれを悪漢のひとりだと思っているらしく、南米人の親子のように見えた。

 違う、違う、おれは日本語でいった。向こうも、大声で叫んでいた。何語の叫びだかわからないし、なだめようにも状況を聞きだそうにも、お互い格闘技でも始めようって格好でじだんだ踏んだ姿勢になっている。
 だから、あのね。えっと、なんといえばいいんだろう、女性を窓から落とした犯人はどこなんだよ。まったく、どういったらいいのかわからない。母親に抱きしめられている少女が、左手を左の方に向けながら、フォーティーン、フォーティーンといっている。

 そうか、フォーティーンか。おれは急いでこの部屋を出て、ナンバー14の部屋を探した。
 この部屋が510、ファイヴ、テン。フォーティーンだから、514。右の部屋が511だから、あっちだな。

 おっ、廊下の角の突き当たりが514だ。駆けこむようにドアの前に行き、ドアノブを押した。だが閉まったままでドンドン叩いても開かない、確かにこの部屋らしきなかに、人はまだいる気配がする。
 こうなったらからだごとぶっつかってドアを突き破るしかない、こんなことしたくないのに映画みたいに蹴破ってなかに入ることなんてできるのかな。おれは助走をつけようとして、うしろに三歩ばかり下がった。腰をおろして、さあやるぞ、と構えようとした。すると急に、なかからドアが開き、男が出てきて猛スピードで逃げだした。

 あのな、不意をつかれたような感じだった。おもわず、ため息ともつかないつぶやきがもれた。
 そんなこといっている場合じゃない、男を追わなくてはいけないのに、逃げだしているところを見るとあいつがやっぱり犯人にちがいない。

 男はがむしゃらに逃げていく、何やら上の階にのぼっていった。あれっ、まだこの上にも部屋があるんだっけ。とっさに建物を見たときは五階建てだと思ったのに、あの少女も最上階の窓から見ていたはずだった。そうか、屋上にのぼる気なんだな。おれは、男のあとを追っていった。上にのぼるには、廊下の外にいったん出て階段を使うようになっていて、おれも同じように出ていき非常階段らしきものをのぼっていった。






( ↑ 冒頭の夢のなかの話は、以前に独立して公開していました)




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