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ゲーム的自分の操作方法

自分の使い方ってとても大切というお話。

「サックスでバロック音楽を演奏したらおかしい」っという言葉を聞いた。「ジャズをリコーダーで演奏したらおかしい」も同義。同じように自分の声にも向くものがあると。ゴスペル歌手にアニソン歌わせたらおかしいし、萌え声MAXな声でゴスペル歌うのも違うのだ。

何を言いたいかと言うと「自分の使い方」をうまくなる必要があるという話だと思う。これは声だけの話ではないと思う。自分をどう扱うかってとても大切だと思う。筆者的に自分に言い聞かせている部分でもある。

ゲームって人生学べる

自分の使い方を考えたときに個人的にはゲームを思い出す。ゲームってこの概念が非常にわかりやすいと思う。

基本的に人って、一人称視点で生きている。すごく当然のことを言って申し訳ないのだが、鏡を見たりしないと自分の姿は見れない。これをゲームでいうと、恋愛シュミレーションゲームの目線だと思う。恋愛シュミレーションゲームって主人公の目線でゲームが展開されるので、主人公の姿が基本見えない。(筆者は人並みにゲームはやってきたがすごく詳しい訳ではないので、ゲーム好きから認識が浅いと思われたら謝ります。)

もう一つが格闘ゲームとかRPGとかの目線。これは主人公の姿が見える、ゲームプレイヤー的には自分の操作するキャラクターの姿見えている状態でゲームが進む。

この2つをちょっと対比して考えてみた。

主人公の扱い方を考えるかどうか

ひとつの大きな違いは主人公の扱い方を考えるかどうかである。

恋愛シュミレーションゲームって、攻略対象の異性は複数いれど、主人公は基本的に1人のことが多いと思う。相手の異性をどう攻略するかを考えながらゲームをすすめるが、考えるベクトルが主人公向きになることって少ないように思う。相手のことばっかり考えてゲームをするのだ。

相手の扱い方は考えても、主人公の扱い方を考えることが少ないってことである。

それと対比すると、格闘ゲームって自分の操作するキャラクターの扱い方をめっちゃ考える。相手のことも考えるが、自分の操作するキャラクターの性能を考えるのだ。格闘ゲーム好きしか伝わらなかった申し訳なのだが、飛び道具キャラでわざわざ接近戦は挑まないし、投げキャラなら接近戦の持ち込もうとするだろう。扱ってるキャラクターにあった戦い方を考えるのだ。

相手のキャラクターのことはもちろん考えるが、自分の扱うキャラクターの性能も考えながらゲームを進めるのだ。これは自分の操作するキャラクターの性能を考えて行動を決めてるワケだが、リアル人生において、格闘ゲームの視点はとても大切だと思う。

相手が人でも、人以外の問題でも、「(相手・問題)をどう(接するか・解決)するか」って目線はもちろん大切だが、それに加えて「自分の性能や特性なら、どう解決するのか」の目線はさらに重要になってくる。

人間関係でも仕事でも「その人だから成り立ったんでしょ?」って感じることはあると思うが、それはその人が自分をうまく扱えている証拠であると思う。そりゃ特徴違えば、戦い方は異なるのは同然だと思う。

仲間をつくれるのが大事な能力

筆者的にはRPGゲームの目線はさらに一歩進んでいると思う。仲間の性能との関係性が出てくるからだ。主人公=自分の苦手な部分を、仲間が埋めてくれることが可能なのだから。

自分が魔法使いなのに最前線で肉弾戦を繰り広げる必要はないし、戦士なのに仲間の回復役を担う必要はないのだ。魔法使いは後列から魔法を使っていればいいし、戦士はモンスターを殴っていればいいのだ。

ゲームで考えると当然のことなのだが、自分のリアル人生だと、ついつい勇者みたいな「攻撃よし、守備よし、自分で回復呪文も撃てちゃうよ」みたいな人にあこがれてしまう。一人で戦うことに意味を見いだしがちだったり、自分がヒーローになりたがったりしてしまう。筆者もその癖があったし、今でもそうなってしまう時もある。

ただ、その目線で生きてしまうと、「生まれつき勇者属性持ち」みたいなスペシャルな人のみが成功する世の中になってしまう。実際そういう人生観とか世界感でみていると、「成功するの人なんて才能を持って生まれた一握り」みたいな感じになってしまうと思う。まぁ本物の天才みたいな「生まれつき勇者属性持ち」はそのまま走ったらいい、かっこいいし。

ただ大半の人は生まれながらにして勇者ではない。だから、ほんとに必要なのは仲間をつくる能力なのだと思う。生まれつきの魔法使い属性持ちなら、戦士を仲間にすればいいし、生まれつきの戦士属性持ちなら、魔法使いを仲間にすればいいのだ。そうすれば、勇者にはなれなくても、魔王は倒せる。

もしこの世が一人で戦わなければいけないゲームなら、白魔道士に生まれ落ちた時点で人生はもう無理ゲーである。白魔道士ひとり旅なんて、とんだマゾプレイじゃないか。

でも、戦士3人のパーティーからしたら白魔道士なんて、喉から手が出るほど欲しい人材だったりするのだ。それでいいと思う。

大事なのは、勇者になることではなく魔王を倒す事なのだから。

人生的にも「超絶スーパーですご過ぎるもはや神的な人」になるのが目的なら勇者属性持ちに生まれなきゃだめだろう。でも、大切なのは「自分の人生の目的を叶える」ことだろう。だったら必要なのは、「自分の能力を知ること」と「仲間をつくること」なのではないでしょうかね。

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