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心理的安全性と認知の歪みのせめぎ合い

 自慢じゃないが、私の職場は心理的安全性が高い。
 心理的安全性とは、組織の中で自分の考えや気持ちを誰に対してでも安心して発言できる状態のことで、その発言を理由に責められたり罰せられたりする心配がないことをいう。
 私のその職場とは、障害者が障害者を支援するという理念のもと障害者が運営している自立生活センターだ。
 障害者は出来ないことがたくさんある。
 出来ないことは、頑張って肩肘張っても出来ない。だから、出来ないことはやらない。
 出来ないことが当たり前なので、出来る人が出来ることをやればよいと考える。
 自然と加点主義になる。何かやればやったことが素晴らしく、失敗はありえないことになる。
 もちろん、たとえば利用者さんへの対応で不適切なことをしてしまう場合もある。
 その場合は、その人個人にすべての責任を負わせるのではなく、全体の仕組みの中に不具合を探してそれを改善する方向で考える。
 私が統合失調症を抱えながら長期間働けているのは、この心理的安全性のおかげなのだ。

 とはいっても、調子が悪いと被害妄想を持ってしまうことがある。
 利用者への対応や運営上の書類の扱いについて不適切な点を指摘されたとき、「これは大失敗だ」と責められ悪者にされたと感じ、私の人格を否定されたと思い込んでしまうのだ。
 このようなときはどうすれば良いだろう?
 私は、その責められた悔しさを抱えつつ数日から一週間を凌いでいく。
 するとまったくの別件で褒められたり感謝されたりということが起きる。その感謝してくれている人が私のミスを指摘した人だったりする。
 「そうか、この人は俺を嫌って責めていたんじゃないんだ」と気づく。
 そこであらためて振り返れば、私の人格を否定していたはずの言葉は、私の言動の小さな一部分がマズかったねと限定的に指摘し、今後起きないようにするにはどうすれば良いだろうと問いかけていただけだったと判明する。
 私の被害妄想は、認知行動療法でいう認知の歪みが原因だったのだ。

 このように、子細に見ると心理的安全性の高い職場でも危ない瞬間がある。
 プレッシャーを感じさせる認知の歪みとの付き合い方を学んでおきたいものだ。

(882字)


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