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奈良旅 その2 聖林寺から箸墓古墳…

奈良二日目。JR奈良まで出て、桜井へ、そしてタクシーに乗って聖林寺へ。
どうやって行ったら一番効率よく回れるのか?とあれこれ相談してシミュレーションしたけれど結局こうなった。
奈良ホテルからJR奈良まで(ちゃんと自国を調べて)バスに乗れたのは良かった。まあ全然歩ける距離ではあるけれど、その先もあちこち歩くし、体力を温存したいという気持ちもあった。

でも桜井駅からのバスには間に合わず、次のバスまでの時間がかなりあったのでそこはタクシーを利用した。タクシーの運転手さんが「バスの本数がどんどん減っちゃって大変」というような話をしていた。
バスがなければタクシー、と我々のようなシニア観光客は思うけれど、若い人は歩こうとして迷うとか?とても歩けるもんじゃないとか?(笑)地図だけで見たら近くてもこの辺は田舎で山道だからね~と言っていた。確かにアップダウンがあって、歩くのはなかなかしんどそうだ。
慣れた運転で聖林寺に連れて来てもらった。タクシーを見送った駐車場からまだ細い坂道を登ってお寺に到着。そうそう、こういう山深いところだった。と言ってもそんなに大きくはなく、大袈裟でもない。さりげない山のお寺。拝観料はクラウドファンディングのお礼ハガキで二人分無料。靴を脱いで上がるとすぐに本堂。窓の近くにはお寺の由来、十一面観音像の作り方と説明のビデオが繰り返し流れている。
本堂の子安延命地蔵は白くふっくらとした優しいお顔の仏様だ。
でも、本堂からさらに通路を上に上がったところにある耐震工事の済んだ観音堂には国宝の十一面観音像がある。元々は大御輪寺にあった仏様を明治時代の神仏分離令による廃仏毀釈を逃れるために聖林寺に移したものだそうな。760年代に作られたとされる説が有力とか。その長い歴史、数奇な運命と、すらりとした長身なのにバランスの取れたプロポーションに感動を覚える。前に来たときはガラス越しに前面から見ることしか出来なかったけれど、今回の修繕を経て、仏様はガラスケースに入れられ、我々は周りをぐるりと回ってじっくりと見せていただける仕様になっている。
すみません、と心で言いながらじっくり、じろじろと、あからさまな視線で見学させていただいた。それから仏様からはちょっと離れたちょうど正面にあたる場所にある木の腰掛けに座って、遠目からじっくりとそのお姿を拝見。と言うよりこれは逆に仏様の方から自分が見られている感覚。こんな者ですがどうぞお守り下さい、お救い下さいとでも言うようにじっと見つめる。さながらにわか仏教徒だ。たぶん仏様はそんなことはお見通し。何人ものにわかがそうして仏様の前にその身、その顔をさらしたことか。
てなことをウロウロと考えながら相当じっくりと十一面観音像と対峙することが出来た。次の拝観者さんが来るまで。
この、訪れる人の少ない寺だからこその贅沢な時間。
奈良ですね。これが奈良。ありがたい。
いくつかお土産を購入した後、帰りのバスの時間を見ると
「あ!ちょうど今、あ、あれか?バス!?」と、見下ろす道路の先にバス停を通り過ぎていくバスが見えた…

次も、タクシーってことね。

タクシーアプリは本当に便利で助かります。

前に来たときはお寺でタクシーを呼んでもらったような気がする。
今回はアプリで呼んで、その行き先は「箸墓古墳」であります。

箸墓古墳って? 卑弥呼のお墓じゃないかと言う学説があって注目を浴びた古墳らしい。
私も古代史は好きだけれど、あまり学説には詳しくない。大学の専門は西洋史だったし(逃げ)。日本史に詳しいのは我が相方である。主にNHKの番組や朝日カルチャーセンターの講座などを通していろいろと知っている。奈良へ行くなら箸墓古墳と纏向遺跡へ行きたい、と言ったのは相方だ。前に聖林寺に来た時、確か、桜井駅の近くに観光案内のように近くの遺跡に関する資料の置いてあるコーナーがあって、とても「そそられた」のだ。今回はそこを見つけられなかったけれど、まあ、最初から箸墓と纏向がターゲットだった。

奈良ホテルというハイクラスホテルに泊まりながら、アウトドア派のようなラフな格好で出発し、歩き疲れてよろよろになって戻る。気分は考古学者か歴史学者かそんなところ。

「墓古墳までと言ったって、タクシーはどこで降ろしてくれるんだろう?」
と言葉には出さずに不安に思っていた私だけれど、ちゃんと、古墳を説明する看板のある場所に続く細い道の入口前というドンピシャの的確な場所に連れて行ってくれた。
奈良のタクシー運転手さんは本当に素晴らしい。さすがだ。プロだ。
観光地と言っても古墳なんてそんなにたくさんの人が行きたがるような場所でもなさそうなのに。修学旅行の学生とかならまだしもね。

細い道を通って看板の元へ。
奈良の古墳の多くは宮内庁の管轄で、敷地内に入ることはもちろん出来ないし、中を発掘や研究することもほとんどないらしい。
これが箸墓古墳です、という場所はうっそうと木がいや森になっているこんもり小高い丘で、看板のある反対側は大きな池だった。看板の前からぐるりと回れる小道があり、相方と二人で歩いて行くとそれが途中から池のほとりを辿る道になる。
歩く度にバッタがぴょーん!ぴょーん!と飛び出すような道(笑)。
のどか。田舎。野の道。ちょっと先には大きな道路が通っていて、自動車もトラックもビュンビュン走っているのだが、この古墳(丘)と池の周りは別世界のような「野」そして「田」。池がずっと続いていると思いながら歩いて行った先には稲がびっしりと穂を垂れて生えていた。もうすぐ稲刈り?という風情で。「ここ、田んぼじゃん!」「あ!鷺!」ちょっと離れたところに鷺が降りてきて何やら…たぶんバッタか何かの虫を食べに来たのではないかな。
すごいなあ。昔々の人達も、こんな風景を見ていたかもしれない、と思わせてくれる奈良。古墳。そして通行人がほとんどいない(奈良あるある)。

ぐるっと一周して、タクシーを降りた辺りまで戻ってから、大通りへ抜けてそのまま次の目的地へ歩き始めた。

次の目的地は、纏向遺跡。
私らほんと、研究者気分です。
(10月とは言えまだまだ暑かった)

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