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題:ポー著 佐々木直次郎訳「黒猫・黄金虫」を読んで

白石かずこの詩集「浮遊する母、都市」を読んでいたら、ポーの詩「大鴉」の題名が記載されていた。確か、中井英夫の「虚無への供物」では「大鴉」の詩が重要な意味を持っていたと記憶している。ポーとは何者なのか、時々何かの雑誌などで取り上げられる作家である。たぶん読んだことはない、そこでこの「黒猫・黄金虫」と「ポー詩集」を入手して、「黒猫・黄金虫」の全編と「大鴉」の詩だけを読んでみたのである。結論から簡単に述べると、沈鬱さと憂鬱さに病的な心理が侵食している。何に対してなのか、ポーの貧しく悲惨な人生が生み出したものなのか、何かしらの思想や恋愛の破綻なのか、この世界の不条理や不合理さ、無慈悲さに打ちのめされて、表現せざるを得なかったためなのか。それにはポーの作品をそれなりに深く読んでみないと分からないはずである。 

「大鴉」なる詩を読んでみると、どうしてもディキンソンの詩を思い出してしまう。彼女の詩の題名:This World is not Conclusion(この世界は終わりではない)に記述されている、小さな秘密がこの世界に鴉となって姿を現したのだろうか。吉行理恵の詩「青い部屋」に書かれている雨戸を叩く気違い婆さんも思い出してしまう。大鴉とは姿が見えない気違い婆さんなのだろうか。関連した詩はこれくらいしか思い出せない、それほど詩集を読んではいない。もしかしたら「青い部屋」とは「大鴉」をモデルにしている詩なのかもしれない。 

ディキンソンの小さな秘密とは恋であり愛であり、この世界でもある抽象化したものであるのに対して、大鴉はその正体は分からずとも形象化されたものである。形象化されて謎を秘めてやってくる。ポーの詩ではこのように鴉なる姿をもって現れ出てくることが重要である。でも、この姿に何が秘められているのかは良く分からない。ポーの文章が緻密に、繊細に、事細やかに表現していることが大きな特徴である。まあ、ポーの詩は機会があれば全部読んで、別途感想文を書きたい。なお、「大鴉」なる詩は掲載しない。ネットを調べれば見つかると思われる。 

「黒猫・黄金虫」は五つの短編からなる。簡単に内容を紹介したい。「黒猫」は、黒猫を愛していた男の話である。結局男は可愛がっていた黒猫の目玉をくりぬく。言い争った妻を殺して壁に埋めると、別のもう一匹の黒猫が現れてくる。警察の捜査時に壁を叩くと、黒猫が壁の内で鳴いている。黒猫も殺されていたのである。「アッシャー家の崩壊」は、古色蒼然とした家に住む兄が病弱な妹を殺して、仮埋葬として礎壁に埋める、その妹が扉の向こうから血の付いた白い着物を着て現れて、兄に倒れ掛かる。「ウィリアム・ウィルソン」は、ウィリアム・ウィルソンなる奇怪な人物に付け狙われ邪魔される私が、鏡を見ると私の姿がウィリアム・ウィルソンになる。「メールストロムの旋渦」は他の漁師の行かない大きな渦巻のある好漁場のみで漁をする兄弟が、不運にも渦に巻き込まれて弟だけが助かる。「黄金虫」は海賊の宝を、捕獲した黄金虫の紋様を元に謎を解いて獲得することができた話である。 

こうしてみるとポーは怪奇や幻想に恐怖、悪夢に探検ものなど多彩なジャンルに及んでいる。日本では江戸川乱歩や夢野久作などにその影響を見て取れるはずである。彼らの作品はそれ程読んでいないために評するのは無理があるが、直感的にはポーが精神的な欠損や病者の趣があり自己内省を幾分含んでいるのに対して、江戸川乱歩は自己内省性を含まない怪奇性や残虐性が強い精神と行動を嗜好的に描いている。夢野久作では同様に描きながら幻想性が豊かに拡がり、「ドグラ・マグラ」という傑作を生み出している。まさに幻想性が怪奇と精神疾患の内に結実している小説である。

文学を、単純に自己を投射・投影することのできる純な文学と嗜好を満たす欲求・嗜好型の文学に分けると、ポーの作品は純な文学に近くて、江戸川乱歩の作品は嗜好型の作品が多いはずである。夢野久作はどちらかというと嗜好型になるだろう。文章で言えば、ポーがより緻密に繊細に描いているのに対して、江戸川乱歩の文章はそれに近づこうとしているのか、似ていると思われる。夢野久作は軽妙で短文である。だからこそ、「ドグラ・マグラ」のように凄惨な場面を描きながら、夢を見ているように映像が浮き上がってくる、鮮明さを持って浮き上がってくる夢のような不可思議さがあるのである。 

いずれにせよ、彼らは純な文学ではない。小説に怪奇性や残虐性は必要ない。単なる普通の文字の、単語の、文章の並んでいる小説の内にこそ傑作な作品が生まれてくる。ただ、文学作品にはそれぞれの好みがあり、自らの好きな作品を中心にして読むのが良いはずで、誰もそうしている。でも、私は普通の文字の単語の文章の並んでいる、一見退屈そうでも傑作した作品を読んでみたい。切れ端の細胞のような文字を並ばせながら精神の構造を描写した作品である。描く内容を持たずに、でも、精神の平板さや奥行きを描写している作品である。あまりうまく表現できていないが、そうした作品こそが傑作となる得る。こうした作品を見出すことが一番難しい。 

以上

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読書感想文

詩や小説に哲学の好きな者です。表現主義、超現実主義など。哲学的には、生の哲学、脱ポスト構造主義など。記紀歌謡や夏目漱石などに、詩人では白石かずこや吉岡実など。フランツ・カフカやサミュエル・ベケットやアンドレ・ブルドンに、哲学者はアンリ・ベルグソンやジル・ドゥルーズなどに傾斜。