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花と魚

また植物を買ってしまった。目覚まし時計の隣で黙ったままでいるサンスベリアは昼間まで300円の価値がつけられていた。私ははじめ、丸くて深緑の葉が可愛いらしいカポックを買おうとしていたけれど、花言葉が「とても真面目」だと知ってやめた。私という人間は決して「とても真面目」ではないけれど。真面目という基準すら知り得ないけれど。心のどこかでそれを正しさだと言い聞かせてしまっていて、勝手に同族嫌悪を抱いたのかもしれない。植物相手に馬鹿な話です。
 サンスベリアは葉が大きくてずっしりと重たい。夜になればひんやりと冷たくなる。偽物みたいだと思った。彼女、空気を綺麗にするんですって。花言葉は永遠。永遠です。コップ半分にも満たない水道水をじわじわと吸い込む君に、永遠が課せられているよ。そう言ってみたけれど、正直死んでいるのか生きているのかもわからない。ただ、君を生かすも殺すも私次第なのだと、春霞のように薄く淡い責任感が心地よかった。もちろん殺したりしないけれど。
最近花を買ってばかりだ。生花は大体二週間で息が細くなる。マゼンダのスターチスはドライ行きです。ドライにするなら本当は買ってすぐが良いみたいだけれど、私の目的はドライフラワーづくりではなく延命なのだから、まずは花瓶、それからドライ、で良いんです。気味が悪いね。
花を買うこと、植物を買ってしまうことが弱い中毒みたいになっている気がする。花屋で一輪選ぶとき、心に花と水が入るほどの余裕がある生活をしている気になる。本当のことを言うと心にはもともと水が張っていて、それも、生ぬるい消毒臭い水道水で満ちているんです。36度、体温くらいの生活の中にいるから絶望なんて実は見たことがない。乗り越えたと言えるほど高い山には登ったことすらない。花を枯らさなかったことがない。それを睨みつけ侮辱する人に出会わないよう、ずっと温水に潜ったまま、えら呼吸で息をしている。全然完璧じゃないし、真面目じゃないんだよ、と言いながらも、失敗作ではないんです、と小さな声を上げている。視線から逃げて負け戦をしないようにしている。光合成で生きる植物を無理やり暗闇に閉じ込め、道連れにしている。溺れさせている。今だって君にずっと罪悪感を感じているよ。私は私にとっても君にとっても毒みたいなのかもしれないね。
36度の私と冷たいサンスベリアは、どちらが生きていて、どちらが死んでいるのか、もうわからなかった。


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