破壊と再生ー25歳はじまり日記ー

陽炎に微睡むあの夏。二度と戻らないあの日。


あの夏は本当に刺激的だった。結論から言うと、映画学校で一緒だった彼女とは、喧嘩別れをして連絡を絶った。から、今は関わりはない。でも、彼女は監督として、クリエイターとして本当に最高のセンスと才能の持ち主だった。彼女からもらったインスピレーションは本当に無限で、アイディアはそこここに湧き上がっていた。

それで、当時、ブログの初めの方に話したアートのクラスを大学で取っていた時期でもあったので、そこから頂く学びや、アイディアも溢れかえっていた。

そして、遂に監督として思い入れ強く脚本を書いた。その中に二人の登場人物が出来上がった。我が子を生むような思いで、人物作りに臨んだ。この短編映画はツインレイの話で、あまりにも近すぎる魂同士の話。

一見は恋して別れただけの恋人だが、私にとって二人の恋路はそれ以上であった。最近は、理由があって別れて、理由があって付き合う人が大半だと思うが、この二人は知らずに惹かれ合い、知らず知らずのうちに別れを選択した。感覚的な恋。

兎に角、監督としては、その二人がどんな街に住んでどんな人生を歩んで、今日何をしているのかまで、隅々まで考え抜いた。

そして、素晴らしい役者さんを初めてオーディションで選ばさせて頂き、本格的に始まった。

都内のある街で撮影したのだけれど、撮影日2日の両日とも頭から湯気の出るくらい暑い7月の夜であった。1日目に事件は起きた。暑くてみんなも限界が来ていたのか、太陽男と女の子が些細なことで喧嘩した。私は監督だったし、初タッグを構成したのは私だったので、当然私は責任者。最後キレて帰ってしまった太陽くんは初めて怖い顔をしていたし、女の子は、その後も、もう次の撮影に参加したくないと。作品どころではないではないか!

私はまず彼女に懇願したが、私の情熱と目標達成のために手段を選ばない感じが、彼女には本当に鬱陶しく感じたのだろう。

私は、疲れ果てて太陽くんのところに行って事情を説明し、大崩れ泣きだった。板挟みのジレンマは流石に本当に精神にきていた。でも全ては作品のため。

そう、また話は逸れるけど、神様は試してくる。いつだって、それは本気になればなるほど。かなりシビアに「あなたはそれを本当に望んでるの?」と問いかけるように難題を用意してくる。当時は泣きじゃくっていた私だが、今は制作段階でくるあれこれに、キタキタ、コレだ〜。ってなる。

で、その大壁をぶち破ってその作品は完成した。なかなかの難産だった。

それで諸々があり、彼女の言葉と私の言葉が凶器になり傷つけ合うようになったため、彼女とは友達でいられなくなった。

一年経って思う事は、あの子も、出会うべくして出会ったのだろう。一夏の思い出だったが、素晴らしい経験だった。彼女の自由で、軽やかに、スピーディに今感じたことを、今、世に出していく感じに憧れた。それは、常に考え過ぎてしまう私にはない才能と、思い切りのある潔さ、勇気だったから。

憧れ過ぎて、一緒にはいられなくなったのかもしれない。でも今は彼女を通して垣間見ることのできた世界に感謝しているし、彼女から学んだことは今の私の制作の土台になっているのは間違いない。

そして、2021年秋、この関係を手放した矢先に起こったことは、その当時人気だった山田洋次監督作品、「キネマの神様」の本当の意味に触れたような、そんな素晴らしい体験だった。

ー 続く ー

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