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バトンを受け取るということ

先月末を持って、僕の上司2人が同時に退職した。
片方は事業本部長として会社の上層から多くのことを今の代表や取締役と共闘しながら作り上げてきてくださった方で、何より僕を面接で採用してくれて入社前から定期的に交流を続けサポートしてくれた方だった。

もう一人は事業部長としてSIチームをプレイングマネージャーとして引っ張ってくれた方で、入社した当初CSS設計すら「そんなものがあるのか!」という今からじゃとても考えられないレベル感だった僕をそれでも面倒を見て、思案しながら課題を考えてくれたり自己学習のサポートをしてくれた。
不器用だったが、良くしてくれた上司だった。

そんな2人だから、退職の話を聞いたときは衝撃的だった。
入社時スタッフブログを読み、この人の考え方に共感できると思って入社したからこそ、その人をまさか僕が見送る側になるとはこれっぽっちも想像していなかった。

SIチーム自体も存在を再定義したところだったからこそ、これからだと思っていたし幸か不幸かSIチームは古参メンバーで構成されていたからこその団結力もあって絶対面白くできるとも考えていた。

退職して半月と経っていないが、最近自身の様子がおかしかったことに薄々気づきながらも原因がわかっていなかったが、少し腹落ちできたから退職する側送る側のことも交えて少し書き留めておこうと思う。

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退職する側

僕自身、おそよ1年と半年お世話になった前職を退職している。
決して会社が倒産の危機にあったとか、リストラとかいわゆる会社都合ではなく、僕自身の都合で退職した。
理由は割愛するが、その時の僕の感情は圧倒的不安と勝るとも劣らないこれから待っているであろう楽しい未来への希望とワクワクドキドキの気持ちでいっぱいだった。
ぶっちゃけてしまえば、前職のそれこそ同じチームのメンバーに対して何か申し訳ないだとか寂しい思いをさせてしまうなんて考えや感情はこれっぽっちもなかったし、何ならもっと早くこのオフィスを出て新しいオフィスで新しい仲間と働きたいとさえ感じていた。
(断っておくが、引き継ぎは丁寧に行ったつもりだ。抱えていた全案件の担当者や、全ての経緯、現状のソースコード、テスト環境とID/Pass、把握していたオフィス環境やそれに伴う資料は全て会社のクラウドに保存し引き継ぎを行った)

今僕が勤めている会社はとてもいいメンバーに恵まれていると思っている。
それはスキル的な面、1クリエイター1ビジネスマンとしての経験値や自走できるスタンスなど業務的な面も勿論だが、人間性がとても良いメンバーが揃っていると思っている。
これだけバックボーンが本当に違うメンバーが揃って、仲良くできているのだから素晴らしいなと思うし日々こんな僕とも絡んでくれることに感謝しかない。

そんな会社だからこそ、先月末退職したお2人も一抹の寂しさは少なからず感じていたことと思う。
でも、それと同じくらいそれ以上にこれからやれることやりたいことに対してのポジティブな気持ちが多かったことと思う。

それは決して間違っていないと思うし、僕はむしろやりたいことがよりやれるならば是非そうして活躍してほしいと思う。
そうしてまたお互い違うステージでも一緒に仕事が出来たらとても楽しいだろうし幸せなのかもなと。

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送る側

僕は今の会社で2社目、社会人歴も今4年目のチャキチャキサラリーマンだ。
だからこそ、まさか自分がましてや上司を見送る側になるとは露ほども思っていなかっただけに衝撃も大きかった。

今年は、僕より先に入社していた同期も1人退職している。
その時も、彼女とは一度本気で仕事をしたいと思っていただけにSIではなく社内のプロジェクトに関わる前に退職されてしまうことに寂しさを感じていた。
まして、長いこと同じ会社にいたはずが大切な部分の交流が最後の最後になってしまったことも後悔の一つだった。

前述した通り、僕はその人のやりたいことが現状の環境ではない環境でやれるなら是非そうしたほうがいいと思っている。

これはエンジニアリングも同じで、言語は違えどある程度は実装できる範囲が円で書いたとき重複する箇所が出てくる。
けれど、言語それぞれも人と同じで特性がある。
向き不向きがあるため、やりたいこと·開発メンバーのステータス·利用ユーザーの環境等を加味して適した言語で開発を行うが、時が経てばその向き不向きが変わることがある。
そうなった時、リファクタリング出来るのであればどんどんやるべきだと思う。
勿論、事業のフェーズやサービスの規模感、開発メンバーの潤沢さなど判断材料は出てきてしまうだろうがそれで諦めずにやれるならやっていくのがその先のより良いサービス提供に結びつくと思うからやるべきだと考えている。

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バトンを受け取るということ

前述した同期が退職時に書いたnoteがある。

これを読んで、僕自身も衝撃を受けたのを今でも覚えているし、SIとして参加させていただいているプロジェクトから契約満了で退場するメンバーやこうしてお世話になった仲間が退職するたびの追い越していったのだろうとこの記事と言葉を思い出す。

そう考えたとき見送る側、つまり僕らは追い越されたということになる。
しかし、ただ追い越されているわけではないとも感じた。

彼らが作り上げてきたモノ・コトはバトンとしてちゃんと引き継いでいる

追い越すということは、そこでやるべきことやれることはクリアになってしまった、もしくは諦めざるを得なかったということなのかなと考えた。
環境や周囲を変えることは一個人では難しいかもしれない、ではどうするか。
自分が変わるしかない。
そうして、内省したりPDCA回したりして自分が変わると不思議と見える世界が変わる。
それは視点が変わり視座が増え、やれること考えられることが増えたことの一つの証なのだとも思う。

するとどうなるか。
もっとやりたいことややれることが増えるし欲求も当然出てくる。
だからこそ、追い越していくのだと思う。

僕らが受け取るべきバトンは、彼らが追い越すに至るまでに暗闇の中諦めずに試行錯誤して作り上げてきたモノ・コトなのではないかと感じた。
大なり小なり、彼らが作り上げたものは普段の自分たちの業務の中や環境の中に浸透してたしかにそこに存在している。
それを引き継ぎ、スケーラビリティさせていくことがすなわち追い越された人が受け取ったバトンの活かし方なのではないかと感じた。

決して大それた話をしたいわけではない。
人間にはPCのメモリ同様に限界値がある。
その中でどう、自身のメモリをやりくりするかなだけなのだ。
まして、自分の人生。
自分の優先したいことを優先して脳のメモリを消費しても誰にも咎められることはない。
だからこそ、たった一つだけでも引き継いで自分なりに拡張していければとおもう。
(感じ方や考え方なので、これが解だとも思わないし誰かに押し付ける気を無いけれど)

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実はこの数日、ちょっとしたエネルギー切れを感じていた。
それはやれることが増えた結果考えることや気付くこと、疑問に思うことが増えたことや業務に多少なりともやられていたことは事実としてあるとは思うが、体力切れになるにはまだ早すぎると自分自身でも疑問に感じていたが、不意に退職した元上司と遭遇して、ある一言を言われてハッとした。

俺と過ごした2年

この言葉を聞いて急に今までの教わってきたことや楽しかった上司との思い出が蘇ってきた。
僕自身は、属人的なスタンスがある方だと思うし、過去キャリアアンカー診断を行ったときも同じ専門職の仲間および上司の両方から認められ、支持されることを望みます。と出ていた。

早い話が、気付かないところで寂しさを感じていたのだろう。
この半年も退職した上司と同じ現場に出向し同じプロジェクトを担当してきた。
紆余曲折あったが、そこで多くのことを学ばせてもらえたことは事実として大きいし、何より今まで課題でしかレビューしてもらってこなかった上司と共に働けた経験はやはり大きかったのだなと今になって感じた。

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俺と過ごした2年
本当に今回退職された上司2人には返し切れないほど面倒を見てもらえたし、感謝してもしきれない。

でも、だからこそこの2人から受け取ったバトンはちゃんと拡張して次に繋げるなりより良い方向に進むよう動いていければと思う。

作りたいものや今まではあまり興味がなかった方面のエンジニア活動にも興味が出てきたことだし、また兜の緒を引き締め直して暴れていこう!

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