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のらねこ、最新の国語科は斬新すぎる

落語家の六代目三遊亭円楽さんのネタで、こういうのがあります。

「今年の医学試験、問題は去年と全く同じだったけど凄く難しかった」
「え? 問題が同じなのになんで!?」
「問題は同じだったけど答えが全部変わったんです」

とりわけ移り変わりの激しい業界では、過去に正解とされたものが間違いになり、間違いだったものが正解になったりします。
そしてそれに合わせて小学校・中学校の授業内容だって移り変わっていくのです。

うちの娘もね、
「え? そんなの習うの?」なんてこと、よく話題に出すんですよ。
地球に “東半球” って概念があること、皆さんご存知でした?

てか今の中学生って、僕らんときと、どがしこ違うねん???

――皆さん、いつもお読みいただきありがとうございます。
もしくは初めての方、久しぶりの方、見てくださって本当に嬉しいです。
僕は目標管理Webサービス Project Sylphius の開発・運営をしています、TOMCAT HEART の中島です。

人生は上手くいかなくて当たり前、上手くいったらそれはズル。
そんなふうに考えがちな人が上手くいかないのは、その考えが正しいからではありません。
“目標が管理されていないから” です。
結局どうしたのかよく分からない人が何もできないのは当たり前のことで、だとすれば どうしたいのか をきっちり決めてあげて、目標管理スキルさえ覚えればやりたいことは何でも上手くいくようになります。

この のらねこに何ができる? では、目標管理の何たるか、具体的にどんなことをどんな手順でやればいいか。そういったことをお伝えすべく、僕自身が計画して僕自身でやってきた様々なことを、なるだけ面白く書いてお伝えする趣旨になっております。

新シリーズ “のら大人は中学の勉強わかるの?” では、中学校の授業の最新状況をつまびらかにし、学びなおし・教養向上のネタなんかにしてただけたらと思っています。

全体の執筆計画はこちら:
1. 国語科(今回)
2. 数学科
3. 理科
4. 社会科
5. 英語科
6. 道徳

過去のバックナンバー


1. 国語科が生まれた背景: 正しい日本語を学ぶためではない

僕らが学生だった頃、読書感想文って書かされましたよね。
当時不思議に思った人もおそらく多いと思うんですけど、“読書感想文の書き方の授業” なんてなかったと思いませんか?

習ってもいないことを、「習ってないから出来ないなんて言い訳だ」という乱暴な言い分のもと、どうしたらいいのか分からないのにとりあえずでやらされたものです。
読む本の種類だってそんなに大した自由度もなく、そのうえ書けないとそれはそれで怒られるわけだから、「やってられない」ってのが正直なところでした。

で、このような状況を反省したのかしないのか、現在の国語の授業には少し変化があるようです。

文部科学省の教育指導要領にある「国語科」の目標

言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で正確に理解し適切に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
(1) 日常生活に必要な国語について,その特質を理解し適切に使うことができるようにする。
(2) 日常生活における人との関わりの中で伝え合う力を高め,思考力や想像力を養う。
(3) 言葉がもつよさを認識するとともに,言語感覚を養い,国語の大切さを自覚し,国語を尊重してその能力の向上を図る態度を養う。

【国語編】小学校学習指導要領(平成29年告示)解説

多分だけど、この (2) の途中にある『伝え合う力を高め』の部分が、昔はなかったんじゃないかと思うんですよね。
まぁ、ようはコミュ力を鍛えようってことだと思いますが。

読書感想文ってのは、つまりは『自分の気持ちを主張する』という行為のもっとも基本となるものですから、つまり伝え合う力が高まれば感想文だって書けるようになるんじゃないかと思います。

この “伝え合う力” の部分。
昔はね、コミュニケーションなんてできて当たり前のもので、そんなのいちいち授業でやることじゃないって考えられてたんですよね。
「『私は怒ってる』と口で言えば、怒ってることくらい伝わるでしょ?」なんて不思議なこと言う先生、マジで結構いたんすわ。

そもそも国語科っていう科目ができた理由が “コミュ力の高い国民を育てる” ためだったにも関わらず、です。

独り言:
ちなみに官僚さんの本意のほどはよく分からんのだけど、(1) と (3) ってどっちも「日本語を正しく使うことを学ぼう」って意味じゃない?
これって内容重複じゃないのかなぁ。。。?

2. 国語科の内容は、確かに改善はしている

もともとは国語科でやることではないと考えられていた 伝え合う力 が目標として入ってきたのは、国語という単元が、その発祥当初から目標と授業内容にそもそも不一致があったからだ、と僕は考えています。

明治時代、江戸が終わって新政府が樹立してしばらくした頃、日本人はアクの強い外国人の主張に気圧されがちでした。
日本に襲来してくる外国人の強烈な会話力に、政府一同みんなが圧倒されていたのです。

当時の日本人は、「メリケン人はみんな気が強くて主張の激しいヤツばっかりだ」と本気で信じていました。
僕が小学校のときですら、英語の先生がそういう意味のことを真顔で言ったものです。
昭和末期ですらそうだったのだから、ましてや外国人なんて初めて見たであろう明治の人ともなれば、その衝撃たるや想像に余りあるってものです。

よくよく考えてみれば、頭が良くて弁もたつ凄い人じゃないと昔は海外旅行なんてできなかったのです。だって、そうでないと莫大な旅費を政府から巻き上げるなんてできませんしね。
日本に来るような種類の人達の弁が立つのは当然で、実際にアメリカに行けば、そうでない普通の人達もいっぱいいたはずです。
でも、当時の日本人はそんなふうには考えませんでした。

そうでなくても、弁が立つことそれ自体は悪いことではないわけで、だから当時の政府が尋常小学校制度を初めて作ったとき、それを鍛える授業を集中的にやろうとしました。
当時の授業は 修身・読書・作文・習字・算術・体操 で、コミュニケーションに関わる授業が6教科中3教科(修身・読書・作文)を占めています。
(あ、ちなみに修身ってのは、今でいう道徳のことだそーです)

でも政府がそう言ったからって、その下にいる先生達が上手く授業ができるかってぇと、それは別の話。

もともと国民総コミュ障の日本人ですから、「さぁ、コミュ力の授業をやりまくりまくりすてぃであ~るっ!」とか勢い勇んで巻き舌で号令かけたところで、うまく機能するわけがない。
その結果、のちの国語科は徐々に日本語文法の授業に終始するようになってしまいます。

少なくとも、僕が生まれ育った九州のとあるロマンシング県では、言論主張に関する授業なんてものは全く行われていません。
先生の話をただ聞くだけ。

僕らの時代になると、むしろコミュ力なんてものは国語科とはすっかり関係のないものになり、そういうのはどっちかというと道徳の内容だと考えられるようになってはいたのですが、それでも道徳の授業だって基本は聞くだけ座学でしたので、どのみち当時の日本には国民のコミュ力を鍛えることなんてできなかったのかもしれません。

そうはいっても、たとえ先生達にできなくったって政府の掲げた号令だけはちゃんと残るわけでして、

  • 先生達がちゃんと指導したはずの

  • 子供の主張能力を計る

ためのテストが必要です。
そしてそのためのツールが、ようするに読書感想文なんじゃないかなぁ、と今さらながら僕は思うわけです。

ですから、国語の授業内容にコミュ力の授業が加わったのは、たしかに改善だと思います。
基本に立ち返って、そもそもやりたかったことをやり直したってことだから。

国語の教科書の目次1
国語の教科書の目次2

こちらは、娘が普段使っている中学校の教科書の目次。
全部ではありませんが、単元ごとにところどころ『説明する』『書く』という内容が登場します。
全体的に 読む ⇒ まとめる ⇒ 書く(or発表) という順番になっている印象です。

このような授業を反映してか、最近は 読書感想文の書き方 の授業が、少ないけどちゃんとあるんだそうです。(娘談)
一方的に本を読ませるだけで、最悪ボーッと聞いてりゃ終わるものだった僕らの時代の授業に比べると、かなり改善している感じですね。

3. そうはいっても迷走してる

とはいえ、国語科という科目が本質的に迷走状態であることは、特に変わっていないようです。
正直言って「授業の目標は先生が理解していればよい」という考えが見え隠れするし、(生徒達が直接見るはずの)教科書を見ても、年間(または3年間)を通じて何を学ばせようとしているのか、とにかく目標がはっきりしません。
目標が。

もちろん、昔と比べて全く改善がないかというとそんなことはなく、今の教科書にはこんなページが追加されています。
間違いなく、僕の時代にはなかったものです。

多分だけどこれ、マイルストーンだよね。
年間を通じて何を学ぶのかの一覧表。

とはいえね、、、、?
初見でこれ見たとき、申し訳ないと思いつつ正直笑っちゃったんだけど、

誰がどう見ても情報量多すぎでしょww

しかも中学3年間かと思ったら、これで1年間だって!!!

こんな複雑な目標、誰がついてこれんねん

何がしたいのかそもそもはっきりしなかった昔と比べればだいぶ進歩したとはいえ、こんな複雑なスケジュールを見せられて、中学生が理解できるわけがない。
ましてやこれ見てやる気出すなんて、夢のまた夢でしょ。(ため息)

目標管理のプロの立場から言わせてもらうとさ、目標は “目標” なわけなんだから、一言にまとまってないと子供はついてこれないよ。

こんなに複雑なマイルストーンを4ページにも渡ってババーンと載せなくてもさ、“中学3年をかけて、ウケるエッセイが書けるようになる” くらいでいいじゃん。
そういうのを生徒1人1人に設定してさ、月イチで ≪上手にできたところを褒める会≫ とか開いた方がよっぽど有意義だって。

まとめると――。

国語科は昔と比べてだいぶ進歩はしてます。
マジでクソだった昭和と比べれば、かなりマシにはなってる。

だとしても、授業内容が 社会に出てから実際に役立つ内容 になるまでには、あともうちょっとだけ時間がかかりそうです。

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ここまでお読みいただきありがとうございました。
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