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②ある幼稚園で見かけた、凸凹ちゃんのケース!その子はイケメンだった

ここから読んでいる方は是非1から読んでください

そんな自分軸が強い凸凹ちゃんもとうとう卒園式の練習が始まる時期になりました

卒園式というと子どもたちにとっては、面白くない行事の一つ

保育士としては幼児期の節目に必要な行事だということは理解できますが、子どもはね😓

まぁ定型発達の子どもでさえふざけたりとまとまりがなかなか取れない状況の中、凸凹ちゃんはというと・・・

なんと、卒園式の練習をホールの端っこで観察してる私のところまでズカズカと走りより右手を握り思いっきり振り上げて、私の鼻の頭をかすめるほどの近さで降り下げてきました
ある程度は予測しましたが、幼児はとはいえちょっぴりヒヤッとしました

でもその凸凹ちゃん、してやったかのような表情で「こんちには😊」って挨拶をしてきた

ヒヤッとした後に、この展開はズルイ
笑い不可避ですよねw プププ・・・
やっぱり、この子面白い!って思ったよね
自分軸凄いけど

で、その子の様子を見ていると、やっぱり集団行動は苦手なので、一切参加する様子はありませんでした
でも、そのホールからは出ていくことはありません
皆の周りをまわったり、ベランダに出たり・・・

そんな凸凹ちゃんに保育士さんはというと、何度か駆け寄り
「一緒にしないの?」って多分何度か話しかけていましたが、結果その状態で練習が終わってしまいました

そして、次にその幼稚園にお邪魔した時は、卒園式の前日のリハーサルの日でした

その凸凹ちゃんがどんな状況かというと

まずは入場
二人一組でホールの入り口から、床にテープが張っているとこの目印を通って前にすすで行きます。
そんな時、ペアになっていた女の子が違う方向へ行っているのを手で止め「こっち」と促して正しくエスコートして進むじゃないですか
イケメンでした

そして、着席・証書授与と目立つことなく進み退場する時も、女の子が退場するタイミングが分からず「??」となっていた時凸凹ちゃんが手で”まだmだ”と合図をして、誘導し無事正しいルールで退場することができました

なんと、退場時もイケメンな凸凹ちゃんでした

この一件を見て、途中の練習の姿は分かりませんが発達障害の子どもで勝ち負けにこだわるという子どもは、間違いも許されません
間違い=負けと同等

なのです

この部分を理解したうえで、卒園式の練習の行動を読み解くと特性が見えてきます

最初の練習は、自分がどう動くのか正解が見えないので、周りをうろうろしながら、客観的に動きをみて覚えていたと思います
発達障害系のお子さんは見ただけである程度理解できるお子さんは少なくありません

むしろ、客観的に見た方が画像的に覚えやすいことだってあります

そして、分かっていることを何度も繰り返しすることが苦手なお子さんもいます
その子にとってみれば練習というのは、分からないからやるもであり、自分は分かっているのに何故するのか?って話になります

自分軸ではありますが、確かにそうです

結果、友達をエスコートまでできるリハーサルでした

友達のエスコートについても自分のペアなので、間違うわけにはいきません友達のことを思ってしている部分もありますが、結果自分の正義でもあります

でもこれでいいのです

集団での活動をする時には、集団を乱したり集団から外れるものは基本「ダメな子ども」扱いをされてしまいます
練習だって、みんな頑張っているだから自分が分かっているからって
集団行動をしなさい・・・ってなりますよね

とっても正論です

しかし、それって「私たちの軸」すぎませんか?

今回のケースは、はみ出ていても、この子どもは必ずもどってくるという保育士さんの子どもに対する信頼があったからこそちゃんと、集約され最後は、きっとよい卒園式になったのではないかと思います
(すいません、本当の結果は見ることができませんでした)

これは、ある幼稚園のいち凸凹ちゃんとそれを信じて卒園式までの練習ストーリーです

でも、ここから学ぶことがたくさんあります

障害だからではなく、私たち自身の生活が自分軸過ぎる部分もあるのではないでしょうか?

当たり前ってなんでしょうか?
今までしていたからってどういう根拠でしょうか?
集団と個という言い方をしますが
集団性も大切ですが、個という考え方も大切です

何よりも、今回のケースで行けば卒園式を成功させるというのが目標であって、練習をきちんとさせるのが目標ではないはず

この辺、私たち健常と呼ばれる人の方がバイアスの罠にかかりやすと私は思います

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