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罪悪の魅力。

こんにちは、
お久しぶりの投稿です。

これまでよく分かっていなかった『罪悪の魅力』について、
罪悪を悦に快感に感じている自分に気付きました。
それは、昨日の学びの中にヒントがあったのだと思います。
皆さんにも、自分の理解の整理をするためにも少しまとめたいと思います。



学んでいたのは、
「奇跡講座・ワークブック」解説 その2 より
(出典はこちらhttps://jacimjim.stores.jp/items/6151b279e1fb4c2f52281b13 )


レッスン39(P114〜118)
主題概念:私の聖性が私の救済である。というところです。

「私の聖性が私の救済である。」
と言いながら、

「罪悪感が地獄であるなら、その反対とはなんだろうか。」と
同じことを3回も言ってくる

このレッスンは、

「私たちは、罪悪感が救いである」と信じている。ということが示唆されているレッスンになっているのですが、

そうは、言っても、
幸せになりたいし、
平安でいたいし、
聖性に憧れているし、
でも、聖性というワードは、なんだかぼんやりしていて、現実味がない。
「罪悪感が救い」で「天国である」だなんて、言われても、
そんなバカな?と言いたくなる。

実際、このレッスンをした当初、全く理解していなかった私は、
このレッスン解説の最後に書かれている通り、
すぐに聖性を受け入れられると思っていましたし、
それを望んでいないなんて、1ミリも考えていなかったと思います。

ですが、このコースの実践は、
そして一番難しいことは、
この闇の部分に気づいていくレッスンであるのだと今なら、納得しながら学ぶことができます。
こうやって、レッスン解説で学び直すことで、
初期のころ、こんな風に思っていたというところを思い出し直し、
納得して、さらに、もう一段深い闇を見ていけるきっかけとなってくれるのだと思います。

ということで、このレッスンのポイントは、
私たちは、「この主題概念を容易には受け入れらない」と認識させること。

目的は、
「罪悪感について私たちが本当は何を信じているか」をよく見ること。

※この2つ答えについては、解説本を見てみてくださいね!


それを踏まえて赦しをすることで、心の奥底で、自分が何を信じ、それをどうしても離したくないと考えているということを浮上させて、

それを信じているのは、別の選択肢が見えなくなっている=自分で見えなくしたのだと認識して、別な選択をしていくことのみであるということになります。



※お知らせ
「奇跡講座・ワークブック解説」を一緒に学ぶグループ勉強会を計画中です。
 現在は、少人数で「原因についてのコース」を勉強中です。それが終わり次第、「ワークブック解説」へ移行予定です。
今度また、お知らせさせていただきます。

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