見出し画像

必要とされたい願望にあわせすぎる

こんばんは。
デグーのケージを丸洗いしてヘロヘロになりました。

トミーです。

毎日2回、室内をきれいに掃いたり、拭いたりしていますがケージ丸洗いは数ヶ月に1度。
四角い形状を全部解体して、風呂場でこすり洗いをします。2匹分、3時間は必要で旦那と汗だくです。

もっとマメにしている方もいれば、わりと掃除しない方もいて様々。デグー専門家でもないので、何が正解かはわからないのですが、汚いとストレスになるのかなと勝手に思っています。

しかし、綺麗すぎて自分の匂いがしないと不安になるのかな?と、心配してみたり。
居心地よい環境を作ってあげたいものです。

ペットを飼うと出来る限りのことをしてあげなければと思います。亡くなったときの無力感や自責、考えるだけで辛いからです。
実はもう1匹いたのですが、不慮の事故で亡くしてしまいました。
たかだか小動物と感じるでしょう。
しかし、毎日のように泣きじゃくり、残り2匹への責任感が増しました。
2匹には、ただただ健康に生きてほしい。

基本的にクズ思考の私がデグーにだけはあれこれ考えるので不思議なものです。

私は基本的に尽くすことが嫌いだ。


末孫×末っ子×過干渉親で育ったからでしょうか。自分から他人になにかを『やってあげる』とか『引っ張る』とか『教える』とかが非常に苦手です。

そのせいか、友人は男女ともに長子が多いのです。あとは独りっ子。
独りっ子はワガママと言われがちですが、そんなことはありません。(たぶん)
兄弟に頼らず自分だけで物事を考える力』
が、長けており行動力があります。(たぶん)

ぼんやり、なにもしない末っ子気質の私を引っ張る能力。愛情深い世話焼き。
長子も独りっ子もありがたい存在です。
※世話焼きな旦那が末っ子な事実
※『俺が諦めたら我が家は終わる』
※クソ嫁をかかえた責任感よ
※デグーも私も出っ歯だから似たようなものだ

こんな気質だからでしょうか。

『自分のことを頼って。』

という願望を周囲からジワジワ感じとることがあります。それは、私を放置したらやべぇという危機感や怖さがあるのでしょう。
小2男子かよ。
しかし、それとともに

『認められたいから頼って。』

という意味があると思うのです。
それは人間として当たり前のこと。
意識高い系のかたにはお馴染み
マズローの5段階欲求』ってやつです。
承認欲求ってやつです。

私はそんな欲求を満たす

最高のおもてなしマシーン

だと、自覚しています。
だって素でクズなんだもの。
私のそばにいれば

やってあげなきゃ!
トミーのためになった!
役に立った!
よいアドバイスが出来た!

自分は必要とされている!

そんな欲がザブザブ満たされるでしょう。
ようやく言うが何様なんだよ、私。

普通に話すぶんには否定的なことを言いませんし、尽くされたことにめちゃくちゃ喜びます。
感謝しまくります。
天性のものでしょう。

いや、母親の躾からだろう。

私は過干渉な母親から『よかれと思って』と、全てを世話されて生きてきました。
ぬくぬく甘やかされたとも言えますが、求めていないことを全て用意され決められるのです。
もしも断り自らの意思や嗜好を伝えた場合、
母親の方針と異ればヒステリック発動。

ならば黙って喜ぶよ。

母親は承認欲求の塊です。
全ては自己満足のために世話をやきます。
だから私の本心をぶつけると、否定されたと思い込みヒステリックになるのです。

ありがとうのカツアゲだ。



ならば自分を殺し、母親の承認欲求を満たすことでヒステリックから逃げるが優先。
私の無気力感やヤル気のなさ、非積極性はスクスク育ったのです。

承認欲求満たしマシーン爆誕。


しかし、自分のクズさにも自覚しています。
誰かに助けてもらえることは、本当にありがたいし幸せです。
たくさんの友人、また旦那に優しくしてもらえて人生救われたなと感謝するばかり。

ただ、たまに母親のような人間もいる。


承認欲求に貪欲なのでしょうか。 
それとも自己肯定感が低いのでしょうか。
人に必要とされることで自分を肯定しているのでしょうか。

お腹いっぱい。おせっかいだよ。


そう感じることもあるのです。
しかし、私のクズさはここでも発揮。

それでも相手のおせっかいを持ち上げてしまう。

母親に対する受け止めと同じです。
不快感からの反射的なものと言えるでしょう。
もっと深く言えば罪悪感です。

受け止めなきゃ申し訳ない。


あなたを思ってせっかく○○しているのに
母親からひたすら言われていたので、罪悪感がガリゴリ襲ってきます。
感謝出来ない自分はダメな人間なんだ。
思われていることに生意気な感情をもつ嫌なやつなんだ。
自分はひとりでは何も出来ないんだ。
自分なんか。

だから尽くされることを拒まない。おせっかいも受け止めなきゃ。


私はね、こうしたいの。
私はね、こう考えているの。
私はね、これが好きなの。

子供のときにギュンと縮こまっていた思考。
大人の私にも操作出来ますが、あのときのように上手く隠れてくれません。

それは、たくさんの人に恵まれて想いやりを学んだからでしょう。
本物の愛情を。


所詮自分のことが大事なんでしょ?


ひねくれていますが、打算的な臭いを感じとってしまうときがあります。

それでも相変わらず罪悪感で

嬉しい!
ありがとう!
私には出来ないよ!
さすが、○○だよね~!

サラサラ出る承認欲求を満たす言葉。

私は尽くしたくない。
人の面倒もみたくない。
何かに役立つことでときめきもない。
それで自分に自信がつくこともない。

母親に尽くしすぎたから勘弁だ。

本当にクズ思考が止まりません。
しかし、こんな私にも世の中はわりと優しい。
私はそんな世の中にだけ優しさを返したい。
優しさは循環方式にしたい。
それくらいで良いよね、いい加減。


今日もありがとうございました!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?