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新婚三十路産婦人科医が「私、子ども欲しいかもしれない(犬山紙子著)」を読んで考えたこと

二十代半ばで産婦人科医になった。
患者はほぼ歳上の妊婦ばかりだった。
初産婦の平均年齢を超えてきた昨年の冬に結婚した。結婚前は、周りの既婚の友達は皆妊娠出産しているし自分もすぐに妊娠しなければいけないと焦っていた。産婦人科医として高齢妊娠のリスクはよく知っていたし。
しかし今、本当にそれでいいのか…今すぐ更なる次のステージへ踏み出すことに迷っている。
想定外のことに、結婚生活にこれまでにない幸福を感じて、新婚のフェーズでまだぐずぐずしていたくなっている。なぜなら、①夫という理解者を得てもやもやぐずぐず悩んでいる時間がかなり減り視野が広がった②無為に過ごす時間も減って読書量も増えたし運動習慣も付いた。③夫のために新しいメイクや洋服で自分をアップデートする喜びも増えた。仕事(95%)とYouTube(5%)でほぼ埋まっていた独身時代の毎日が、すこぶる楽しくなった。
結婚結婚結婚のトライが終わったら妊娠妊娠妊娠のトライがやってくるのってなんか殺伐としていないか…いま、かなり楽しいよなあ私。
もちろん医学的に妊娠は早い方がいいのは臨床経験から身にしみてわかってる。
産婦人科医としての知識「妊娠チャンスは年に12回しかない」「流産率や染色体異常、妊娠合併症などの高齢出産リスク」からくる現実と効率を迫る声と、「もっと大人2人の新婚生活ゆるりと楽しもうよ」っていう1人ののんびり女の声が頭の中でせめぎ合っている。(結婚前はほぼなかった後者の声は夫が引き出してくれてるものだと思う)。

だけどだからこそ、「子供を持つということ」についてちゃんと考えねばならない!と新婚生活というかつてない幸福な時間から重い腰を上げた。とっかかりとして犬山紙子著「私、子ども欲しいかもしれない」を読んでみた。
そして嘆息。ああわたし、「子供を持つということ」について何にも知らなかった。産婦人科医として1000人近く妊婦と関わってきた。早急な妊活を多くの女性に勧めてきた。勝手に口と手が動く機械的妊婦健診も妊活指導もお手のものだった。
私が見てたのは女性の骨盤内における2個の細胞(精子と卵子)とそこから発生した細胞の塊(胎児)だけだったんだなあ。
1人の人間が我が家にやってくることってそんな単純なことじゃないって考えたこともなかった。夫と私の2人のコンテクストの中に、それぞれの30数年の歴史と大切なものが折り重なった2人の人生に、1つの新しい宇宙が誕生する。
細胞の塊である人間は同時に、それぞれの信念や価値観を持ち他者との関係の中に生き甲斐を見出す社会的生き物なんだ。
結婚し、自分の子どもを考えるにあたり、これまで私は他人の体内に病を見つけ最適解を提案するために世界をかなりシステマティックに冷淡に見てきたことに気づいた。それだけで精一杯だった。母子共に元気に終えるのが当たり前の妊娠分娩において、事故のないようミスのないよう、安全に胎児を小児科へバトンタッチするタイミングを見失わないように、そして母子ともに安全な分娩を完遂するために、綱渡りのような勤務生活だった。母子の命があればそれでよし、お金や家族の事情はいざ知らず、ましてや保育園や母の仕事復帰なんて考えた経験はもしかしたらゼロだったかも。
そんなわたしの医者としてコンピュータで弾き出したような「早く妊娠した方がいい」というアドバイスを聞き入れてすぐさま現実的に動き始めた女性達の覚悟への敬意が芽生えたし、夫が忙しいとか不妊治療までは考えてないとかまだ今はちょっと…と渋る、もしくは、子どもを持たないという選択をした女性達への理解がやっと追いついてきたと思う。医者10年にして。自分の人生が患者さん達にやっと追いついた。さまざまな「女の一生」をガラス越しに眺めていたけれどやっと同じ目線で一緒に考えることができるようになった。

産婦人科医歴10年でも知りえなかった女性達の本音、ナイーブな諸事情まであぶりだした本書の取材力に感服。細胞の塊じゃなくて心を持った社会的生き物としての人間を、尊びたくなる。本当に子どもが欲しいのか、どんな気持ちで迎えることになるのか、いざ自分の問題にならなければなかなか想像つかないけれど、想像の助けになってくれる本。婦人科外来に置いてもいいかも。

そして私自身は、本当にやっぱり子どもは欲しいと思う。早ければ早い方がいいのか、それは勿論そうだけど、自分達にとって本当に安全安心に、社会に背を向けずに(産休育休転勤などで捨て鉢にならずにキャリア形成諦めずに)、どんな我が子も愛せる心と家と体で、我が子を迎えられるタイミングを夫婦で模索していきたいと思う。


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