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桜談義の妙:長保寺

世界が眩しい。家を出た瞬間にそう思った。

それは日光のせいだったけれど。
最近は言わずもがな春を感じることが多い。

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4月8日はお釈迦さまの誕生日。花祭り。ゼミ。教授からのお誘いで桜を観に行った。

和歌山県海南市下津にあるお寺、長保寺

国宝の建築物を囲むピンクのお花。
前の前の住職の趣味で、寺院の四季を彩る花々を植えられたそうな。

花祭りが桜の満開時に重なるのは数年以来だという。桜の淡さを感じながら、教授が桜談義をしてくれた。

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去年の暖冬ゆえか、はたまた、寒の戻りが多いからか、今年の桜は咲き揃えが悪い。

冬季に寒さを十分経験していない桜は「もう春なの…?」とぼんやり状態。ねむけまなこをこすりながら、ぼやぼやばらばらちらちらと咲いているそうだ。そんなこんなで、20度を超える暑い日が続いた中でも、例年より散りが遅れている。

花が咲く、というのは植物にとって子孫を残そうという意志である。色づいた植物が時に淫靡に見えるのはそのせいだろうか。

夏にできたつぼみは越冬を経て春に花を咲かせる。つぼみの動きは温度変化に依るもので、このプロセスがおかしくなると秋などに開花が見られる「狂い咲き」が起こってしまう。綺麗な花を拝むには、十分な寒さの経験が不可欠なのだ。

去年の気象を引き継いで、例年と違う咲き方をしているらしい植物たち。それは数日の違いだろうけれど、なんだかそわそわする話だ。

バタフライ効果。環境保全について、教授はいつも保険だよという。環境問題は経済問題。まわりまわってというのは全てに通じる。

私が教授から学んでいることだってきっと。

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「寒さ」は、いってしまえば「危機」である。そんななかで「子孫を残そう!」とするのは植物も動物も似ているようだ。(TATAボックスがどうのという話を聞いたが、簡単に書きづらいので割愛)

危機だからこそ子をつくる。これは人間とも似てますね、と話を続けた。

今は飽食の時代。だからこそ少子化が進んでいる。子を成さない代わりに表現を行う。それで文化は築けるだろうか。

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長保寺の石段。左手にはザクロ。美しい。

大門前。川には散った花びらとクレソンの群生が。

西日に照らされて。八朔は酸っぱかった。

青石。下津では石垣へとふんだんに使われている。

下津を見下ろす。奥には海が臨める。

帰り道に寄った旧道から。

旧道沿い。オドリコソウ。

頬を染めて。かわいいなぁ。

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結局4月のアルゼンチン行きはなくなった。しかしいろいろと準備が必要に。

いま花咲く植物にとって、春はリセットの時。気象を伴って夏、秋、冬を過ごし、次の開花に備える。

春を見つけることが少しはうまくなったけれど、学生としてはあと1年足らず。

教授はしきりに「桜は短命だから」と言っていた。異常気象なんて、くそをくらわせてやりたい。


(記:2019.4.13 A・K)


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