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坂本城跡発掘調査現地説明会

 遺構はほとんどないと思われていた坂本城の石垣が発見されたとのことで、急遽、現地説明会が開催されました。事前申し込みはないけれども定員制ということで、見られるかどうかはわからない中でしたが、まったくノーチャンスではなさそうなので、現地に行ってきました。


現地到着

 前日の10日にも説明会がありましたが、SNSの投稿で大勢の人が訪れているという情報は入っていました。投稿は説明会に参加できた人たちのものでしたが、初回の説明会の前に整理券は終了してしまい、見られなかった人もいたらしいということも聞こえてきていました。さすがに配布開始時間前に着けば、最終回の整理券は取れるだろうということで、4時起きで新幹線に乗って西へ向かいました。
 比叡山坂本駅の到着すると、配布場所である坂本・石積みの郷公園には多くの人がおり、公園の外周最後尾に着陣できました。公園や列の形状もよくわからないのですが、とりあえず公園内に並べたので、どこかの回には入れるだろうと思え、一安心でした。結果的には、その日の2回目の回の整理券をゲットできました。
 直前に突然発表された現地説明会でも、これだけの人たちが集まるというのは、それだけ注目度が高いのだなぁと感心しました。

整理券配布場所の様子(整理券受取後に撮影:9時50頃)

 3回目以降なら、大津まで戻ってのんびりしようと思っていたのですが、11:30からの回(入場は11:15から)となったので、整理券を受け取った時点から1時間ちょっとしかなく、とりあえず湖底の石垣を見に行くことにしました。

坂本城本丸のものと思われる石垣(根石)
坂本城址公園(実は城域外)

 坂本城址公園や湖底の石垣付近は、おそらく説明会に来たであろう人でにぎわっていました。公園では地元の「坂本城を考える会」の方がガイドをしているなど、これまで訪問した際の寂しさとは違った雰囲気で、この日が坂本城にとっては特別な日なのだと実感しました。
 湖底の石垣は、昨年末に訪問したときよりは水面に隠れてしまっていましたが、まだ通常時よりは見えている感じでした。
 しばらく時間を潰した後、いよいよ説明会の会場へと向かいました。

発見された石垣と堀

 今回の発掘成果の目玉ともいえるのは、30mにも及ぶ石垣と堀です。会場に入り、これが目に入った瞬間「おおっ」と声が出てしまいました。野面積みで高さは1m程度ですが、長年、地中に隠れていたこともあって、ほとんど風化していないキレイな築石でした。

発見された石垣列(南側)

 石材は、比叡山周辺からもってきたと思われる花崗岩で、ほとんど加工されていません。堀の中に落ちている石も見つかったことから、もう少し高い石垣だったのではないかと考えられますが、栗石が入れられている幅が狭いことから、せいぜい1段か2段くらい高くしか積まれていなかったのではないかと考えている、とのことでした。
 加工されていない石積みの中で、整形された石が目立ちますが、これは転用石材で、今回発見された石垣の中からは写真のものが唯一だそうです。他の転用石材はすべて堀の中から発見されていますが、おそらく上段のどこかで使われていたものだと思われます。
 一番下に見えている石が最下段ですが、その下に胴木は発見されなかったそうです。その手前からが堀で、泥が中心に堆積していたので、水堀であったと考えられるようです。堀の幅は確定していませんが、別の調査区から向かい側の石垣列が見つからなかったことから、2つの調査区間のどこかにあるだろうと想定され、堀幅は推定約12mになるのではないかということでした。

転用石材も使われている
全長30mの石垣列(手前が北側)
北側は堀底から2段分しか石が残っていない
石垣の内側に掘られた謎の溝

 石垣の内側には、薬研堀のような溝が見つかっているのですが、これは何だったか不明だそうです。とある専門家は、本能寺の変後、秀吉との戦いに備えて西側の防御を強化するために、急遽掘った堀ではないかと見ているようですが、その真偽はまだ分かりません。

その他の遺構

【石積み遺構】
 調査区の北側で発見された石積みの遺構は、形状から「舟入」ではないかと見られていますが、他の石垣と違い胴木を用いて築かれていました。そのため、坂本城当初の築城時ではなく、その後に何らかの修繕をする時に新たに作られたものだと考えているようです。

石積み遺構(築石よりも小さな石が積まれている)
石積みの下には胴木が確認できる

【礎石建物跡】
 石積み遺構の東側に、建物の礎石が見つかっています。石積み遺構と方向性が一致しているので、ほぼ同時期に造られたものだと考えられます。石積み遺構が「舟入」だとすると、船着き場の休憩所だと考えられます。

礎石建物跡

【井戸】
 石組された井戸は、深さが約170cmくらいあるそうです。調査区では、今でも水が湧き出すということで、当時も湧き出す伏流水で常に満たされていたのではないかと考えられています。

井戸跡
堀中から発見された転用石材

出土遺物

【木製の櫂?】
 坂本城が琵琶湖に面した水城であったこと、「舟入」と見られる石積み遺構が見つかったことと相まって、船をこぐ櫂(オール)が発見されたと報道されています。ただし、先の部分だけなので、櫂だとは断定できないとのことで、「もしかすると羽子板かも」なんておっしゃってました。
 その他、漆器のように使用目的がわかるものから、ただの木片にしか見えないものまで、多数の木製遺物が見つかっています。もともとこの辺りは湿地帯だったようですから、地中に水分が多いこともあり、木製品が腐食せずに残っていたのですね。

出土した木製の遺物は、腐食防止のため、水につけた状態で展示されていました
漆器も数点見つかっています

【瓦】
 瓦も数点発見されたようですが、かつての本丸部分での発掘の時よりも、明らかに点数が少ないことから、ここが家臣団屋敷地であった三の丸と推定する根拠になりました。また、焦土も発見されなかったので、落城時に三の丸は焼けなかったことがわかっています。

発掘された瓦片
かわらけなど多数の土器類が発見されている
キセルの吸口は江戸時代のものだろうとのこと
墨書のある木簡は荷札だろうか

発掘現場の今後

 今回の発掘調査は、もともと農地だったところを、分譲住宅として開発する前に行われたものでした。今回、調査した部分は、宅地開発に先立って道路を敷設する範囲とのことでした。
 これまで推定されていた三の丸の境界は、もっと湖西線の線路や高速道路に近いところでしたから、大津市もまさかここから石垣が出てくるとは思っていなかったのではないでしょうか。周辺はすでに戸建ての新築住宅が建っており、今回の発掘現場にあたる場所は、既にはじまっている一連の開発の後半期分のようにも見えました。
 これだけの遺跡ですから、順当にいけば保存の方向に動き、開発は中止されるように考えがちですが、土地の所有権は既にディベロッパー側にあるわけで、一筋縄ではいかないと思います。また、地中での保存ということも考えられますが、遺構面が、現在の地表面から浅いところにあるので、水道管やら下水道管埋設によって、遺構を破壊してしまうおそれもあるかと思われます。
 最終手段としては、石垣だけでも現在の坂本城址公園などに移築展示するということもあり得るかもしれません。ただ、未調査の周辺住宅地には、この遺構の続きが埋まっているのだろうと考えると、ここだけ取り出すのはちょっとなぁ…と、個人的には思ったりもするわけです。「この遺構を今後どうするつもりなのか」という質問に対して、歯切れの悪い答えしかできなかったのは当然で、おそらく大津市も様々な問題に頭を悩ませているのだと思います。

説明をしてくださったのはテレビにも出ていた岡田さん

 土日の説明会に先立って、地元住民向けの説明会が行われているので、大津市としては、地域住民の理解を取りつけて、何とか遺跡保護へ協力してもらえないかという意図をもっているようにも思えます。
 結局、日本の法律では地権者が最も強いので、今後、遺構がどうなろうとも行政だけを責めることはできませんが、私の個人的な見解としては、壊されたり移動させられたりするよりは、見えなくてもいいので、そのままの形で保存されることを願っています。

比叡山坂本駅から琵琶湖方面をのぞむ

 最後になりましたが、この貴重な機会を与えていただいた、大津市市民部文化財保護課の皆様には、本当に感謝しかありません。ありがとうございました。遺構が破壊されることなく、後世に継がれることを切に願っております。

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