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「お嫁さん」になりたかったという話&近況

わたしの幼い頃からの夢は、「お嫁さん」になることだった。

小学校のときも、中学校のときも、高校のときも、クラスメイトが、ケーキ屋やスチュワーディス、小学校の先生、パイロット、医者、弁護士とかとか、「将来の夢」を卒業文集だったり、休み時間だったり、授業でだったり語るとき、なぜかみんな「職業」を語ることが不思議だった。

そんなとき、「将来の夢って、なんでみんな仕事なの?」と思ったけれど、わたしが思い描くのは、どんなふうに幸せになっている状態でいたいか、という「状態」だった。

なんでみんな仕事につくことが夢なんだろうと、ずっとわからなかった。

高校は、ひょんな展開で、わたしは、普通科ではなく、理数科に進学した。男子がクラスの40数人中、4分の3くらいを占める男女比で、進学校だったこともあって、男子はだいたい医師になりたいと言っていて、女子はみんな親から「女なら資格が大事。薬剤師や看護師になれと言われたから」といって、薬学部や看護学部を目指していた。

検査技師になりたいと言っていた女子も、「やっぱり、いちおう、ちょっと働いて、24歳くらいで結婚して辞めて、27歳で第一子をもうけたい」みたいなことを話してて、実際、検査技師をちょっとやってから、その子はほんとうにそのとおりを実現した。

看護師になった別の子も、合コンで出会った会社員と結婚するからといって、看護師になって1年たつかたたないかの時期に、結婚式に呼ばれた。その子は家庭に入るから、不規則でハードな看護師を今月いっぱいで辞めると言っていて、結婚式に呼ばれたその子の大学病院の師長さんが「辞めないで」と言ってスピーチで泣いていた。

23歳のとき、それで理数科の女子が地元に全員集合して、その子を囲んで記念写真も撮ったのだけど、わたしだけ真っ黒に日焼けしていて、女性らしいドレスの格好が全然似合わなくて浮いていたのを覚えている。

そのときわたしは駆け出しの全国紙の新聞記者で、毎日高校野球の取材をしていて、泥臭い警察取材を日夜問わず、男とか女とか思われないように必死で、スカートとかヒールなんて履ける空気じゃない職場環境で、全然好きなファッションじゃないパンツスーツをビシッとキメて、キャリアウーマンを、自分ひとりだけがやってて浮いてた。

ほかの子は、やっぱりもうちょっとだけ働いたら結婚して、当たり前に子どもをもうけて、みたいなイメージで仕事をとらえていて、わたしの周りにはハイスペ男子が多いからと思われ、紹介してくれだとか、大学時代から相変わらずずうずうしくてちゃっかりしてると思った。

どんなライフプランも、自分にはぴんとこないイメージだった。

なんでわたしが高校3年間、理数科にいながら、理数系への進学はあきらめて、ジャーナリズムを専攻できる早稲田大学に入って、新聞記者になったのかという経緯は、説明するといろいろあるから割愛する。

けど、なんだかんだいって、わたしは「お嫁さん」になりたかった。

いまになって、やっとわかった。これも話すと長くなるけれど、ひとことで要約すると、報われなかった母の人生を、自分が身代わりになってかなえてあげたかったんだな、と。

自分がジャーナリストだったり記者だったり、当たり前だけど、それが自分が選んだものなんだと、壁にぶちあたるたびに、何度も何度も思おうとした。

だけど、突き詰めると、どうしても、もちろん、自分で築いてきた部分もあるし、自分の部分もあるけれど、母の存在なしではこの職業は選んではいなかったかもしれないな、とも思うことがある。

記事を書いたり、取材をしたり、問題意識に向き合ったりしていると、いつも不思議な感覚に入る。これはわたしなのか、母なのかという、境界線がないかんじ。

わたしのプラグにつながった母が、そうわたしに思わせているのでは、と思うことがたびたびあった。

これはわたしの問題意識なのか、母の問題意識なのか、どっちなのかわからない不思議な感覚。

物心ついたときから、ずっと母から、自分は見捨てらてきただの、虐げられてきただの、差別されてきただの、排除されてきただの…そんな棄民(という言葉は言っていいのかわからないけれど)ちっくなものを、わたしはずっとスティグマのように植え付けられてきた。

どんなときにも、社会から見放されてきた母のような人の存在が頭から離れなかった。仮に離れようとすると、「見捨てないで」という母の声が聞こえて、自分の行動にブロックがかかってしまうのだった。

いまも、その後遺症なのか、どんなに楽しんでいても、いろいろあって戸籍をたどられないように住民票に制限をかけて逃げて、絶縁していても、まだまだずっと、わたしには母がとりついていて、不幸で、誰からも見捨てられ、社会から取り残されて孤立した母をさしおいて、自分が楽しんではいけない、幸せになってはいけない、という罪悪感が、いつもわたしの足をひっぱっていて、暗い影を落としている。

早くこの世からいなくなってくれれば、いまも、楽になることをいちばんに考えて生きてはいて、前よりもずっと楽になれてはいるものの、もっとわたしは楽になれるのに、と思う。

そういう社会から取り残されてきた人の存在が常に目に見えてしまって、その声が聞こえてきてしまうのは、それは、わたしの問題意識でもなんでもなくて、嗅覚やセンサーがすぐれているからでもなんでもなくて、母にうえつけられた罪悪感の後遺症なんじゃないかと思ったりもする。ただただ。

声なき声を社会に届けて、誰かを救いたいという思いも、それは、母を救ってあげられなかった(とはいえ自分で自分を救おうとせず、娘を通して自分の報われない人生の敵討を無自覚にしようとする母との折り合えなさ)、幸せにはできなかった娘として、償い行動でしかないのではないかと、思うようになった。

そんな償いをしているわたしが、いろんな大義名分でやっていることは、いつもニセモノのように思ってきた。誰よりもアツいのに当事者意識がなかったり、成果が出ると、むしろ自己肯定感が下がって、自罰的な感情がわいてきたりするのだった。

ここにたどり着くのにずいぶん時間はかかったけど、たどり着けてよかった。

ただただ自分のためであり、自分で自分を救いたいためにやっているだけ、と自分の行為について、うっすら思いながらやってきたけど、それを繰り返してついにそう悟ったとき、わたしはそれをやるのにはふさわしくないなと思った。

ほんとうに、それを「仕事」としてやっている人にも、それを「仕事」として受け取ろうとしてくれている人にも、不誠実なことだと思った。

ごくごく個人的な感覚のためにやっていることは、苦しいことでしかなかった。自分の感覚なのか、母から受け継いだ負の刻印なのかわからなくなって、ますます意識がふわふわして、自分が自分じゃないような、自分がここにいなくなって幽体離脱したような、離人症状が出るような。

素に戻ると、この人誰?、え?なに言ってるのこの人(自分なのに)、というような感覚になる。

その過程で、たまたま誰かに届いて役に立つことは、これまでもあったかもしれないし、これからあるかもしれないけれど、自分のためにやっていることと社会とを、極力くっつけずに、避けていきたいなと、それが自分を守ることだなと思うのだ。

もう十分、親孝行して、母を満足させたのではないか。もう十分すぎるくらい親孝行したから(いまも罪悪感が刻印されているだけでもしている)、絶縁なんてたいしたことないくらいちっぽけにも思う(もちろん母とは思いはすれちがってここまできているけれど)。

わたしがわたしとしてやりたいことは、お嫁さんだった。

「生活」を営みながら、家のことをやったり、そんな時間がいとおしい。

とはいえ生活上、お金が必要だから、そう純・お嫁さん、専業主婦とはいかないのが現実なこともあったり、自分がやりたいからという理由で、いまは、飲食店をやっている。

決まった飲食店で週の十数時間は働きながら、あとの時間はフリーでホールを中心に、都内の飲食店を渡り歩いている。

Uberみたいなその日その日でギグっぽいかんじが、自分にはすごく合っている。きょうこれからどこにいくのかもわからないところとか。仕事はあるときはあるし、ないときはないけど、それもまた「生活」だし。

移動時間やカフェついでに、飲食とは別に気になる分野の資格の勉強もしている。

いまのところ、いったんコロナがあって、人手不足の状況が持ち直されていない状態が続いていることもあって、その仕事はありそうだ。

田舎に住めば、誰にも干渉されずに、静かに暮らせると思って、移住をして、それからも田舎を転々としていた時期がある。

だけど、実際は、田舎で生まれると、ライフコースや職業や価値観が、よほど尖って突き抜ければ別なのだろうけど、ある程度限られてしまって、どこのコミュニティに行っても、またいつものメンツだという息苦しいかつつまらない状態になって、付き合いや生きていくことが、とてもしんどくて逃亡したいレベルで病んだ。

また、いわゆる「都会」という場所に帰ってきて、それで思ったのは、よくも悪くも「いろんな人がいる」ということのありがたみ。

「多様性」と言ってしまえばすごくベタだけど、田舎は「多様」だったり「いろんな人」でいられちゃ、困る場所で、よくわからないものがいたら、その芽を即座位に間引いて、「わかる」ものだけ残していくようなイメージ。

一見それはシンプルで、自我も薄まって楽になれそうだけど、自分には理解できない、得体のしれない、まだ見たこともないしこれからも接点もないし交わることもないだろうものすらもいるということのほうが、どれだけ自分を楽にさせたり、希望をもたらしたり、ときに紛れることでうやむやにさせてくれるのか、「都会」のありがたみをかみしめている、いま。




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