父親はイクメンじゃなく、ケアラーになれているか?
アツさんのPodcastを聞いて「そうそう!」と胸が熱くなりました。
「ケアラーになるんだ」という言葉が「イクメン」という言葉に感じていた違和感の原因を言語化してくれた気がします。
▶ 「育児」だけに目が向くのは危険
仕事と家事育児って比較されがちですが、僕は少し違う気がしています。並べるなら仕事と「家族との暮らし」だと思うのです。
家事育児は、家族との暮らしの中の一部分でしかなく、育児はその中の一部分。だから「育児」にばかり目が向くのは非常に危うさを感じます。
イクメンとは、本来「家族との暮らし」を楽しむ男性を指すのだとは思いますが、その発信内容はどうしても育児に偏っていました。だから視点が子どもにばかり向きがちになる。そのせいで、どうも「物足りなさ」「違和感」を感じてしまいます。
でも、今回「大人の条件はケアラーになること」と聞いて腑に落ちました。
男性は、ケアする役割を担えていない、とはよく言われることです。それは長らく男性にとって結婚とは「ケアしてくれる人を見つけること」だった名残りかもしれません。
「奥さんが作ったご飯に文句を言わずに食べる」のはかつては理解ある旦那の風がありました。でも、この感覚ってそもそも作ってもらうことが大前提になっています。自分が作る側になるなんてことは、ありえないのです。
令和となったいま、この感覚を持っている男性は少なくなってきただろうと思います。でも、昭和はそれが当たり前だったし、平成も長らくこの感覚を引きずって来ました。
言わずもがな、文句を言えばいいってことではなく。作る人の立場を理解できるようになろう、ということだと思います。「文句を言わない俺」じゃなく「作り手の立場を理解できること」が大事。文句を言わない根本の理由、向いているベクトルが違うのです。
そのためには、やはり自分も家事育児に携わっていなければ、なかなか理解は難しいだろうと思います。
これからの父親は、育児をするイクメンではなく。家族をケアするケアラーとなることを求められるのでしょう。
でもそれは、ケアされる側という、子ども的な立場からの脱却でもあります。大人はお互いや子どもををケアし合うケアラーでなければならないのでしょう。
父親はイクメンではなく、ケアラーになる必要があるのかもしれません。
では、また。
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