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見えるものと見えないもので世界はできている

こんにちは♪
noteで、「見えるもの」と「見えないもの」について、ずっと前から気になっていて、どんな関係があるのか、自分なりによく考えていました。

「見えるもの」に何かしらの違和感を感じた時、「見えないもの」の影響があるのではないかと思い、色々考えていましたが、なかなか言語化することが難しく残したり、人に伝えるのが難しい・・・と自分の中で思考するだけでした。

けれど最近、整体やカタカムナの世界について少しだけ触れたことにより、私の中でも「見えるもの」「見えないもの」の関係について、今なら少し言語化できるかもしれないと思い、noteに残していきたいと思います。

基本的には、日常の出来事や最近の話題という「見えるもの」から感じる違和感を言語化していく個人的なチャレンジです。

ちなみに私が【違和感】と感じるのは、
「一般的には○○が起こるのは、○○が原因だと言われてる・・・?」というような因果関係に対して、原因は他にあるかもしれないんだよな〜と心が感じる違和感や、

「今日○○さんイライラしてるね(語尾が荒いやりとりを見て)。機嫌悪そうだから、そっとしよう〜」というような、社会でよくある上司などへの気遣いに対して、感じる違和感。

こういう違和感を何年もず〜っと1人で分析したので、今度は言語化して残していくと何か分かるかな?と思っています。


そして、これを始めようと思ったきっかけは、「整体」と「カタカムナ」です。

この2つの共通点は「見えるものだけではない」という前提があることです。

「整体」は(ざっくりの話です)、体が痛いなどの症状と原因の場所は一緒とは限らないという点で体を見ているようです。(私は専門家ではなく、本からの知識や通っている整体師さんのお話を聞く程度ですが)

肩が痛いから肩をみる訳ではなく、痛くなる原因を探す。人によっては胸だったり、足だったり、体は繋がっていることを前提に、この痛みの原因をいろんな角度から探して、治療してくれます。

「カタカムナ」は(これもざっくり)、そもそも目に見えるものは、目に見えないものありきという視点があり(これも本からの知識が基本で、カタカムナは奥深すぎて上手く説明できるわけではありませんが・・・)、言葉という人から発せられるものの一般的に知られていない意味を教えてくれます。

この2つの考え方や視点(私が勉強できている範囲の)が、私が今まで頭の中で「事象を勝手に分析する」という趣味のようなもの(自己対話)、をより面白いものにしてくれそうだなということに気づいたので、これをきっかけに言語化したいと思います。

日記のような感じで残していけるといいな(^^)♫

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