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家でも「鑑賞」を楽しむ - 対話型鑑賞のススメ

不要不急の外出ができないこんな世の中は

 美術館やギャラリーに行くのが好きで、昨年は100を超える展示を見にいった。近代以降のアーティストを中心に、西洋の印象派から日本の九州派まで、選り好みせずに展示に行っている。

 ただ、不要不急の外出が禁止されている状況もあり、今年はほとんど展示へ行っていない。リモートワークに慣れ、外出をしなくなり、目の前の仕事に取り組み続けている。心理的に視野が狭窄し、感性と呼ばれるような器官が衰退していくことを体感する。

 そうか、自宅で鑑賞すればいいのか、と気付いたのは先日である。

 幸いなことに、Google Arts & Culture では、世界中の様々なアート作品を見ることができる。家にいながらにして、美術館のバーチャルツアーができるのである。これなら家にこもっていても、インプットは豊かになり、幸せな時間を享受することができる。

 ただし、腰には負担がくるのでご注意を。

アート鑑賞に知識は必要ない

 話は変わるが、アート鑑賞に「知識」が必要だと思っている人が多い。ワインの知識がなくてもワインを愉しめるように、また野球の知識がなくても野球観戦を楽しめるように、アートも無知識で愉しめるものである。

 作品を見て「これいいな」と思うでもいいし、「なんか嫌だな」と思うでもいい。「よくわかんなくて難しい」でもいい。鑑賞の仕方は個人の自由であり、多様な感受性があって然るべきである。

 もちろん、アートに関する知識があると、その知識を用いた愉しみ方ができる。原田マハさんが中国現代アートをテーマにした物語『#9』の中に、以下のような一文が出てくる。

受信側、つまり鑑賞者として美術を極めるのに必要なのは、感性(センス)、知識(ノウレッジ)、照合(リファレンス)、そして表現(ディスクリプション)です。
(原田マハ『#9』より)

 鑑賞者は、知識をもとに照合を行い、感性を用いて表現をする、といった感じだろうか。ただし、これは「美術を極めた鑑賞者」に求められることであって、何の専門家でもない我々は、自由に愉しんでもよいだろう。

 ここからが、今回の本題だ。

対話型鑑賞のススメ

 自由とはいえ、何かしらの手立てがほしいという人は多いはず。ビジネスにおいても、フレームワークを一つも知らなくても、素晴らしい事業計画は練られるかもしれない。しかし、少しのフレームワークでも知っていた方が、武器として可能性は広がるはずだ。アートも同じである。

 そこで紹介したいのが、対話型鑑賞 と呼ばれる方法である。

 ニューヨーク近代美術館(MoMA)で考案されたVTS(Visual Thinking Strategies)に源流をもち、日本では京都芸術大学(旧 京都造形芸術大学)がACOP(Art COmmunication Project)として対話型鑑賞の体系化を行っている。

 対話型鑑賞では、次の「3つの問い」を重要視している。

(1)この作品の中で、どんな出来事が起きているでしょうか
(2)作品のどこからそう思いましたか
(3)もっと発見はありますか
(フィリップ・ヤノウィン『学力をのばす美術鑑賞 ヴィジュアル・ シンキング・ ストラテジーズ』より)

 対話型鑑賞には、作品固有の知識は必要ない。だれが何年に作った作品だとか、その背景には何があるとか、そういった情報は全く介入してこないのである。自分という個人が、その作品と向き合った時に、どんなことに気づき、そしてどんな感情を想起したか。そういった 自己との対話 が生まれることに重要性を置く。

 たとえば、次の写真を見ていただきたい。

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(写真は高松市美術館にて。筆者撮影)

 こちらは、田中敦子さんというアーティストの作品である。この絵を題材に、対話型鑑賞を行ってみることにする。

(1)この作品の中で、どんな出来事が起きているでしょうか

 さまざまな色の丸印がキャンバス全体にたくさん描かれており、それらが線で囲まれていたり、繋がっていたりする。

 毛玉が転がっているようにも見えるし、電球が絡まっているようでもあり、人の頭を上から見たようでもある。

(2)作品のどこからそう思いましたか

 丸と線が繋がっていて、緩やかに解けているようにも見える線が(右下など)いくつか見えるので、解けながら絡まっていく毛玉のように見えたのだろう。

 線を「回路」と見立てて、カラフルな丸印を「電球」と見立てれば、電球が絡まっているようにも見える。

 「カラフルである」ということを「多様性」と捉えれば、丸印は世界の多様な人々を象徴し、線は人々がネットワークのように繋がっている様子を表しているようにも見える。

(3)もっと発見はありますか

 左下には、赤い丸がたくさん密集している。webマーケティングをやっていた身としては、「色が同じで、ユーザー属性が似ているだろうから、あそこをうまくターゲティングすれば、低CPAで効率良く広告回せそう」と思ってしまう。うまくセグメンテーションができている例である。

 しかし、ユーザー属性が似ていても、実際の興味関心は全く異なってグルーピングされることも多い。そのことを、この作品の「線」が示しているようにも見えてくる。左下の赤い丸の密集を見ても、「線」は赤い塊を分断するかのように、無秩序にグルーピングしている。これがwebマーケティングの難しさでもあり、楽しさでもあるんだよな、と考えている自分に、はたと気づく。

自己と対話し、新たな自分を発見する

 このように自分の鑑賞を例示してみたが、同じ作品を見ても、別の人は全く別の感想を持ち、別の気づきを得るだろう。(おそらく、先の写真を見てwebマーケティングを想起する人はいないだろう)そうしてお互いに感想を述べ合い、その差異について議論するのも面白い。

見た瞬間に感じたひらめき、心地よさ、違和感、衝撃、安堵、郷愁、想像、推論......。心の奥底で蠢いた説明のつかないこれらの感情や思考。見ることを通して作品から直接に得られた心の動きが人を鑑賞に向かわせる。
(上野行一『私の中の自由な美術』より)

 アート作品は思考の媒介であり、それを用いて自己と対話し、隠れていた自分の思考を再認識する のである。時には自分の大学時代に思いを馳せたり、まだ見ぬ宇宙空間に期待を寄せたり、日々の仕事のことを振り返ったりする。衝撃のあまり、涙がこみ上げることもある。それがアート体験であり、対話型鑑賞の醍醐味だと思う。

鑑賞はアートだけではない

 アート作品以外でも、対話型鑑賞のフレームワークは使える。冒頭に例示したワインや野球観戦はもちろんのこと、音楽、読書、スポーツ、はたまた仕事だって媒介となる。これらを用いて、自己と対話するための問いを立て、その答えを自分なりに言語化してみる。感覚的な楽しみはもちろんのこと、こういった知的な愉しみ方をしてみるのも面白いのではないだろうか。

参考になる文献

フィリップ・ヤノウィン
学力をのばす美術鑑賞 ヴィジュアル・ シンキング・ ストラテジーズ

岡崎 大輔
なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?

アメリア・アレナス
なぜ、これがアートなの?

上野行一
私の中の自由な美術

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