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最後の光は人 最後の壁も人

時代が大きく変わるパラダイムシフト。
国内外。様々な情勢と二十世紀が残す陰と陽のやり過ぎた部分、腐敗の部分への反省とこれから人類も自然と共に生き残る方法が必要。
共生と持続可能を持ち合わせたエネルギーや衣食住とインフラストラクチャーなどを真剣に考え開発し使用の段階まで繋げる事は大きな課題。思考し開発すると同時に必要なのは「こうなった原因と反省」。
開発に関して言えば、農業も医療もエネルギーも、共生と持続可能の度合いは検証しながらにしても確立と呼べるものはあると思う。
それは損得、勝負を越えた人の献身的な努力が差す光。
さて。この時代変化に至るまでの人の反省とは何なのだろうか。
一言にすれば「欲望物質主義」が招いた事。
物質主義は資本主義に変化した。ここまでは悪いことではない。物質を多く所有するが裕福になったところから煩悩による歪みが始まった。
分け合えば成る世界を一部の人間が裕福に。裕福の階級社会は競争となり負ける弱者は貧困に食べる事すら奪われてきた。
より多く所有するための仕事と競争。生きるためには競争と勝と負。ズルくやっても量を増やせる者が勝ちだと。人の生き血を吸う世界。
こうして始めは一部の人間の業の深さだったものが、誰もに宿る業の深さとなりました。
気付いていても自分が生きる、家族が生きるにはこのシステムにいなければならない。分かります。慣性とは怖い部分もあり、なかなか価値観の自己否定は出来なくなるのです。

どうでしょうか??現在。縦型構造の上の方々が崩れていっています。新しいエネルギーやインフラストラクチャーがただ民間に降りて来ただけで、本当に貧富格差ない共生と持続可能な世の中になるでしょうか?
僕は新しいテクノロジーが降りてきても、金本位の金融経済であっても、民間にまで及んできた慣れ親しみ積んできた価値観はすぐに同じことを繰り返すと思います。
アイツは悪い、世の中が悪い、政治が悪いと、悪が滅び、次の誰かが何かをやってくれるという期待のみで自分は「どうするか」という思考と行動に至らない今を仏教では餓鬼道と呼びます。そして、原理法則ではその餓鬼道を手放さなければ自然にある他の動植物も絶えてしまうので手放しをさせる愛の厳しさで地獄道に入ります。そこで「参りました」と人が成れた時にテクノロジーと大自然と共に新世紀を創りはじめる。
人の改心で餓鬼道を抜けて新世紀に至る事が出来るならば本当に善い事。
それには、教育であったり修身であったりを今各々自分に落とし込まなければならない段階なのです。
僕が普段からTwitterなどでも、勉強、動く、実践、中道、感情に呑まれず、自分を蹴り飛ばす•••など同じような言葉を何回も使っているのは、最後の壁は悪どい権力やシステムの崩壊よりも、民衆の精神的な成長と価値観のだと確信しているからです。
誰のどんな言葉より、自分で動いてみて、実践で経験して、失敗でも何でも経験だけが自分の腑に落とした成長になるのです。

最後の光は人ですが、最後の壁も人なんです。

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