【古典邦画】「楢山節考」

木下惠介監督が、最初に、1958(昭和33)年に「楢山節考」を撮ったのだ。

1983年の今村昌平監督版は、本来の姥捨山伝説に、エロス要素を加えた、衝撃的なものだったけど、木下版は、原作の深沢七郎の小説に近い。

遠くの風景などオールセットで、BGMも歌舞伎みたく、舞台の演劇のような設定となっている。

70歳となり、村の習慣で、息子(高橋貞二)に背負られて“楢山参り”(山に捨てられる)に行くおりんを演じたのは田中絹代(48歳)。

腰が大きく曲がってはいるけど、まだ歯が丈夫であるため、自ら石臼に前歯を打ち付けて折って、口元を血だらけにしたり、彼女の、棄却されることになる老婆の演技はオドロオドロしくて素晴らしい。老けメイクで白塗りの鬼婆のようだ。

妻を早くに亡くして隣村から後妻(45歳)をもらう息子が、母の楢山参りを渋っているけど、おりんは、70歳になったら山に行くと固く決めているために、決して取り乱すことはない。隣人の同い年のジジイは楢山参りを嫌がって逃げたりするけど。

そして、おりんは、後妻や周りにとても優しく接している。やはり覚悟を決めた老婆(女性)は強い。

楢山参りの日、息子はおりんを背負子に背負うと、山に登って行くが、息子がいくら話しかけても、おりんは、禁じられているために一言も発することはない。先に楢山参りに来た老人の骨が散乱し、カラスが獲物を待ってる所に、おりんを置いてくるのだが、息子は何度も振り返り、途中で戻ったりするけど、おりんは手を振って、早く行け、と意思表示するだけ。

ただ、手を合わせてお経を唱える、ある意味で崇高なおりんに対して、何度も未練たらしく「おっ母!」と声をかけるのは、母であっても尊敬の念がなくて失礼ではないのかと思ったりした。

老年になると、食糧事情の悪い寒村の人減らしのために、山に捨てられるという姥捨山伝説は、あくまで伝説伝承であって、実際にはなかったとされているが、伝説伝承でもそういう話が残っているから、俺は地方の一部の村の風習としてあったのだと考える。

日本の特異な土着の風土や習慣、信仰を通して、人間の生と死、そして老いという普遍的なテーマを上手く表現した深沢七郎の小説も素晴らしいが、独自の映像表現によってそれを示した木下監督も素晴らしい。これはこれで傑作だと思う。

閉鎖的な村だからこそ、生存のために、守るべき風習や掟がある。それを破る者は村八分か殺されるか。例え、それが理不尽で不条理であっても、そうやって人間は文化を営み、代々続いて来た。そして、そこに無常感を見たのだ。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。