「昭和45年11月25日」

同級生のお兄さんが書いた新書。

著名人百数十人を中心に、「あの日」とその前後日、何をしてて、どう思っていたのか、を時系列で綴ったもの。

俺は当時6歳であって、2年後のあさま山荘事件をTVで見た記憶は残ってても、三島事件については全く記憶はないけど、後日、何かで、母親が「頭が良過ぎるとキチガイになるのよ」と言ってたのを妙に覚えている。

文壇はもとより、演劇界、映画界、政界、マスコミ、自衛官等、三島と交流のなかった人々も含めて、大なり小なり、何らかの衝撃を受けていたことがわかる。

まあ、当然だろう。作家のみならず、いろんなシーンで話題を作ったマルチタレントであり、当時の人気の大スターであったし、その死に方が、自衛隊基地に乗り込み、割腹し、介錯されて、首が離れて死んだわけだから。余程の衝撃だったであろうと思う。

それに、当日の新聞夕刊には、直後の事件現場の写真が掲載され、自決した三島と森田の首が床に並んでいるところまで写っていたし、テレビのニュースでも首が映ったらしい。今じゃ考えられないけど。

三島由紀夫の決起と死は、当時の本人の発言などから、事件が起こってから、「あゝ、やっぱり…」と、なんとなく三島を知る誰もが予想できたと言えそうなことであったけど、それでいて、じゃあ、なぜ死んだのか?と問われれば、ハッキリとその理由が答えられない、もしくは、人によって解釈が異なる性質のものである。従って、今だにその真相と意味が問われている。

俺は、“相対の世界で絶対的存在を求める”という独自の美学を貫いたと勝手にロマンチックに思っているけど、死の前は、本人でさえ、三島由紀夫を演じることで、自分の存在がわからなくなっていたのではないだろうか。

しかし、突き詰めると、自分の存在とは他人を介して掴む以外になく、やはり人間とはアンビヴァレンツな矛盾した存在であり、激しい痛みを伴う切腹という古来の作法に則った死によって、自分の存在を確認したのではないだろうか。

解釈はいろいろあっても(政治的な解釈は噴飯物だと思うが)、三島由紀夫とは、昭和の衝撃的な存在であり、だからこそ、彼の文学も行動も、その魅力はとても大きい…それで充分だし良いと思ってる。

三島が(表向きにでも)愛して失望した自衛隊関係者(政界も)が、揃って三島の行動を完全否定してるのは予想できる。

当時、ファン他の後追い自殺はなかったのだなぁ。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。