【古典邦画】「乳房よ永遠なれ」

女優である田中絹代が監督の映画。1955(昭和30)年公開の「乳房よ永遠なれ」。Amazonプライムにて。

乳がんにより31歳で没した歌人・中城ふみ子を描いたもので、女性の田中監督が、女性の心と身体をテーマに撮ったとして評価が高い。

田中監督は、この映画を巨匠の力を借りることなく完成させており、日本で2人目の女性映画監督となった(1人目は溝口健二監督の指導を受けた坂根田鶴子)。

田中絹代が監督に興味を示したのは、レニ・リーフェンシュタールの「民族の祭典」を観たことがキッカケだという。

ダメな夫と決別したふみ子は、二児を抱えて実家に戻る。
ふみ子は、たまたま新聞社主催の短歌の集いに参加、夫との生活を歌に詠んだら、賞賛されることに。
それから短歌を詠むことを楽しみに暮らすことになるが、夫との離婚調停で、長男だけは夫に渡さなければならないことになる。
短歌の集いに参加していた、女学生時代のふみ子の初恋の相手に、いろいろと励まされるが、その彼は急病で死んでしまう。
夫の元から長男を連れ戻したふみ子は、上京して職を探そうとするが、胸の痛みを訴えて入院することに。
検査で乳がんを宣告されて、ふみ子は手術で乳房を取ってしまう。
しかし、ふみ子の詠んだ短歌は、雑誌で入選し、東京では話題の新人作家となる。
乳房除去手術後、ふみ子は回復してるように見えたが、肺にも転移が見つかり、たまたま目にした新聞で、「新人作家は残念なことに、余命いくばくもない」と書かれた記事を見て、大きなショックを受ける…。

ふみ子を演じたのは月丘夢路。日常に則した評価の高い短歌を残すものの、かわいそうにトコトン不幸である。

ショックを受けた記事を書いた若い記者(葉山良二)が、東京からふみ子の病室に面会に来るが、最初、彼女は絶対に会わないと拒否する。記者の熱意に負けて面会すると、記者は、最期まで歌を詠むように促す。そして、彼は、ふみ子の病室に寝泊まりして看病に当たる。

死期を悟ったふみ子がある夜、ベッド脇で横になってる記者の布団に入って、「もう死んでもかまわない。最期に女として抱いて」と懇願する。このシーンが映画の“肝”だ。それまで、ふみ子はマジメな一歩引くような古いタイプの女性だったが、自分から積極的に若い男に身を任せる。乳房は取られてないけど、ふみ子の女の表情がとてもエロチックだ。記者はためらいつつもふみ子を抱くことになるのだ。

翌日、記者は東京に帰るが、数日後、ふみ子の遺体が病室から運ばれていく…。

ふみ子は満足して逝ったであろうか。田中絹代監督は、今観れば古いかもしれないけど、男視点の描き方が多勢を占める中で、女性が、不幸であれ、男によって左右されるのではなく、女性自らが選択して生きることを表現したかったのだと思う。

ゆえに、ロマンチックにキレイに描くのではなく、乳がんに苦しむ女性を、あくまで現実的に、積極的に性欲も持って男を求める姿に描いているのだ。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。