「カフカ全集 VI 日記」

500頁、やっと読了。カフカの日記。

小説のように読者を意識して書いたのではなくて、いわゆる内輪の小さなことを、断片的にでも、書き殴った(という表現がピッタリ)ものが多くて、無意味やイミフと思われる文章も多々あって、読み進めることが苦痛であった。

旅日記でも体験よりも思索の方が多くて日記ぢゃねえよ。

同じく個人的なことでも、まだ手紙の方が良いな。

しかし、それだからこそ、カフカの内省的なこと、苦悩や不安が、飾ることなく溢れていると思う。

この日記は、不眠症だったカフカが夜中に、13冊ものノートに綴ったもので、彼が、如何に内省的なものを、病的に深めていったのかが垣間見れると思う。

こうした暗〜い精神の渦に巻き込まれてしまうと、あとの解決方法は死しかないだろう。

「僕には、かなり書こうとする精神の集中が見られる。書くことが、僕の本質の一番効果的な傾向であるということが、僕の機構の中でハッキリした時、一切のものがその方へ押し寄せてきて、性や飲食や哲学的思索や音楽の喜びに向けられていたあらゆる能力を空回りさせた。僕は、これら、あらゆる方面で身を痩せ細らせていたのだ…」

「希望がない。結局やはり、僕は苦痛のため頭が張り裂けそうだ。しかもこめかみのところがだ…」

「誰からでも、最も愛想の良い親切な人からでさえ、時々たとい感情的にしろ、人間性の統一が疑われる事は、他面誰にもあるか、あるいは人間全体の及び個人の発展の完全な、繰り返し見出される共通性にあるらしい。個人の最も打ち解けない感情においてさえもそうだ」

ユダヤ人やシオニズムという言葉が度々出て来るが、ナチス台頭前夜のユダヤ人の身の置き方に、ユダヤ人としてのカフカ自身が、不安や絶望感を増大させる材料になっていたのだろう。

カフカは、夜中に独り部屋でノートを開き、内省的なものを深めて行って、次々と溢れて来る言葉を持って、守るべき自分をも攻撃したのだ。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。